2007年06月27日

「日本人と編⊃声」(その7・おわり)

坂
第二七回日本論語研究会
日時 平成十九年五月一二日(土)一六時三〇分〜一八時
場所 慶應義塾大学第一校舎一階一〇二教室

講師 坂明夫(編⊃声卩宜・遊就館部長)
演題 「日本人と編⊃声」



(六)A級戦犯合祀の根拠

 いわゆるA級戦犯合祀の根拠についてお話致します。
 まず、なぜA級戦犯の方々を分祀できないのかと申しますと、これは信仰上あり得ないわけでございます。先ほど申し上げました通り、編⊃声劼楼貂造凌斥佑任靴董∀洪い任いΠ譴弔留蠅砲覆辰討るのです。そこから、ある特定の神霊だけを取り除くというのは信仰上できないのです。

 ちなみに分祀というのは「分霊」のことです。中曽根元首相などが述べているような「分離」するという意味ではないのです。大分の宇佐神宮の神様を東京に分霊して、もう一つの神社をつくることはできます。つまり英霊を分祀するということは、もう一つ編⊃声劼できるということです。
 
 今、編⊃声劼錬禅蘋鑒般簑蠅留加罎砲△蠅泙垢、編⊃声劼箸靴討蓮∧祀は選択肢にございません。
 さて、いわゆるA級戦犯合祀の根拠ですが、先ほど編⊃声劼砲祀りする基準として、戦争で命を落とされた方を合祀すると申しました。サンフランシスコ平和条約第一条には「日本国と連合国との間の戦争状態は、第二三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する」とあります。
 サンフランシスコ平和条約の発効は、昭和二十七年四月二八日です。つまり二七日までは戦争状態にあったということでございます。この間に敵国の戦争裁判によって処刑された方は、戦争中に敵の手によって殺されたに等しいわけで、これは戦場での戦死と同じです。
 国家は戦犯を「法務死亡者」と呼称し、編⊃声劼任「昭和殉難者」と呼んでおります。
 
 A級戦犯合祀の根拠の二つ目ですが、それは国会の決議に基づいていることです。国会の戦犯に対する評価ですが、国会は戦犯というものを国内法上の犯罪人とは見ていないということです。
 昭和二十七年六月九日には「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、昭和二十七年一二月九日には「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」、昭和二十八年八月三日には「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」、昭和三十年七月一九日には「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がございました。
 さらに、戦犯で亡くなられた方を一般戦死者と同等と判断したという証拠として法改正を挙げることができます。昭和二十八年には戦傷病者戦没者遺族等援護法改正がありました。これは、戦犯の遺族は一般戦歿者遺族と同じであり、遺族年金及び弔慰金が支給されるべきというものです。

 右派社会党の堤ツルヨさんが衆議院厚生委員会で「(処刑された方は)早く殺されたがために、国家の補償を留守家族が受けられない。しかもその英霊は編⊃声劼涼罎砲気┐眛れてもらえない。遺族援護法の改正された中に当然戦犯処刑、獄死された方々の遺族が、扱れるのが当然である」とおっしゃいました。つまり堤ツルヨさんは、「戦犯の方も早く合祀しなさい」とおっしゃっているわけです。この姿勢を社会党は、ずっと貫いておれば、立派な政党になっていたと思います・・・(笑)。

 それから恩給法の改正もございました。国内法では禁錮三年以上の刑を受けますと、恩給を受給することができないのですが、戦犯の方が受給できるのはもちろん、改正によって、戦犯に問われて拘禁されておる期間を在職期間に通算、つまり刑務所にいる期間は働いているのと同じであるというものに改正されたわけです。

 そして、こういう国会の決議がなぜ行なわれたのかと申しますと、その背景には国民の幅広い支持があったわけです。国民は戦犯を犯罪人とは見ていないのです。戦犯釈放運動というのがございまして、昭和二十七年六月、日本弁護士連合会が「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出しました。そして戦犯釈放署名が合計四〇〇〇万に達した。
 これは共同通信の小沢武二記者の調査記録に残っております。「戦犯は犯罪人ではない。早く釈放せよ」というものです。昭和二十八年一一月一一日には、旧両国国技館にて「抑留同胞完全救出巣鴨戦犯全面釈放貫徹国民大会」が開催されまして、その台上には三〇〇〇万人の署名書が積み上げられました。こういう国民の支持があったのでございます。

 最後にいわゆるA級戦犯合祀の経過をお話します。A級戦犯に対しては確かに特殊なものがございます。いわゆるB、C級戦犯の方は、厚生省から祭神名票が来ましたら、事務手続きを経て、その翌年か翌々年には合祀されています。
 A級戦犯については、祭神名票が送付されたのは昭和四十一年です。本来ならば、数年後には合祀されるべきなのですが、実際は昭和五十三年に合祀されております。
 すぐに合祀されなかった理由としては、私の推測も含みますが、昭和四十一年の段階では、一般将兵の合祀を優先しようという意識があったことが挙げられます。
 この時点では、一般将兵の未合祀者は大勢存在しておりました。それと、当時は編⊃声匚餡噺郢問題がございまして、反対派と議論になることを極力避けようとしたことが挙げられると思います。
 そして昭和五十三年七月に松平新宮司が就任し、新宮司として筑波宮司時代に決定していた合祀を実行したのだと思います。
 
 いずれにしても以前からA級戦犯の方々については特別な見方があったことは事実ですが、基本的には、やはりA級戦犯の方々も編⊃声劼帽艫すべきであるという思いが広く国民の中にあったと言ってよいのではないでしょうか。


おわりに

 まだまだお話したいことはたくさんございますが、お時間ですのでこの辺で終わりたいと思います。
 甚だ雑駁なお話で恐縮ですが、私どもは今後も編⊃声劼里△襪ままの姿、事実をお伝えする努力を致す所存でございます。
 本日は、ご清聴誠に有難うございました。


shige_tamura at 09:31│Comments(0)TrackBack(0)clip!日本論語研究会 

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