2007年12月27日

公明党の創設と政治

公明月刊『潮』(2008年1月号と2007年12月号)に「池田大作の軌跡―平和と文化の大城」「公明党の創設』の載っています。
 これを読むと創価学会と公明党、そして政治進出の関係などがよく分かります。
 ご一読をおすすめします。
 以下は、その中から抜き出してみました。      

犖明党を創立

 池田会長は恩師が構想していた「公明会」を創立した。政治勢力と対峙しながら、大衆運動をリードし、衆望の水かさは次第に高まる。ついに政党結成の機は熟した。

(略)
「公明」の名称の由来である。もともと戸田会長が折々に口にしていた言葉である。語義を諸橋轍次『大漢和辞典』に探ると「私心がなく、かくしだてしないこと。よこしまのないこと」とある。

(略)
 池田会長は大衆運動の先頭に立った。ある大会では三点にわたって釘を刺した。
(略)
’蛭兇簇震椶毛筋ほどでもあったら公政連は解散してもらいたい。
大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に入りきって、大衆の中に死んでいく政治家たれ。
J拔しない政治家に、青年は、ついていかない。
 権力は魔性である。政治は魔物である。ゆえに議員には徹底して厳しく。恩師の厳命である。

(略)
燹崑臀阿里燭瓠廚寮治がなくてはならない

 池田会長が語ったことがある。(略)
・・・「『大衆』だ。この人たちのための政治がなくてはならない。それが主権在民だ。それが立正安国だ。王仏冥合ということなんだ」


 一九六〇年代以降、未組織労働者を「巨大組織や社会集団から弾き出された層」と定義した政治学者がいた。 
 高畠通敏。フィールドワークを重んじ、低い目線で政治行動を分析した。
 「(未組織労働者層が)労働組合や革新組織の下側に固まってくる。これへの応答が創価学会の急速な拡大だった」

 保守側からの視点。
 「(学会は)労働の現場から組織がはじまるのでなく、家庭や地域から拡がっていく。それまで保守の側がこういう場所を権威主義的に支配してきたのが、それで崩れ始めた」
 保守でもない。革新でもない。「人の『いきがい』を組織化した。それが創価学会の核だった」

(略)
 恩師とともに臨んだ、学会初の地方選出陣の日。公明会発足発表の日。公明党結成を決断した日。
 五十有余年。政治家に向ける視点は、一貫して変わらない。

 大衆とともに生きていけるか。
 大衆とともに死んでいけるか。


shige_tamura at 12:58│Comments(0)TrackBack(0)clip!本の紹介 

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