2006年08月29日
剛腕・小沢一郎評(その2)
最近発売された『自民党総裁選 権力に憑かれた亡者たち』(奥島貞雄著、中央公論新社)が話題となっています。
私も指導を受けた自民党の先輩職員で、幹事長室勤務が長く、幹事長室長として田中角栄氏から加藤紘一氏までの22人に支えた経験の持ち主です。
その奥島さんが、今回2冊目の本を出したのです。いろいろな面で非常に参考になりました。
その中で、剛腕・小沢一郎氏の事が書かれていましたので、以下、関連箇所をかきだしました。
今日は、あとがきを紹介します。
(215〜217頁)
(略)
「偽メール事件」の余波もあり、ついに小沢一郎(おざわいちろう)が野党第一党・民主党の代表の座を射止めた。「政界の“壊し屋”が表舞台に」などと報じるマスコミも多かったが、これは前著『自民党幹事長室の30年』(中央公論新社)で、私が命名したものである(正確には“壊体屋”=建設を前提にした「解体」ではなく、壊すだけ)。
小沢の民主党代表就任に際し、私は多くのマスコミから取材を受けた。「小沢党首は自ら『変わる』と言っていますが?」。この質問に対して、私は「人間、そう簡単に変われるものじゃない。本質は変わらないと思う」と答えた。実際に小沢幹事長に仕えて目にしたさまざまな出来事もその根拠ではあるが、論より証拠、彼の政治家人生を概観してみるだけで、それは明白でないだろうか。
平成4(1992)年8月、竹下派会長だった金丸信(かねまるしん)に東京佐川急便がらみの「金丸五億円事件」が発覚、会長代理の座にあった小沢は金丸追い落とし―竹下派支配を試みるも、同年10月、竹下派経世会は分裂。
平成5年6月、自民党を離れ新生党結成。
平成6年12月、新進党結成。
平成8年12月、新進党分裂(羽田孜(はたつとむ)ら離党)。
平成9年6月、細川護煕(ほそかわもりひろ)新進党離党。
平成9年12月、新進党解党。
平成10年1月、自由党結成。
平成11年1月、自民・自由連立。
平成12年4月、自由党連立離脱。野田毅(のだたけし)らはこれに従わず、保守党結成。自由党分裂。
平成15年9月、自由党、民主党に吸収合併。
わずか10年の間に、いくつの政党を壊し、何人と袂を分かったのか。小沢が変わると本気で信じている人には、もう一度、彼のこうした“来し方”を復習してみることをお勧めしておく。
私も指導を受けた自民党の先輩職員で、幹事長室勤務が長く、幹事長室長として田中角栄氏から加藤紘一氏までの22人に支えた経験の持ち主です。
その奥島さんが、今回2冊目の本を出したのです。いろいろな面で非常に参考になりました。
その中で、剛腕・小沢一郎氏の事が書かれていましたので、以下、関連箇所をかきだしました。
今日は、あとがきを紹介します。
(215〜217頁)
(略)
「偽メール事件」の余波もあり、ついに小沢一郎(おざわいちろう)が野党第一党・民主党の代表の座を射止めた。「政界の“壊し屋”が表舞台に」などと報じるマスコミも多かったが、これは前著『自民党幹事長室の30年』(中央公論新社)で、私が命名したものである(正確には“壊体屋”=建設を前提にした「解体」ではなく、壊すだけ)。
小沢の民主党代表就任に際し、私は多くのマスコミから取材を受けた。「小沢党首は自ら『変わる』と言っていますが?」。この質問に対して、私は「人間、そう簡単に変われるものじゃない。本質は変わらないと思う」と答えた。実際に小沢幹事長に仕えて目にしたさまざまな出来事もその根拠ではあるが、論より証拠、彼の政治家人生を概観してみるだけで、それは明白でないだろうか。
平成4(1992)年8月、竹下派会長だった金丸信(かねまるしん)に東京佐川急便がらみの「金丸五億円事件」が発覚、会長代理の座にあった小沢は金丸追い落とし―竹下派支配を試みるも、同年10月、竹下派経世会は分裂。
平成5年6月、自民党を離れ新生党結成。
平成6年12月、新進党結成。
平成8年12月、新進党分裂(羽田孜(はたつとむ)ら離党)。
平成9年6月、細川護煕(ほそかわもりひろ)新進党離党。
平成9年12月、新進党解党。
平成10年1月、自由党結成。
平成11年1月、自民・自由連立。
平成12年4月、自由党連立離脱。野田毅(のだたけし)らはこれに従わず、保守党結成。自由党分裂。
平成15年9月、自由党、民主党に吸収合併。
わずか10年の間に、いくつの政党を壊し、何人と袂を分かったのか。小沢が変わると本気で信じている人には、もう一度、彼のこうした“来し方”を復習してみることをお勧めしておく。