2007年06月20日

「日本人と編⊃声」(その4)

坂
第二七回日本論語研究会
日時 平成十九年五月一二日(土)一六時三〇分〜一八時
場所 慶應義塾大学第一校舎一階一〇二教室

講師 坂明夫(編⊃声卩宜・遊就館部長)
演題 「日本人と編⊃声」


(三)編⊃声匣怎の根底

 次に編⊃声匣怎の根底ということでございますが、編⊃声劼蓮日本人の宗教観、祖先観に根ざした伝統的習俗が基礎になっております。その上に公的、国家的な祭祀が加味されております。

 編⊃声劼鰐声F麈にできたと申しましたが、神社の中では比較的新しい神社でございます。
 皆さんのお宅の周りにも、たくさんの神社があると思いますが、その多くは、いつできたのか分からないくらい古いものが多いのではないでしょうか。創建年時の点では編⊃声劼録靴靴い錣韻任后
 しかしながらその根底には日本人の宗教観、祖先観に根ざした伝統的習俗というものがあるわけです。

 江戸時代の国学者で日本人の心というものを解明した本居宣長は、神の定義を「尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云ふなり」とされております。
 つまり、尋常でない、普通ではない、優れた徳があり、恐れ多いものをカミと言うのである、というわけです。

 「尋常でない人」というのは、自分のことを考えないで他人のことを考える人です。愛する家族のことであったり、愛する故郷のことであったり、愛する国のことであったり。こういう人を本居宣長はカミだとおっしゃっています。
 
 江戸時代以前には、まだ国家という概念はなかったと思いますが、郷土とか部落といった共同体に尽くした人を、神様として、祠を立てて祀っておる例がたくさんございます。
 
 さらに神様として祀られた方は、その祀る人をお守りくださるわけです。
 例えば村の鎮守様は村人に祭られ、そして鎮守様は村人をお守りくださる。
 ですからお祭りは、一度だけでなく、何度でも行ないます。祀る、祀られる、守る、守られるが連続するのです。
 
 この共同体を国家というものに当てはめますと、なぜ国家が編⊃声劼慮羣弯世鬚祭りすべきかという根拠が分かると思います。
 編⊃声劼慮羣弯世蓮⊆分の大切な生命を捧げて祖国日本を守ろうとされた。
 だから日本という共同体はその方々を御祭神とするわけです。同時に祭られた御祭神はいついつまでも日本を守り、日本国民を守り続けるということでございます。
 
 このように編⊃声劼蓮古来日本人の信仰に合致した神社ですので、宗教、宗派を超えています。
 キリスト教徒、仏教徒等、色々な宗教を信仰しておられる方がいますが、日本人である以上、日本のために命を捧げた英霊に対して敬意を表するというのは、宗教、宗派を超えているわけです。
 
 それを分かり易くおっしゃった方が、(ブルーノ)ビッテル神父でございます。
 この方は、上智学院院長、終戦直後に駐日ローマ法王代表・バチカン公使代理を務めた人です。
 「編⊃声劼老街饉腟舛慮偽Г任△襦F本があれだけの戦いをしたのは編⊃声劼原因である。編⊃声劼肋撞僂靴進がいいのじゃないか」といったようなことを(ダグラス)マッカーサーが言った際、ビッテル神父は「編⊃声劼鮠討払ったとすれば、その行為はアメリカ軍の歴史にとって不名誉極まる汚点となって残るであろう。
 神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教などいかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて編⊃声劼砲修領遒鮑廚蕕譴襪茲Δ砲垢襪海箸鮨文世垢」と毅然と答えたそうであります。

 もちろんビッテル神父はキリスト教徒ですが、それでも編⊃声劼遼楴舛箸いΔ發里鬚靴辰り捉えていらっしゃったわけです。
 編⊃声劼脇団蟒ゞ気了楡澆任呂覆い里世函9颪里燭瓩棒錣辰真佑鬚祭りしているのであり、敵国であるアメリカとしても、その国に命を捧げた方々に敬意を表さなければいけないということをおっしゃっているわけです。


shige_tamura at 16:25│Comments(0)TrackBack(0)clip!日本論語研究会 

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