2007年03月08日
「チョコ市民」が推す浅野氏の正体は
浅野史郎氏が都知事選への立候補を正式に表明したことで、今回は、久しぶりに花岡信昭氏のメルマガを転載します。
「チョコ市民」が推す浅野氏の正体は
浅野史郎氏が都知事選への立候補を正式に表明した。
「チョコ1枚では・・・」と逡巡するそぶりを見せた浅野氏に、市民グループは200枚のチョコを用意した。その効果があってか、念願の出馬表明にこぎつけた。
浅野氏を擁立した市民グループなるものはいったい何か。これから「チョコ市民」と呼ぶことにしよう。
チョコはなんとも甘いが、食べ過ぎると虫歯になって歯が浮く。糖尿病などメタボリック症候群も怖い。
浅野氏の出馬表明の文章を下記に掲載する。「チョコ市民」が何を求めているか、よく分かるからだ。
浅野氏は出馬の理由を、「石原都政はもうたくさん」という悲鳴にも似た声が寄せられたからだ、としている。申し訳ないが、当方にはその種の悲鳴など聞こえては来ない。
石原都政の数々の問題点として、社会的弱者に対する差別発言、都政の私物化、公私混同、側近政治、恐怖政治のような教育現場・・・をあげている。
豪華外遊やら4男重用などといった批判があるのは事実だが、はっきりいえば、世界的ビッグ都市・東京の政治、行政を運営していく上では、取るに足りない話である。瑣末なことだ。
都政の私物化というが、田中康夫氏の長野県政私物化に比べればかわいいものである。田中氏は「ちくりメール」で人事をやったといわれる。最大のキャッチフレーズだった「脱ダム」も結局は言葉遊びに終わった。
都政の重要さからして、そうしたことばかりに焦点を当て、有権者の欲求不満に火をつけようというのは、作戦としては分からないでもないが、さて、この人に都政を託して大丈夫なのか。
「恐怖政治のような教育現場」に最も注目した。たしかに国旗掲揚、君が代斉唱をめぐって一部の偏向教員たちの横暴ぶりは目に余る。ピアノ伴奏を命じたら拒否され、裁判を起こされるというのだから、これは校長にとっては恐怖だ。すぐ切れる子どもたちも怖い。
そういう意味かと一瞬思ったのだが、テレビでの発言などを聞いているとまったく逆だった。
「日の丸、君が代の強制で、教育現場が委縮している」というのである。
石原氏が進めてきた教育現場を当たり前のかたちにしようという改革への批判なのだ。
これで、「チョコ市民」たちの正体が分かってきた。あぶない兆候としかいいようがない。
これを民主党がバックアップする。政権奪取を目指す政党として、それでいいのかどうか。
ともあれ、これが浅野氏の出馬表明文である。
【東京都知事選挙出馬の理由
私、浅野史郎は、来る3月22日告示、4月8日投票の東京都知事選挙に立候補することを、ここに表明いたします。
三期12年宮城県知事を務め、「知事業は卒業」と考えていた私が、今回の都知事選挙に立候補することを決意した最も大きな要因は、東京だけでなく、全国各地の人たちから寄せられた「石原都政はもうたくさん」という悲鳴にも似た声です。社会的弱者に対する差別発言、都政の私物化、公私混同、側近政治、恐怖政治のような教育現場など、石原都政がもたらした数々の問題点を指摘しながら、その変革を必死になって願うメールや意見に接するうちに、誰かがこういった都政を変革するために立ち上がらなければならないと思うようになりました。
その誰かが私である必然性は感じられませんでしたが、二期目以降の石原都政の実態を詳しく知るにつれ、私の心の中のコップに水が注がれて、徐々にその量を増し、いつかコップからあふれ出すかの如き感じで、何かが変わったのです。今、ここで立ち上がり、石原都政にストップをかけなければ、東京や都民にとってだけでなく、日本の政治にとっても取り返しのつかないところまでいってしまう。そういった危機感を、私も共有するに至りました。その危機感をしっかりと受け止めて、私は、今、都知事選挙に出馬することを決意しました。
そういった決意をしたうえで、改めて東京都政を見直してみると、未来に向けてのいくつかの課題が見えてきました。
慶應義塾大学で地方自治について、学生相手に一年間論じてきました。その中で、国と地方との関係、地方分権をいかに進めていくか、私自身が深く考えました。東京都も地方自治体です。その東京都が、地方分権を進めていく戦いの中で、必ずしも中心的役割を果たしていないのではないかということは、宮城県知事として最大限努力をしてきた中でも、私が強く感じてきたことです。最大・最強の地方自治体である東京都が、本気で立ち上がらなければなりません。他の自治体とともに、真の地方分権を進めていく体制の中で、牽引車的な役割を果たす必要があります。知事として、私はその役割を果たすべき立場を引き受けたいと考えました。
最近、国民の間で、政治に対する無力感が募り、政治家に対する不信感、嫌悪感も顕著になっています。こういった風潮が蔓延していったら、日本はどうなるのでしょうか。現在の東京都政に疑問を感じながら、問題意識を研ぎ澄ませている人たちが、東京以外の全国各地にもいることを、今回、私に出馬を促す多数のメールなどから知りました。この国の政治のありように関して、国民の間で閉塞感がどれだけ深まっているか、そして、その突破口を求める人たちがいかに多いかを痛感しました。
「政治をあきらめるな」ということも、私を都知事選挙出馬へと突き動かした要因です。
政治に期待したって無駄だ、政治なんて国民には変えられない、選挙にはまったく興味ない、誰が選ばれても同じだ、自分の一票では何も変わらないということを言う人も増えています。明日の天気は変えられませんが、明日の政治は変えられます。ここであきらめてはいけないのです。
「地方自治は民主主義の学校」と慶應義塾大学の授業で言い続けてきました。学校なら、まず入学し、行動すべきです。この都知事選挙を契機に、政治は信じられる、期待していいということを、都民みんなで確認する場にしたいと強く願っています。そのことを実証するために、私はここに東京都知事選挙に出馬することを決意しました。】
「チョコ市民」が推す浅野氏の正体は
浅野史郎氏が都知事選への立候補を正式に表明した。
「チョコ1枚では・・・」と逡巡するそぶりを見せた浅野氏に、市民グループは200枚のチョコを用意した。その効果があってか、念願の出馬表明にこぎつけた。
浅野氏を擁立した市民グループなるものはいったい何か。これから「チョコ市民」と呼ぶことにしよう。
チョコはなんとも甘いが、食べ過ぎると虫歯になって歯が浮く。糖尿病などメタボリック症候群も怖い。
浅野氏の出馬表明の文章を下記に掲載する。「チョコ市民」が何を求めているか、よく分かるからだ。
浅野氏は出馬の理由を、「石原都政はもうたくさん」という悲鳴にも似た声が寄せられたからだ、としている。申し訳ないが、当方にはその種の悲鳴など聞こえては来ない。
石原都政の数々の問題点として、社会的弱者に対する差別発言、都政の私物化、公私混同、側近政治、恐怖政治のような教育現場・・・をあげている。
豪華外遊やら4男重用などといった批判があるのは事実だが、はっきりいえば、世界的ビッグ都市・東京の政治、行政を運営していく上では、取るに足りない話である。瑣末なことだ。
都政の私物化というが、田中康夫氏の長野県政私物化に比べればかわいいものである。田中氏は「ちくりメール」で人事をやったといわれる。最大のキャッチフレーズだった「脱ダム」も結局は言葉遊びに終わった。
都政の重要さからして、そうしたことばかりに焦点を当て、有権者の欲求不満に火をつけようというのは、作戦としては分からないでもないが、さて、この人に都政を託して大丈夫なのか。
「恐怖政治のような教育現場」に最も注目した。たしかに国旗掲揚、君が代斉唱をめぐって一部の偏向教員たちの横暴ぶりは目に余る。ピアノ伴奏を命じたら拒否され、裁判を起こされるというのだから、これは校長にとっては恐怖だ。すぐ切れる子どもたちも怖い。
そういう意味かと一瞬思ったのだが、テレビでの発言などを聞いているとまったく逆だった。
「日の丸、君が代の強制で、教育現場が委縮している」というのである。
石原氏が進めてきた教育現場を当たり前のかたちにしようという改革への批判なのだ。
これで、「チョコ市民」たちの正体が分かってきた。あぶない兆候としかいいようがない。
これを民主党がバックアップする。政権奪取を目指す政党として、それでいいのかどうか。
ともあれ、これが浅野氏の出馬表明文である。
【東京都知事選挙出馬の理由
私、浅野史郎は、来る3月22日告示、4月8日投票の東京都知事選挙に立候補することを、ここに表明いたします。
三期12年宮城県知事を務め、「知事業は卒業」と考えていた私が、今回の都知事選挙に立候補することを決意した最も大きな要因は、東京だけでなく、全国各地の人たちから寄せられた「石原都政はもうたくさん」という悲鳴にも似た声です。社会的弱者に対する差別発言、都政の私物化、公私混同、側近政治、恐怖政治のような教育現場など、石原都政がもたらした数々の問題点を指摘しながら、その変革を必死になって願うメールや意見に接するうちに、誰かがこういった都政を変革するために立ち上がらなければならないと思うようになりました。
その誰かが私である必然性は感じられませんでしたが、二期目以降の石原都政の実態を詳しく知るにつれ、私の心の中のコップに水が注がれて、徐々にその量を増し、いつかコップからあふれ出すかの如き感じで、何かが変わったのです。今、ここで立ち上がり、石原都政にストップをかけなければ、東京や都民にとってだけでなく、日本の政治にとっても取り返しのつかないところまでいってしまう。そういった危機感を、私も共有するに至りました。その危機感をしっかりと受け止めて、私は、今、都知事選挙に出馬することを決意しました。
そういった決意をしたうえで、改めて東京都政を見直してみると、未来に向けてのいくつかの課題が見えてきました。
慶應義塾大学で地方自治について、学生相手に一年間論じてきました。その中で、国と地方との関係、地方分権をいかに進めていくか、私自身が深く考えました。東京都も地方自治体です。その東京都が、地方分権を進めていく戦いの中で、必ずしも中心的役割を果たしていないのではないかということは、宮城県知事として最大限努力をしてきた中でも、私が強く感じてきたことです。最大・最強の地方自治体である東京都が、本気で立ち上がらなければなりません。他の自治体とともに、真の地方分権を進めていく体制の中で、牽引車的な役割を果たす必要があります。知事として、私はその役割を果たすべき立場を引き受けたいと考えました。
最近、国民の間で、政治に対する無力感が募り、政治家に対する不信感、嫌悪感も顕著になっています。こういった風潮が蔓延していったら、日本はどうなるのでしょうか。現在の東京都政に疑問を感じながら、問題意識を研ぎ澄ませている人たちが、東京以外の全国各地にもいることを、今回、私に出馬を促す多数のメールなどから知りました。この国の政治のありように関して、国民の間で閉塞感がどれだけ深まっているか、そして、その突破口を求める人たちがいかに多いかを痛感しました。
「政治をあきらめるな」ということも、私を都知事選挙出馬へと突き動かした要因です。
政治に期待したって無駄だ、政治なんて国民には変えられない、選挙にはまったく興味ない、誰が選ばれても同じだ、自分の一票では何も変わらないということを言う人も増えています。明日の天気は変えられませんが、明日の政治は変えられます。ここであきらめてはいけないのです。
「地方自治は民主主義の学校」と慶應義塾大学の授業で言い続けてきました。学校なら、まず入学し、行動すべきです。この都知事選挙を契機に、政治は信じられる、期待していいということを、都民みんなで確認する場にしたいと強く願っています。そのことを実証するために、私はここに東京都知事選挙に出馬することを決意しました。】




