2007年06月29日

宮澤喜一元首相 死去

 昨日、フジテレビの「めざましテレビ」から僕に「宮澤喜一元首相の死去に関してインタビューをさせて欲しい、ついては9時からスタジオか自宅で」との話があったが、その時間には、宴会の後でお酒が入っているからとのことで断り、別の人物を紹介しておきました。

 宮澤喜一元首相との思い出の一つは、小沢調査会の提言を小沢一郎氏と国会内の当時の宮澤首相に説明にいった時には、「偉大な総理」という感じがしました。

 もう一つは、自民党の新憲法草案を作る時のことです。
僕は事務局の立場で、起草委員会全般と「天皇に関する小委員会」と「安全保障及び非常事態に関する小委員会」を担当しました。
 憲法改正の焦点である九条問題は、僕の得意分野。
 しかし問題は「天皇に関する小委員会」だった。

 委員長は宮沢喜一元首相、代理は橋本龍太郎元首相、それに舛添氏がサポートした。したがって、この三人が中心で、僕が事務方を務めました。

 「天皇に関する小委員会」の会議が行われるたびに、資料をまとめて、委員長の宮沢喜一元首相の事務所にファックスで送るのだが、しばらくすると、宮沢氏から直接、電話がかかってくる。

 「田村さんですか?」
 「はいはい、田村です」
 「この要綱の論点を整理されたのは田村さんですね。ところで、この部分の記述なのですが、これはどう解釈したらいいのでしょう?」

 突っ込まれるたびに、四苦八苦しながら「もう一度、検討してお答えします」と返答。
その都度、冷や汗をかいた。
 そして平成17年4月4日、各小委員会から要綱が出された。


 最後に宮澤喜一元首相のご冥福を心からお祈り申し上げます。


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