2007年08月29日

講演「政治と安保政策」(その5)

国防部会写真は今日の11時からの国防三部会で挨拶する高村正彦新防衛大臣。


講演「政治と安保政策」(その5)

3.自民党の野党時代(93年8月〜94年6月)

 それから自民党は野党になり、細川政権となりました。そのとき、橋本竜太郎さんが政調会長で、僕はその室長になった。11ヶ月仕えました。秘書官みたいなものです。自民党の政調会長室といっても脆弱なものです。当時は室長の僕1人と、女性2人、計3人でした。
 だから、僕は誰よりも朝早く職場に来て、新聞を全部チェックして、必要があればコピーして、『会長こんなのが載っています』とお見せしました。橋本龍太郎さんというのは僕を役所のレクとかに全部同席させてくれまして、全てを2人で考え方を確認するという、政治家でした。非常に勉強になりました。でも大変でした。
 たとえばインタビューとかあると全部一緒に同席しました。橋本さんは夜になると会合に出かけます。その後、僕は1人残ってずーっとデスクワークですよ、夜ずーっと。インタビュー記事なんかを僕が全部チェックしまして、本人は途中から僕に全幅の信頼をおいてくれるようになりました。「君が見てくれればいいよ」ということで。
 だから夜9時頃帰ろうとすると門のところで「今日は早いですね」と言われました。
 死にもの狂いでやりましたよ。
 
 橋本さんからも「何で君はそんなに一生懸命やるんだ?」と聞かれましたから、「橋本さんがこけたら、自民党がこけるから、一生懸命やるんだ」と言いました。
楽しかったですね。橋本龍太郎はそういう人でした。
 一回だけ、怒られたことがありました。打合せする時間がなかったから、お昼の12時に説明に行ったら、「ちょっと待ってくれ。ニュースだけは見せてくれよ。」と。
 時間がないから、こっちは説明しなければならないし。でも、ニュースで今何が起きているかチェックしなければならないし。そこで1回だけ怒られました。

 橋本龍太郎さんをPRする意味で『ビジョン・オブ・ジャパン』(kkべストセラーズ)という本を出しました。僕がアイデア出して、その本が10万部のベストセラーになりました。そしたら橋本さんは、印税だけで2000万円以上入りまして、「地元の事務所を修理できてありがとう」と言われました。『政権奪回論』(講談社)と言う本も出しました。その結果、政権を奪回しました。
 
 安全保障政策では、ちょうど北朝鮮核開発危機がありました。細川政権のときはそこが迷走していました。クリントン米大統領と細川首相の首脳会談が2月に行われて、「ノー」と言ったとかいう議論がありました。実は極秘にこの議題が話されたことが後で分かりました。

 当時この問題が大きくなったとき、極秘で当時外務省の次官の斉藤さんが党に来まして、極秘検討を行いました。政調会長代理の津島雄二さん、町村信孝さん、額賀道嶇困気鵝∧殕耕輔さん、ぼくとで極秘検討を行いました。

 本当に北朝鮮と米国は戦争一歩手前まで行きました。その辺のところはオーバードーファーさんの『二つのコリア』という本がありますが、本当に戦争直前でした。それだけ実は緊迫していたということです。


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