2007年08月31日

講演「政治と安保政策」(その7)

ランチバック1 5.橋本内閣(96年1月〜)

 それから橋本内閣となりまして、党の政策提言も非常に活発になりました。瓦さんが安保調査会会長になって、久しぶりに自民党の総理・総裁となったから、安全保障政策をきちっとしていこうということになりました。
 それならば、まず日米安保体制をきちんとする意味で、それに関係する提言を作りましょうといって、「日米安保体制の今日的意義」という提言を作りました。それが日米安保共同宣言のとき大いに参考になりました。
 提言の中で、日米防衛協力の指針の見直し、ガイドラインの見直しという言葉を入れました。それがガイドラインという言葉の最初の発端ですよ。当時は、みんなガイドラインといっても知らないんですよ。最近になればガイドラインといえば「日米防衛協力のための指針」のことだとみんな知っていますけど。提言の中にそれを入れました。
 それが参考になって、日米安保共同宣言になり、ガイドラインの見直し、沖縄の米軍基地の整理・統合・縮小、SACOの報告となりました。これも『日米安保と極東有事』(南窓社)という本に入れておきましたから読んでみてください。
 沖縄問題、少女暴行事件、基地反対ということで住民投票、と色々ありました。沖縄県の大田知事が賛成しそうだったのが海上ヘリポート反対ということになったりしました。
 8年前になりますが、名護の市長選に岸本建夫さんが出るということで、当時、自民党幹事長代理の野中広務さんから「君、選挙に入ってくれ」言われました。「国会議員は入れないから」と。それは、住民投票のときに国会議員を入れたんだけどもうまくいかなかったからなんです。防衛庁がどんどんやって、うまくいかなかったんです。
 「今回は一切そういうのは排除するから、君1人でやってきてくれや」と。その辺のところを詳しく知りたければ、『龍ちゃん流 橋本龍太郎』(kkベストセラーズ)という本がありますから、ここでは割愛します。


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