2007年12月10日

国会議員村長 私山古志から来た長島です 最後の山古志村長 長島忠美、小学館

長島 忠美 国会議員村長 私山古志から来た長島です 最後の山古志村長 長島忠美」(小学館)という本がでた。

 長島忠美議員は、「本当に良い人」という感じの政治家である。
 今回の本は、その長島忠美議員の人柄があますところなく記されている。

 以下、これと思ったところを記述する。


 「山古志村のような中山間地域では、どうしても現金収入の道は限られます。
 仕事はそんなにありませんし、大規模農業なんてことはなかなかできませんから、農業で生計を立てるのも容易じゃない。
 棚田はひとつの水田の面積も小さいし、形も不規則だから、農機具を入れられないところも多いんです。ウチの田植えは、手植えですからね。効率という意味ではきわめて悪い。私はそういう村の暮らしが豊かでないとは思わないんです。農作業にいくら手間やヒマをかけても、残業代がつくわけでもないし時給が増えるわけでもないけれど、そのかわり田圃の畦道に座って食べるおにぎりや漬け物のおいしいのなんのって。この村には、お金で買えない豊かさや幸せが溢れているんです。

 お金がないという意味で貧乏という言葉を使うなら、私は山古志村に帰ってきて貧乏になったかもわからない。子供が友達と遊びに行くときに、ジュースを買うから100円くれと言うわけです。その百円玉が、家にないんです。小銭を貯めてある貯金箱を開けても十円玉と五円玉しか入ってない。ウチの子供だけ、ビニール袋に十円玉をじゃらじゃらいわせながら遊びに行くなんてことがよくありました。彼らはつらい思いをしていたと思います。

 だけど負け惜しみでも何でもなく、そこで無理して、どこかで百円玉に両替して渡すより、この十円玉で買いなさいと言ってよかったと私は思ってる。
 
 何でも平等にしてやらなければ子供がかわいそうだって言うけれど、それはある意味では親の見栄でもあるわけで、うちは貧乏だよと、生活は苦しいけれどみんなで頑張ろうねと言ってあげた方が、きっと子供のためになる。物質的に豊かじゃなくても、人間は幸せに生きることができる。人間の幸せはお金じゃないよということを、心の豊かさなんていう抽象的な言葉じゃなくて、現実の生活の中で子供たちに伝えることができたんだと思っています。
 
 そんなこと少し前までは、日本中の誰もが知っていた当たり前のことなんです。ところが気がついたらあっという間にそういう暮らしの姿が世の中からは消えつつある。山古志村のような中山間地域もずいぶん変わってしまいましたけれど、それでも町に比べればまだそういう豊かさが残っているんです。初めてこの村に来たのに『懐かしい』と言ってくださる方がいるのはそのせいだと思うし、そういう山古志村で自分の子供たちを育てられたのは、本当に幸せなことだと思っているんです」
P78〜80


 選挙運動のやり方もわからないから、ただやみくもに女房と一緒に有権者の家を回りました。じつは、あの最初の村会議員選挙はかなり荒れたんです。他の集落からも新しい候補が立っていました。明日選挙という前の晩まで、結局は3回も有権者の家を回りました。女房と2人で回るなんて、たぶん私が初めてだったんじゃないでしょうか。これで落選したらどうしようかなんて妻と話していたら、ひとこと言われました。
『心配いらないよ。落っこったらまた一緒に回ってあげるから』
あれには参りました。
P83〜84


(村議会議員になって)
 勉強会を始めたわけです。
 どうすれば山古志村をもっと元気のいい村にできるか、錦鯉と闘牛だけで村は喰っていけるのか、村の中で経済活動ができる人を増やすには何をしたらいいか。そういうことを話して、自分なりに考えているうちに、目標が見えてきた。目標というよりも、大それた夢と言った方がいいかもわからない。山古志村を日本一有名な村にしたいと思ったんです。子供たちが胸を張って、自分は山古志村で生まれたと言える村にする。それを人生の仕事にしようと思ったんです。もっとも、私は子供の頃から心のどこかでずっとそのことを考えていたのかもしれません」
村長に立候補したのは自然な結論だった。
 公共事業のありがたさは、骨身にしみて知っていた。
P86〜87
 

 けれどそれは、村の活性化とはまた別の話だ。国や県の制度が与えてくれるものだけに頼っていたら、そう遠くない未来に村の暮らしは立ちゆかなくなる。
 山古志村に限ったことではないけれど、今までの地方政治はそういう制度に頼りすぎてきた。おかげで村の生活はどんどん便利になったけれど、その代償として、いつの間にか自分たちが進むべき方向を見失ってしまった。

 村は今よりずっと元気で、人々は村の暮らしに誇りを持っていた。
 村が今よりもずっと不便で、はるかに貧乏だった時代の話だ。
 便利な生活と引き替えに、我々は何を失ったのだろう。
 ひとつだけ確かなことがある。
 道路や建物だけでは、村を活性化することはできないのだ。

 たまたまこの村に住んでいるのではなく、誰もがこの村に住むことを誇りに思える暮らしをいかにして作るか。村の本当の価値をいかにして見出すか。
 その視点から、村作りを根本的に考え直す必要がある。
 そのためには公共事業頼みだった村政の方針を大きく転換して、村人の意識を変えていく必要があった。
P88〜90


 「昔の農村が貧しくても輝いていたのは、自分たちの伝統や文化に誇りを持っていたからだと思うんです。伝統や文化と言っても、難しいものじゃない。村祭りや牛の角突きも文化だし、集落というコミュニティも大切な文化です。我々の祖父がこの土地で生きるなかで築き上げ、子孫へと伝えてきた暮らしの営みのすべてがかけがえのない文化なわけです。
 私はそういう文化を大切にすることが、遠回りのように見えても結局は村を元気にするいちばんの近道だと思っているんです。山古志村に誇りを持つということは、この村の文化に誇りを持つということですからね。
P96〜97

・・・・などなど、じい〜とくる話が満載です。政治及び地方自治に興味がある方は是非ご一読ください。


shige_tamura at 10:44│Comments(1)TrackBack(0)clip!本の紹介 

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この記事へのコメント

1. Posted by 関智子   2008年06月18日 14:41
4 前からこの本を読んでみたいと思ってました。
少ししか見てないけど、私の子育ても同じです
人と、同じじゃない。貧乏だから、できる範囲で。。私間違ってなかったのかな。とうれしく思いました。
私の出会った山古志の人はみんな輝いてました。長島さんの活躍を期待します

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