2006年10月05日

「村山総理談話」の歴史的意義

夕日2「村山総理談話」の歴史的意義

 戦後の歴史認識問題で、かつて永野茂門法務大臣や桜井新環境庁長官が言及して、マスコミや韓国、中国から批判を受けて辞めるという事がありました。
それが、「あること」をきっかけに、閣僚が戦後の歴史認識問題で辞めることがなくなりました。
 「あること」とは、村山談話です。これは、自民・社会・さきがけ連立政権の時です。
 村山談話が出る以前は、何が政府の歴史認識なのかが定まっておらず、その結果、閣僚が歴史認識発言によって辞職に追い込まれたことがあったのでした。
 閣僚が、「あなたの歴史認識は」と質問されて、「私は村山談話の通りです」と答えることで、戦後の歴史認識問題で辞めることがなくなりました。

 政治にとっては、戦後の歴史認識問題を決着させて、未来志向で中国及び韓国との関係を強化していく必要があります。
 戦後の歴史認識問題を決着させるためには、発言の「ガイドライン」というものをつくっておけば、その「ガイドライン」に従って発言すれば、辞職するといった問題は起こらなくなります。
 評論家や学者の中には、当時、例えば、「歴史というのは二世紀も三世紀もかけて議論すべきだ、戦後五十年といったって、戦後五十年しかたっていないし、やっとこの問題についていろいろな問題が出てくるから、これからゆっくり議論すればいい、これについてとやかくいうことはけしからんことだ」という議論もありました。
しかし、政治の現実というのは動いているわけですし、日本は世界の中でそれぞれの国との関わりも持って生きていくわけですから、ということであれば、政治の責任としてできる範囲でのことは、きちんと明確にするところはしていく努力をするのが、政治家の役目なのです。
 村山談話は、「村山富市という社会党の総理だから、駄目なんだ」という主張もありますが、これは、自・社・さ連立政権の時にできたのです。
これは、従来の自民党の総理大臣の見解など政府の考え方を踏まえて「村山総理談話」という形にまとめたものなのです。
 こうしたことは、自民党の総理では「なかなできないこと」なのです。それを、村山総理がやった。これが8月31日の「村山総理」のメッセージなのです。
 
 安倍総理も、当初は、戦後の歴史認識問題発言で問題になりそうでしたが、その後、「村山談話」を踏まえて「先の大戦をめぐる政府の認識は、首相談話などで示されている通り、わが国はかつて植民地支配と侵略によって、多くの国々に、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦悩を与えたというものだ」と「村山談話」を引用することで、問題でなくなりました。
 それで、今月8日から中国、韓国訪問が可能となったのです。もしも、「村山談話」と違うことを主張していたら、中国、韓国訪問が困難になっていたかも知れません。

 現実の政治とは、こういうものなのです。相互に自己の正当性や利益だけを主張するだけでは国際関係はうまくいかないのです。
 評論家や学者は、自己の思想の正当性だけ述べて、その結果が悲惨であっても、責任は取りません。しかし、政治家はその結果に対して責任を持たなければならないのです。
 それが、政治家と評論家・学者・マスコミとの大きな違いなのです。

 安倍総理が、「村山談話」を踏襲するのは当然のことです。


〇村山総理談話

 内 閣 総 理 大 臣 談 話

 先の大戦が終わりを告げてから、五十年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様一人一人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを二度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。特に近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この二つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

 いま、戦後五十周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 敗戦の日から五十周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

                 平成七年八月十五日
                       内閣総理大臣 村 山 富 市

shige_tamura at 12:10│Comments(0)TrackBack(0)clip!安倍晋三 

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