2008年02月04日

松下幸之助の人生と人間観(その3)

金子二〇〇七年十一月十七日・日本論語研究会
PHP総合研究所主任研究員・金子将史氏より

松下幸之助の考え方

 非常に駆け足で松下の人生をお話させていただきましたけれども、私の場合、松下に直接教えを受けるチャンスというものもありませんでしたので、直接経験したエピソードはもちろんないわけなんです。
 けれども、PHPや政経塾で、色々発言集ですとか書いた物を読んだり、あるいは彼に接したことがある人たちの話を聞く機会もございますので、そういうものを踏まえて、このあと「じゃあ、松下っていうのはどういう人だったのか、どういうことを考えていたのか」ということについてお話させて頂きます。
 
 まず、松下という人はとにかく人間観を確立することが大事だと事あるごとに言っておりました。松下自身の人間観というのは、先ほども少しご紹介しましたけれども、人間は本来、繁栄・平和・幸福を享受できるような素晴らしい存在なんだと。
 そういう基本的には人間に対する非常に肯定的な考え方をベースに持っております。そうなんだけれども、自分自身のいろんなとらわれの心によって、繁栄・平和・幸福を得られる契機を自ら失っている部分があるんだと。だからこそ、あとでも申しますけども「素直な心になることが必要だ」ということを強調していくわけでございます。
 そういう「人間とは何か」ということを絶えず色々な人との問答なり何なりの中で彼なりに考えていくわけです。人間観が確立してはじめてそういうことができるということを幸之助は非常に言っておりましたし、特に経営者なり政治家という人はそういう「人間とは何か」ということをちゃんと踏まえた上で政治なり経営というものをしないといけないんだということを強く申しておりました。
 人間によってこの社会が成り立っているというのは、これは当たり前のことでございますけれども、その当たり前のことをきちんと考えようとしたというところがあると思います。
 有名な話なのでお聞きになった方もいらっしゃるかもしれませんが、松下は何を作っている会社ですかと聞かれたら、「松下というのは人をつくる会社です。あわせて電化製品も売っております」と、そう答えなさいと部下に言ったといいます。人間はどういう存在なのかということをよく踏まえて、経営や組織作りというものもしていく必要があるんだということを大変強調していたわけであります。

 その中でもたぶんかなり重要だと思いますのが、人間は先ほど言いましたように非常に素晴らしいものを持っているんだけれども、その素晴らしさっていうのが輝くのはやっぱり自分がその主体性を持てた時なんじゃないかという考え方です。
 それで例えば、一般社員であっても「社員稼業の社長だと思え」とよく言っていたそうです。社長は自分の会社だと思っているから、会社のことを緊張感を持ってどうなんだ、ああなんだと考えるわけですけども、単に組織の一員で序列の中の一つでしかないと思うと、それだけのことかと思うわけです。与えられているその仕事というものについて自分が全責任を負ってそれでその主体的に取り組む、「社員稼業の社長だと思え」とよく言っていたそうです。
 
 松下電器が他に先がけてつくったと言われている事業部制も、それぞれの事業に関して責任者を決めまして、あたかも独立の会社であるかのように任せるというものなわけです。
 「自分は、社長がいてその下の何とか本部長だ」ということだと、「最後社長が責任を取ってくれるから」となるわけですけども、そうではなくて「お前はここの一国一城の主だと思え」というふうにして責任感というもの、あるいは緊張感というものを感じさせていくと。そういうふうに感じられた時にはじめて、思った以上の力も出てくると。
 そう松下は考えていたように思います。
 
 ただ、松下には「任せて、任せず」っていう言葉がありまして、その事業部の本部長さんに「じゃあすべて勝手にやって」としていたかというと、そういうことはないわけであります。任せきりではなくて最後まで面倒をみるんだと。そういうフォローも必要なんだということであります。
 それから、松下に直属するような組織として経理の集団があって、経理担当をそれぞれの事業部に配置するわけですね。お金の流れを見れば、その組織がどういう組織か一番はっきりわかるわけです。
 後ろ暗いことをしていればすぐわかりますし、あるいは組織の調子が悪いなというのも、お金は正直に情報として現してくるわけでございますので、その部分を松下は押さえておったわけですね。任せているんだけれども、社長として手綱は握っておくという半面もあったわけでございます。
 
 それから人間観といいましても、結局、一番最初は自分のことを知らないで人間観も何もないわけでありまして、自分という存在を深く見つめるというところから人間観の確立は当然出発すべきところだと思いますし、実際に松下もそうだったんじゃないかなと思います。
 松下の人生についてご紹介したところで申しましたけれども、松下っていう人は何もないところから出発しておるわけですね。親兄弟も早く死んでしまう、学歴もない、お金もない、体も弱いということで、何もないということであるわけです。
 しかし、そういう人は他にもいたでしょう。ただ松下の場合、そういう自分の弱さというものを「それはそうなんだ」とみとめて、その弱さを前提とした上で「でも何ができるんだろうか」というふうに発想していったというところが、違うところだろうと思います。
 
 松下自身、「あなた、何で成功したんですか」というふうに聞かれて、「自分は学歴もなかったし体も弱かった、だから成功した」と、非常に逆説的な言い方をしておりました。自分は学がなかったから他の人が全部偉く見えたというんですね。
 他の人は知っていると、自分は知らない、だから人の言うことを謙虚に聞くという姿勢を取ることができたんだと。「衆知を集める」ということを松下はすごく言うわけですけれども、そういうことが自分は学歴がなかったお陰でできるようになったんだという言い方をしているわけですね。
 
 松下が幹部に対して色々話をする時に「部下の出鼻をくじくな」ですとか、「部下の偉さをどれだけわかっているのか」ですとか、あるいは「拝む気持ちで部下に接しろ」というような言い方をしていたそうです。仮に一〇〇人部下がいたとすると、「その中でお前は一〇一番目に偉いんだと思え」と、それぐらいの気持ちで部下に接するんだと。
 だいたい部下と上司といいますとどうしても上司は自分のほうがよく知ってるというふうになりがちなわけですけども、そうじゃないと。謙虚に人に耳を傾けるということが大事で、それは自分が学歴がなかったからできたんだという言い方をしております。
 それから、体が弱かったということに関しましても、先ほど事業部の紹介をしましたが、体が強ければある意味自分でガンガンいろんなとこへ出て行って、いろんなことができるわけなんですけども、自分は体が弱かったから人に任さざるを得なかったというふうに言ってるんですね。
 ただ、じゃあ、体が弱い人がみんな成功するかというと、そういうことはないわけであります。体が弱い、だから自分はこれ以上のことはできないんだとあきらめてしまうんではなくて、体が弱い自分でできるようなこと、やり方はどうしたらいいんだと、そういうふうに常に頭を切り換えながらやっていったところが、松下という人の強いところだったんだろうなと思います。
 
 その根幹といいますか、その根底にあるのがやはり「素直な心を大事にしよう」という彼の発想なんだろうなと思います。この素直ということを松下は強調しておりまして、PHPも「素直な心になる運動だ」と言っているぐらい、彼の根幹をなす部分だと思うんです。それで『PHP』誌の一番上のところにも、「素直な心になりましょう。素直な心はあなたを強く正しく聡明にいたします」と書いてあるわけでございます。
 
 では素直な心ってどういうことなのか。素直というと、だいたい権力に従順なとか、そういうイメージを持ちがちなんですけれども、そういうではなくて、とにかくある意味当たり前のことを当たり前に受けとめて、当たり前にやるということだと。「雨が降ったら傘をさす」というような言い方を幸之助はしてますけれども、雨が降ったら自然に皆さん傘をさすじゃないかと、それと同じように当たり前のことを当たり前に認めて、自然に当たり前にやるのが素直な心というものであると。
 
 他にもいろんな言い方をしておりまして、私心なくとらわれなく物事を見つめていく心であるとも言っております。また、何に対しての素直さかというと、それは真理、真実に対しての素直さじゃなきゃいけないんだというような言い方もしております。
 権力ある人に対して従順に従うというようなことじゃなくて、正しいことに対して素直にならなきゃいけないんだというようなことを言っておるわけであります。
 「素直になる」と言っても「どうやったら素直になれるんだ」いうことなんですが、これについて松下はとにかく本気で素直になりたいと思うことが、まず一番大事だと言っています。
 それから、絶えず自分を振り返る、「自己観照」という言い方を彼はしてますけれども、「あの時自分はああいう決断をした時、ほんとに自分は素直な気持ちで判断しただろうか」「ああいう部下を叱った時に自分はほんとにとらわれのない心で叱ったんだろうか」と絶えず反省するんだと。
 そういう「自己観照」を長年積み重ねていくことでようやく素直な心の初段になれるんだと言っておりました。
 
 松下はずいぶん年になってからも、「自分は最近素直になれないんだ」と人に悩みを訴えるというようなこともあったそうであります。それぐらい、自分はもう素直な心だからいいんだというのではなくて、常に己れを振り返るということをしていたのが松下という人なんだなあと思います。
 一朝一夕に素直な心というのは培われるものではなくて、絶えず素直な心になりたいと思って努力していかなければ素直な心にはなれないと。
 
 松下という人がものを考える時、そんな難しい本を読んで何とかかんとかということはまったくないわけでございます。「松下は哲学者だ」などと言われるようになった頃、「自分は哲学という言葉も知らなかった」と言ったことがあります。
 何かを読んで、字面を追って何とかっていうのではなくて、とにかく世間を教科書として、なるべくとらわれない心を持って、自分の頭でとにかく考えていくと。
 人の借り物の言葉ではなくて自分の頭で何事につけても考えていくということを大事にして、しかもそれを言葉にして人々に問いかけていくということをやっていたのが、松下という人だったと思います。


shige_tamura at 12:40│Comments(0)TrackBack(0)clip!日本論語研究会 

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