2007年07月19日

小沢一郎氏のタテマエ

小沢政治の本質は、権力闘争です。
勝つか負けるかです。

 今日の東京新聞(19日)にも載っていましたが、小沢代表が
「自民党で改革できるなら、わたしが離党する必要がなかった。私は幹事長までしたが、最後まで少数派だった。」と街頭演説会で話したとの報道があります。
 「それってホント?」「また、言っている」というのが僕の感想です。

 当時、僕も自民党にいました。今もいますが。

 その頃、確かに政治改革というテーマもありましたが、小沢氏が離党した理由は、「派閥及び党内の権力闘争に負けたからです。」これは常識です。

 であるならば、なぜ、自由党の時に自民党と連立政権を組み、その後、小渕恵三首相に「一緒の党になろう」と迫ったこととつじつまがあいませんね。
 離党して、またくっ付くのですから。
 
 当時、行動をともにした船田元衆議院議員がホームページで、離党したその辺の事情を詳しく述べています。

 小沢離党は、自民党の最大派閥・経世会(竹下派)の内部抗争と分裂に端を発しており、党内の多数派から少数派に転落したからなのです。

 船田氏は、小沢離党を表面上は政治改革の実現を目指した政治上の動きだが、
「底流には自民党の最大派閥であった経世会の内部抗争と、それに続く自民党分裂に端を発する政治事件でもあり、自民党内の派閥抗争の延長線上にあった・・・」と述べています。

 小沢氏の離党原因は、金丸氏が脱税で摘発され、小渕恵三氏が経世会の会長になったのが面白くなく、自民党を飛び出した。

 というのが定説です。


 以下、船田元衆議院議員がホームページから関連箇所を引用しました。

 平成4年夏、同派会長の金丸信代議士の佐川急便事件への関与が発覚し、自民党副総裁と派閥会長を辞任、さらには議員辞職に至った。これに対する同派会長代行の小沢一郎代議士らの対応に、派内からの批判が集中した。その急先鋒は野中広務前自民党幹事長らのベテラン議員であった。
 平成4年10月、後継会長を選出するための幹部会(常任幹事会)が開かれた。内部では小渕恵三代議士を推す竹下登、橋本龍太郎、綿貫民輔の各代議士や参議院経世会(会長・坂野重信)などの勢力と、羽田孜代議士を推す小沢一郎、渡部恒三、奥田敬和、佐藤守良(事務総長)各代議士らの勢力がにらみ合う形となった。
 
 *筆者(船田 元)は当時、同派事務局長として同会議に出席し、会議録を作成するとともに、事務総長の記者会見での読み上げ原稿を作成する役割を担当していた。筆者の政治生活の中でも、最も生臭い強烈な場面であった。

 この会議は延々一週間続いたが結論が出ず、とうとう業を煮やした座長役の原田憲代議士が「この際、小渕氏が会長としてふさわしい」との見切り発言を行い、会議は決裂した。 

 その後竹下派は小渕恵三氏を会長とする新たな経世会と、羽田孜・小沢一郎氏を中心とする羽田・小沢グループに分裂。平成4年12月には同グループが「改革フォーラム21」として、若手を中心とした36名の議員でスタートした。

 その後、「改革フォーラム21」は離党・・・


shige_tamura at 10:59│Comments(0)TrackBack(0)clip!小沢一郎 

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