2012年04月

2012年04月24日

ミサイル情報管理の鉄則守れ(森本敏氏)

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック

 今朝の産経『正論』、拓殖大学大学院教授・森本敏
 「ミサイル情報管理の鉄則守れ」を掲載します。


 今回の長距離弾道ミサイル発射は、北朝鮮にとって政治的に失敗が許されなかったはずである。それにしては、新しい発射基地に新たに組み立てたミサイルを、今までと異なる方向に発射するなどリスクを取り過ぎて、失敗に終わった。次回は失敗が許されないだろうから、北朝鮮技術者は命がけで再度の挑戦を試みるであろう。

 ≪艦の位置で北発射捕捉できず≫

 日本にとっては、北朝鮮のミサイル開発が進むことにより、既に配備済みのミサイル(200基以上のノドン)に核弾頭が搭載される方が脅威である。現在は、北朝鮮が3回目の核実験を準備しているとみられ、要警戒であろう。

 他方、日本のミサイル防衛態勢は今回、万全であった。実戦並みの訓練も積み重ね、練度も一層向上した。こうしたミサイル防衛システムを保有する国は米国を除けば、イスラエル、サウジアラビアなど僅かであり、日本がミサイル防衛の導入を決定したことは適切だった。もっとも、日本のミサイル防衛は少数の目標に対応できるものの、中朝両国の弾道ミサイルが多数、飛来すると対応できるわけでなく、システムを今後、質・量とも改善する必要があろう。

 今回のミサイル発射で情報管理の在り方が議論になっている。

 まず、前提となる事実を明確にしておきたい。日本のイージス艦は、飛んでくるミサイルが日本の領域に入る場合、これを破壊して国民の安全を守るために最適と思われる海域に配備されていたのであり、朝鮮半島の情報収集のために配備されていたわけではない。北のミサイルが発射後1分半で爆発・落下したため、沖縄周辺にいた日本のイージス艦のレーダーでは捕捉できなかったのである。

 韓国のイージス艦は、ミサイル防衛仕様になっていないが、監視レーダーは機能しており、発射直後の北朝鮮ミサイルを捕捉するのに最適の位置にいた。だから、情報を直ちにつかむことができて、韓国側の発表が早かった。ミサイルがそのまま飛翔(ひしょう)していれば、日本のイージス艦でも捕捉し、適切に対応できていたはずである。

 ≪情報の出し方には問題あり≫

 ただし、今回、日本政府に入った米軍の早期警戒衛星情報(SEW)は不完全なもので、それ1本で、ミサイル発射を確定することは適当でなかったので、他の情報源と照合するのに手間取った。その辺の初動対応や防衛省と官邸の連絡通報に関する手段、責任分担については改善の余地がある。

 SEWが伝わったとき、すかさず「発射を感知。確認中」という情報を出しておけば、もう少し混乱を防げたはずである。今回のミサイルは日本の情報機能のはざまに落下したという感が強い。従って、J−アラート情報を出す必要はなかった。だが、8時過ぎにEm−Netで「我が国としては発射を確認していない」という情報を発信したのは不適切だった。

 情報には、(1)正確さ(2)迅速さ(3)十分な情報量−が求められる。しかし、この基準は矛盾もはらんでおり、早く集めた情報は量も少なく、誤りが多く、正確さを期すには時間がかかる。情報は、それに基づいて決断するのに最適な質・量を伴ったものが適時に収集されなければならないが、あらゆる情報を集めるには経費がかさむ。

 ミサイル対応の情報管理を考えて、日本が米国のようにSEWやコブラボール(ミサイル発射警戒監視機)やXバンドレーダーを備え、独自でミサイル発射情報を収集すべきだという意見もあるが、費用対効果の面で最適か検討を要する。とりあえず日韓間で速やかにGSOMIA(軍事情報包括保護協定)を締結し、情報共有システムを確立する必要があろう。

 ≪議員に守秘義務課し秘密会に≫

 今回の事案で気になったのは、政府関係者が米国や日本の情報システムや情報機能のことを割と無神経に口にしていたことである。情報は国防の基盤であり生命である。そのシステムや機能・諸元について明らかにすることは、情報活動の原則に反する。特に、SEWなど米国の情報システムやガメラレーダーなど日本の情報システムの機能・性格・配備について明らかにしないのが、情報管理の鉄則でなければならず、それを軽視すれば国益を損なってしまう。

 米国は大韓航空機事件(1983年)の時、自国民に犠牲者が出たにもかかわらず、情報機能や内容を一切、明らかにしなかった。その種の米国の情報機能が、日本政府関係者から外部に流れることは、決してあってはならない。

 議員が国会で、一般に公開できないような情報管理の問題を議論したいのであれば、米国のように国会議員に対し守秘義務を課す法律を制定してから、国会に非公開の公聴会(米国では情報特別委員会)を設置するのが筋である。

 国家の情報機能を政局の問題にして国会で議論するようなやり方には違和感を覚えるし、政府の方も言えないことは言えないと明確に拒否すべきである。説明責任を果たすことと、機密に触れる情報を公開することは全く次元の異なる問題だと心得ねばならない。(もりもと さとし)

2012年04月20日

石原東京都知事講演の舞台裏( ヘリテージ・横江公美氏)

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック

 ヘリテージ ワシントン ニュースレター No.37
 横江公美氏にのアジア研究センター 2012年4月19日  
――を掲載します。


 で最新の話題を発信してます!
 石原東京都知事講演の舞台裏    

 
 4月16日(月曜日)、13時から石原慎太郎東京都知事がヘリテージ財団の大ホールで講演した。
 すでに、講演が終了した瞬間から日本でも話題になっているように、都知事はここで「尖閣諸島を東京都が購入する」と発表した。

 講演の内容は、私はもちろん誰も知らなかったので、会場の空気が一瞬止まった。

 何を言っているのか、理解できなかったほどだ。理解するのに、かなりの時間を要した。後から聞くところによると、都知事の側近以外、同行するほとんどの都職員も都知事が何を話すのかは知らなかった。

 その後、東京都庁は、大慌てだったと言う。

 ヘリテージ財団はアメリカの保守思想で知られ、石原都知事は日本的保守思想で知られるが、同じ「保守」と言う言葉をつかうが、歴史観においてはその国の歩みなので、かなり違っている。

 そう意味で、石原都知事の講演はヘリテージ財団にとっても大いに刺激的であった。フルナー所長はそれを予測してか「石原知事はその挑発的な発言で有名です」と最初に紹介していた。

 今回のプログラムは、石原都知事が日本の立場で講演し、その後、その講演を受けて、ヘリテージ財団のウォルター・ローマンが司会でバンダービルト大学のジェームス・アワー教授とリチャード・ローレス元国防次官補の2人がパネリストとしてコメントすると言う方式で行われた。つまり石原都知事による講演が日本の声として第一部で、第二部がアメリカの見方という構成である。

 「日米関係とアジアにおける日本の役割についての対話(The U.S.-Japan Alliance and the Debate Over Japan's Role in Asia)」というタイトルで「Debate対話」という単語があるのはそのためだ。この講演は、色々な意見があることを提示することを目的とするイベントだった。
 では、アメリカ人はどのように石原都知事講演にコメントをしたのか。

 2人のパネリストはともに「尖閣諸島」に関するコメントは控えていた。ジェームズ・アワーは「2,3ヵ月後だったら、コメントできるが、今はまだ早急だ」と前置きし、コメントをはじめていた。

 その場にいた人は、日本人であれアメリカ人であれ、「尖閣購入計画」ということは想定外であったのだ。

 都知事は、気候変動から日本の憲法まで幅広く語ったが、司会者とパネリストがコメントしたのは、憲法と核発言についてだった。

 石原都知事は、今の日本の憲法は占領下でアメリカが作ったものであり、憲法改正にとどまらず、憲法を廃棄し新しい憲法を制定すべきとの見方を提示した。石原都知事はその理由として、世界でことが起きると、自衛隊が出かけていくが、現在の憲法ではしっかりした活動ができないことをあげた。
 それに対し、3人はいずれも「憲法改正で良いのではないか」との見方を示した。また、憲法論議については日本で議論すべきこと、というコメントもあった。

 また、石原都知事は、中国、ロシア、北朝鮮に囲まれた日本は核を真剣に考えなければならず、まずは核シミュレーションから始めるべきとし、オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した2ヵ月後に核兵器のシミレーションを行っており、日本がシミレーションも行えないことはおかしいと話した。
 それに対し、アワーは「核を持つことはコストがかかる。アメリカの核の傘があるうちはその中に入っていればいいのではないか」という見方を返していた。

 司会のローマンは、「私たちは、都知事とは異なる見方は持つが、強い日本であることを望んでいる」と指摘した。

 最後に石原都知事の都知事らしい発言を紹介しよう。

 冷戦時代、アメリカのミサイルのほうがソ連のミサイルよりも性能が良かった。それは日本の部品を使っているからだ。もし、ソ連が日本製を利用したら、ソ連の製品の方が良かったかもしれない。

「日本と一番の関係を作りたい」というフルナー所長の言葉で終わった。
ちなみに「一番」は日本語で言っています。

 石原都知事の講演は以下のリンクでご覧いただけます。

http://www.heritage.org/events/2012/04/shintaro-ishihara
________________________________________
________________________________________
キャピトルの丘

 石原都知事の講演後の記者会見を紹介しよう。

 なんと、東京都の職員は、「知事の気分次第」なので、記者会見をやるかやらないかはわからない、と当初語っていた。

 とりあえず私のミッションは、歓談後、石原都知事を記者会見の会場に連れてくること。

 全く心配は余計なお世話で、都知事自ら記者会見に赴いた。

 記者からの質問は「尖閣諸島購入」に集中した。

 ここでの石原都知事の発言で、「そんなに高くなかったこと」そして「合意は終了」しているということがわかった。

 そこで「議会の反応」と「東京都民の反応」についての質問も上がった。

 都知事は、「東京都の仕事は、まずは国を一番に考えることが当然だ」と一蹴した。議会についてもそれほど心配している様子はなかった。

 石原都知事の物言いは、前評判どおり確かに刺激だった。

 その賛成、反対はさまざまであろう。

 だが、こういう考え方があることの提示にとどまらず、実際にやってしまうアイディアと行動力が人気の秘密だと感じた。

 とりわけ、私がもっとも感動したのは、フルナー所長との最初の出会いとなる会談で、石原都知事が、共通の知り合いであろう人との秘話を披露したことだ。

 都知事が若い参議院議員だったとき、ニクソン元大統領と心が通じた会話をした思い出をフルナー所長に語り、フルナー所長も、ニクソン元大統領との思い出を返していた。

 フルナー所長は、どこで覚えたのか日本語で「一番関係」と語り、石原都知事の来訪を歓迎した。

 そういう中でも、石原都知事は「アメリカでは日本に対して、太平洋戦争のトラウマはどのぐらい残っているのか」と信頼するアメリカ人にしか出来ない質問を、懇談の最後にして、フルナー所長を信頼していることを見せたように感じた。

 フルナー所長はその質問に対し「ないとはいえない。少ないが残っている。だが、そんなことを考えさせないような日米関係を今までに築いてきている」と真摯に答え、両者はランチの会場に赴くことになった。
 
 大物同士の会話になれていない私は、緊張の頂点にあった1日だった。


 横江 公美氏
 客員上級研究員・アジア研究センター Ph.D(政策)
 松下政経塾15期生、プリンストン客員研究員などを経て2011年7月からヘリテージ財団の客員上級研究員。著書に、「第五の権力 アメリカのシンクタンク(文芸春秋)」「判断力はどうすれば身につくのか(PHP)」「キャリアウーマンルールズ(K.Kベストセラーズ)」「日本にオバマは生まれるか(PHP)」などがある。

2012年04月19日

地方政治の現場から(松坂 吉則氏)

 地方政治の現場から

 千葉市連合支部 青年部長(千葉市議) 松坂 吉則

 生活保護と国保が千葉市の財政圧迫


 千葉市政最大の課題は財政再建です。昨年度、実質公債費率は政令指定都市でワーストワンでした。
 千葉市の財政は減収が続き、歳出では生活保護費などの扶助費、国民健康保険特別会計への繰出金の増加など、多額の財政需要が見込まれています。

 昨年、全国で生活保護受給者数が206万人と過去最多でしたが、千葉市も昨年末の受給者数が1万7000人を超えました。地方負担は4分の1ですが、当初予算額で281億4000万円、一般会計の約7.8%を占めています。
 生活保護費の支給総額の約40%が医療扶助ですが、無料で受診できるため歯止めがかからず、一度、受給が始まると働く意欲を失い、社会復帰が難しくなる面もあります。

 生活保護制度は最後のセーフティーネットです。
 しかし、政権交代後、国から窓口審査を柔軟に対応するよう求められ失業などを事由に、働く能力がある世帯への安易な支給が多くなったのではないかと思います。いかに不正受給を防止する努力をしても、一自治体の施策に限界を感じており、国による早期の制度改正を望みます。

 次は国民健康保険特別会計です。国保は高齢者、低所得者の加入割合が高く、医療費の増大によって財政基盤が弱体化しています。

 しかし、民主党政権から社会保障制度改革の具体像が一向に見えてきません。そこで昨年、自民党千葉市議団は「国民健康保険制度の抜本的改革を求める意見書」を国に手渡し、同制度の改革を要望しました。

 千葉市でも、民主党系の市長が滞納保険料の徴収強化などの収支改善努力をしないで、2度の国保料の値上げを断行したため、市民の理解を得られていない現状です。
 今、市議として活動していると、多くの方から自民党への激励の言葉をよく聞きます。

 これから自民党が政権奪還後に実現する具体的な政策を示し、党員が一丸となり戦っていかなくてはなりません。地方議員は市民に一番近い所で活動しているので、市民の声をしっかりと聞き、多くの提案や要望をしていきたいと考えています。
『自由民主』より

shige_tamura at 13:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!自由民主党 

2012年04月18日

良い結果もたらす政治主導とは(防衛大学校教授・村井友秀)

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック

 今朝(4月18日)の産経新聞・[正論]防衛大学校教授・村井友秀氏の「良い結果もたらす政治主導とは」は参考になります。
 昨今の政治主導、全てが正しいというわけでないのです。
 以下、掲載します。


 政治主導は常に良い結果をもたらすのか。政軍関係を通じて考えてみる。一般的に軍は軍事力を用いて問題を解決する傾向があり、軍に対し「政治統制」つまり政治主導を確立することが戦争への道を防ぐ効果的な方法であるといわれている。以下、中印戦争(1962年)に至るインドの動きに焦点を当てこの命題を考察する。

 ≪政治統制が効いていたインド≫

 インドでは、独立運動を率いたガンジーやネルーといった政治家が英雄として人気が高く、英領時代に独立運動を鎮圧するため英国が創設したインド軍は植民地主義の手先と見なされ、独立後も政治的影響力は低かった。インドでは「政治統制」は確立していた。

 中印戦争前のインドでは、多くの国民が自国が攻撃される可能性はほとんどないと考えていた。ガンジーによる非暴力不服従運動は世界中に知られており、インドが持つ平和主義のイメージによっていかなる国もインドを攻撃することをためらうであろう、インドのような平和愛好国を攻撃して世界から非難されるようなことをする国があるとは思えない、中国は国連代表権その他でインドの世話になっているのだから、インドを攻撃するはずがない、という考え方がネルーの頭を支配していた。

 その一方で、中華人民共和国が成立したとき、ネルーは、「歴史的に見て、強大な中国が成立したときは常に拡張主義的であり、中国の工業と人口の急激な拡大は爆発的な情勢を生み出す」とも語っていた。ネルーの対中戦略の基本は、中国との友好関係を強化することによって、中国の拡張主義を阻止するというものであった。

 この政策は、中国の攻撃性を抑止することができる積極的なものでなければならず、単なる譲歩や安易な妥協は、中国の拡張主義を助長するだけであるとされた。ネルーは「友好関係は強者と弱者の間には存在しない。人でも国家でも友人であるためには平等と尊敬が必要である」と述べている。

 ≪ネルーに中印戦争迫った世論≫

 1950年代、中印国境線に関して中印両国の見解は一致せず、国境侵犯問題で双方が抗議を繰り返していた。59年3月、チベットで中国共産党の支配に抵抗する反乱が発生し、中国軍の鎮圧作戦を逃れたチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世がインドに亡命した。こうした状況下で、双方の対立は抗議の応酬から軍事行動へエスカレートし、国境線をパトロールするインド軍に戦死者が出るに及んで、インド世論の中国への敵意は急速に高まっていった。

 インドの新聞は「中国の目的は強大な軍事力を誇示することによって、インドの進出を阻止し、インドの名誉を傷つけ、アジアの人々のインドに対する信頼感を打ち砕くことにある」と主張した。

 ネルーは当初、中国との対立をエスカレートさせることに消極的であったが、そんなネルーの態度にインド世論は反発した。当時の新聞は、ネルーの「軟弱外交」を非難し、「中国の脅迫に屈服してはならない」と叱咤(しった)した。インドは民主主義国家であり、政治家は選挙に落選すれば権力を失う。

 軍事行動支持の世論が高まる中で、当初は攻撃的姿勢を戒めていたネルーも態度を変えて、インド軍幹部に「インドは中国の侵入を長く黙認し過ぎた。今こそ、強い態度で全力を挙げて中国人を追い出さなければならない。さもないと政府は完全に国民の信頼を失ってしまうであろう」と述べた。

 ≪軍の反対押し切り甚大な被害≫

 こうして、ネルーは中国との対立を激化させていく。中国軍と直接対峙(たいじ)していた前線のインド軍司令官は、十分な準備もなく戦争を始めようとする政治的決定に反対する意見を上申した。だが、「現在の兵力では中国軍を撃退できない」という軍人の警告は却下される。ネルーの判断に異論を唱えた軍人は解任されて軍法会議に付され、「政治統制」は守られた。

 ネルーは「インドの平和主義は道徳的な機甲部隊となってインド軍を守るだろう」と語っている。民主主義国で軍が政権を倒したり政治に圧力をかけたりすることはあってはならないが、軍事専門家として政治に適切な助言を行うことは「政治統制」の重要な要素の一つである。伝統的に軍人を嫌っていたインドの政治家は十分な軍事知識を持たず、軍事的要素を無視した決定を下したのである。

 62年10月20日、中印両軍の間で大規模な戦闘が始まり、11月20日に戦闘は終了した。インド軍の損害は、戦闘に参加した2個旅団の戦死、捕虜、行方不明者の合計が7047人(兵員の約70%)、第7旅団長が中国軍の捕虜になり、第62旅団長が戦死した。東北辺境特別区のインド軍は壊滅した。

 「民主主義」と「政治統制」は「軍国主義化」を阻む最も効果的な体制であるといわれている。しかし、好戦的な国民が存在する国では、政治家が冒険的な対外政策を主張することによって国民の人気を得ようとする傾向がある。政治主導が良い結果をもたらすためには、有能な政治家と冷静で合理的な国民の存在が不可欠である。

2012年04月16日

講義録・佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)(その4、終わり)

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック

 佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)
 これは4月7日(土)慶應義塾大学に於いての「日本論語研究会」での講義録です。非常に良い内容です。
 以下、掲載します。


(『言志四録』から六つ)

 最後に、『言志四録』の中から私の好きな言葉を6つ紹介します。
 原文の部分は、二度読みます。

 惴聖嶇拭26条
 事を慮るは周詳ならんことを欲し、
 事を処するは易簡ならんことを欲す。

(現代語訳)

 物事を考える場合には、周到かつ綿密でありたい。
 そして実行する段階になったら、素早く行いなさい。
―となります。
 私の経験上、考えながら行動すると、たいがい失敗します。考えるときは、とことん考えて、行動するときは心配事を断ち切って無心になることが大切です。
 ビジネス『論語』活用法の著者である、経営コンサルタントの小宮一慶氏は、「ビジネスで成功する人は、皆例外なくせっかち」と述べられています。つまり、すぐ行動することにより、失敗も成功も良いことも悪いことも、経験する回数が多くなります。経験値が上がれば人間は、一つ上の階段を登ることができます。
 せっかちであれば、事前の準備がしっかりできるので、気持ちに余裕が生まれます。
 ですから私は、大きなメリットがあると思います。

◆惴聖峺縅拭33条
 春風をもって人に接し、
 秋霜をもって自ら粛む。

(現代語訳)

 春風のような暖かさで人に接し、秋の霜のような峻厳さで自分の行ないを正す。
 つまり、「他人には優しく、自分には厳しく」ということを表した言葉です。ところが、世の中はこの言葉とは逆に自分に甘い人が多い気がします。自分の至らぬ点などおかまいなしで、人の欠点ばかりを指摘し、他人の忠告に耳を傾けようとしません。そうすることにより、人がどんどん離れて行きます。
 思い当たる人は、この言葉を肝に銘じてはいかがでしょうか。

『言志後録』68条

 好みて大言をなす者あり。
 その人必ず小量なり。
 好みて壮語をなす者あり。
 その人必ず怯愞なり。
 ただ言語の大ならず壮ならず、中に含蓄ある者、
 多くはこれ識量弘恢の人物なり。

(現代語訳)

 世の中には、よく大きなことをいう者がいるが、そんな人はだいたい度量が狭い。
 また、強がりをいう人がいるが、そんな人は必ず臆病な人である。
 大言でもなく、壮語でもなく、言葉の奥に深い意味を含んでいる人こそ、見識が高く、度量も広い人物である。
 私もそうなれるよう、研鑽を積んで行きます。「弱い犬ほどよく吠える」の格言通りではないでしょうか。

ぁ惴聖峺縅拭198条

 人主の学は、智仁勇の三字に在り。
 よくこれを自得せば、ひとり終身受用して尽きざるのみならず、
 しかも掀天掲地の事業、憲を後昆に垂るべき者も、また断じてこれを出でじ。

(現代語訳)

 リーダーになる者が学ぶべきことは、智・仁・勇の三文字にある。
「智者は惑わず」「仁者は憂えず」「勇者は恐れず」の三つを身につければ、生涯道を誤ることもなく、驚天動地の事業も成し遂げられるし、後世に立派な手本を遺すことができよう。
 この三文字を身につけて断固として実行しよう。
 となります。『論語』にも出てくる有名な言葉です。
「智者」は、分析力・判断力の高い人物。「仁者」は、周りの人を人として認めて接する、思いやりの心を持った人物。「勇者」は、困難な状況でも是非の判断に沿い行動する人物。を指しています。
 ちなみに、1993年(平成5年)7月22日、自民党両院議員総会で宮沢喜一氏が、総理退陣を表明した際の最後の挨拶に、「智者は惑わず」「仁者は憂えず」「勇者は恐れず」を引用しています。

 今、橋下徹さんの大阪維新の会が話題を集めていますが、当時は、細川さんの日本新党、小沢さん・羽田さんの新生党、武村さん・鳩山さんの新党さきがけ、が結成され注目されました。残念なことに、現在残っている政党は一つもありません。その後、誕生した新進党、それから保守新党、政党名に新という文字が入ると長く続きません。今、国民新党が連立維持派と連立離脱派に対応が分かれ危ないところです。
昨日ニュースを見ていたら、亀井静香氏が代表のまま離党すると記者会見してましたね。
 大切なのは、継続すること、続けることです。
 

 一斎の学問は大きく分けると二つのことに尽きるのではないでしょうか。
 一つは自分自身を治めること、もう一つは治者の心得のことであります。
 治者とは政治家や官僚のことで、その立場にいる者は、どんな見方、考え方をしたらいいのか、つまりリーダー論と考えていいでしょう。
 そしてその根底のあるのは徳(人としての道)を明らかにすることです。徳を明らかにするとは国を治めること。国を治めることを明らかにするためには家を治めること。家を治めるとは、要するに自分を治めることであります。さらに、自分を治めるとは自分の心を深く治めることです。つまり、自分の心を治めることが、真理に到達します。
 話が少しそれたので、元に戻します。

ァ惴聖嵌嬾拭13条

 一燈を提げて暗夜を行く。
 暗夜を憂うることなかれ。
 ただ一燈を頼め。

(現代語訳)

 暗い夜道を一つの提灯を提げて行く。どんなに暗くても心配する必要はない。
 ただ一つの信念を信頼して進めばよいのだ。ここでの一燈とは、「私にはこれがある。」と思えるもののことを指します。何か一つでも得意なものがあれば、困難を乗り越えられることを表しています。

Α惴聖耊録』125条

 口舌をもって諭す者は、人従うことを肯ぜず。
 躬行をもって率いる者は、人効うてこれに従う。
 道徳をもって化する者は、
 すなわち人自然に服従して痕跡を見ず。

(現代語訳)

 口先だけで人を諭そうとしても、誰も従ってはくれない。みずから先頭に立って実行すれば、人はみなこれに見習うものである。そしてさらに道徳をもって感化すれば、人は自然に一人残らず心服してついてきてくれる。
 この言葉からやはり、リーダーは率先垂範が大切であることを教えてくれます。
 連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃を指揮した、山本五十六元帥の言葉に「やって見せ、言って聞かせ、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ。」とあります。
 また、世界のホンダといわれた本田宗一郎氏は生前、日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は最低なのである。と述べられています。


(何もしたがらない原因)

 一般的に、何もしたがらない原因は三つあると思います。
 一つ目は、変化を嫌がる心です。新たなことにチャレンジすると苦労は避けて通れません。それを嫌がって、怠けてしまうのです。
 二つ目は、失敗を恐れる心です。「失敗したらどうしよう。」「失敗したら恥ずかしい」と考え、自分をかばうために行動しないのです。
 三つ目は、手順がわからないという不安です。意欲はあるものの、どうやってよいのか、手順と方法がわからない。だから行動につなげられません。
 これら三つのうちのどれか一つ、または複数を言い訳にして、「また今度にしよう」と先延ばしにしてしまうのです。

 山本五十六元帥、本田宗一郎の言葉から、一番よくないことは、何もしないことだと私自身強く感じます。

 先程私が読んだ『言志録』26条にあったように、「何かやろうと思ったら、すぐ行動する。」これに尽きるのではないでしょうか。
 今回『言志四録』を読んで感じたことは、一斎の教えは、決して過激なものではありません。


(上り坂・下り坂・ま坂)

 人間の生き方の基本を短い言葉でわかりやすく表現しています。
 彼が亡くなり153年も経っています。
 当時とは比べものにならないほど、科学技術が進歩・発展していることは間違いない事実です。しかし我々が日常生活で悩むことと言ったら、仕事や人間関係がほとんどではないでしょうか。
 そのことは、生活する環境が違っても当時とあまり変わっていないと思います。私自身ブレない生き方ができるように、今後も一斎の言葉を意識し日々精進して行きます。

 ある人が坂には、三つあると言いました。
 上り坂・下り坂・そしてま坂です。

 私が29歳で慶応義塾大学の教壇に立つことができたのは、ま坂に入ります。私にとって最高に運の良いま坂になりました。
 最後になりますが、本日それぞれの御用を割いてお越し下さった皆様に、心より感謝申し上げます。
 次の阿部祐太さんに、バトンタッチし、終わりとします。
 ご清聴、ありがとうございました。
天人




カラオケDAMにぼくの歌「天に向かって!」が入りました。
「日本を美しく!」も入ってますので、2曲になりました。よろしく!

2012年04月13日

北朝鮮ミサイル発射、失敗。自民党の立場。

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック

 自民党では、北朝鮮ミサイル発射、失敗。
 を受けて、「北朝鮮ミサイル問題緊急対策会議」を開催、声明を決定しました。

 以下は、石原伸晃幹事長 ぶら下がりです。
(平成24年4月13日(金)10:55〜11:02 於:党本部4階エレベーターホール)

【冒頭発言】
 ただいまの「北朝鮮ミサイル問題緊急対策会議」で、北朝鮮のミサイル発射に対する声明を決定しましたので、ここで朗読いたします。
________________________________________

 北朝鮮のミサイル発射に対する声明

 平成24年4月13日
 自由民主党

 本日、北朝鮮がミサイル発射を行ったが、失敗した。
 わが国及び米国・韓国をはじめとする国際社会が、北朝鮮に対し再三にわたり強く自制を求めていたにも関わらず、発射を強行したことは、わが国のみならず、東アジア地域全体の平和と安全を大きく損なう行為であり、断じて容認できるものではない。
 今回の北朝鮮の挑発的行為は、弾道ミサイル発射やその技術の使用を禁止した一連の国連安保理決議に明確に違反しており、政府に対し、北朝鮮に断固たる抗議の意思を表明するとともに、米国・韓国をはじめとする関係国と緊密に連携し、さらには中国と意思疎通を図りつつ、ミサイル発射問題を直ちに国連安保理で取り上げて、国際社会の一致した意思を決議で明確にすべく、さらなる外交努力を行うことを強く求める。
 また政府は、国連や各国の動きをにらみながら、わが国独自の対北朝鮮措置の徹底を図るとともに、わが党の拉致問題対策特別委員会にて取りまとめた追加的な措置に対しても早急に検討し、決定すべきである。
 さらに今回のミサイル発射は、政府の情報収集及び把握、国民に対する迅速で的確な情報提供という点で不安を露呈した。政府に対し、今後とも国民への情報伝達・訓練体制等の一層の充実を始めとする国民保護措置を強化し、弾道ミサイル防衛体制の更なる整備等に万全を尽くすことを求める。
________________________________________
 この声明を発表させていただきます。


【質疑応答】

Q:今回の政府の初動体制について、幹事長のご所見をお聞かせください。

A:これはEm-Net(エムネット)を通じて、8時3分の段階で「発射を確認せず」ということを流したわけです。そして、8時23分に、防衛大臣が飛翔体の発射を確認した情報があるということをお認めになったと。政府として、タイムラグがあるということと、アメリカからもたらされましたいわゆるSEW(早期警戒情報)にプラスして、何をもって、このミサイルの発射というものを確認したのかということについても、明らかにしていかなければいけません。
 そこにタイムラグがあるということは、その間に、ミサイルが本当に飛んでいたとしたら、我が国に飛来する可能性もゼロではないわけですから、この点と、防衛省との内閣官房の間に連絡の不首尾があることが、今、ヒアリングした段階で明らかになりましたので、国会等々で、安全保障委員会、予算委員会の集中審議を求めてまいります。その場で政府を質していきたいと思います。

Q:今回のミサイル発射は失敗のようですが、この失敗という結果が金正恩体制や東アジアに対し、どのような影響があるとお考えですか。

A:これは、北朝鮮が海外メディアも平壌に呼んでいるわけですから、何と発表するのか、そういうことをしっかり分析した上で、どのような影響が出るか、政府として、私どもも情報を収集して、適切な対応を取らせていただきたいと思います。

Q:集中審議を求めるとのことですが、どのような題目で求めていくのですか。

A:この問題、北東アジアの安全保障が著しく阻害された今回の事案並びに、忘れてはならない鳩山元総理のイラン訪問です。

Q:政府は7時40分に飛翔体が発射されたことを認識していながら、その23分後に、Em-Netで発射を確認してないとの情報を流しています。その間に、海外メディア等で発射の可能性についての報道がなされ、結果として情報伝達が遅れたことについて、幹事長の受け止めをお聞かせください。

A:先程指摘させていただいたように、私どもの声明で明らかにさせていただいたように、政府が一に心掛けることは、国民の安全なのです。ここにこのような誤差、タイムラグがある限りは、ミサイルが飛来する可能性がある。その時系列、何時に発射を確認したのか、答弁できませんでした。
 この後11時30分からわが党の外交・国防合同部会がありますので、防衛省と内閣官房には、しっかり答えられるように、という話をさせていただきました。これも含めて、国民の皆さんが一番関心のあるところですし、ある意味では、誤報を打っているのに等しいことですので、ここは質していかなければいけない点だと思います。

Q:国民の安全を担保しきれない状況であったというお考えですか。

A:Em-Netを皆さん見ているわけですから、現に発射されているわけです。7時40分にSEWで。しかも、北朝鮮の西海岸のところで、熱で感知したわけですから、しかも数分の後に大気圏を越えて、百数十キロまで上がったとするならば、情報は確認できるわけです。何をもって、情報を確認したということは、秘密であるから、私どもが質すつもりはありませんが、そういうことがありながら、内閣官房として、誤った情報、誤ったと思われる情報を発信したことは、非常に大きな問題、禍根を残したと思います。

Q:民主党政権の政権担当能力ということで、追及されるのですか。

A:これはもう少し、どこにどういう原因があったのか、今の段階では明らかになっておりません。当然、為政者としての責任はあると思いますが、どこにこういうような事態を招いた原因があるのか、与野党関係なく質していかなければならない、国民の安全に関する問題だと思っています。

shige_tamura at 13:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

講義録・佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)(その3)

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック

 佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)
 これは4月7日(土)慶應義塾大学に於いての「日本論語研究会」での講義録です。非常に良い内容です。
 以下、掲載します。


(佐藤一斎の生涯)

 前置きが少し長くなりましたが、ここから本題、佐藤一斎の生涯についてお話します。
 一斎は、歴史上の有名な人物にものすごい影響を与えています。が、しかし、本人の知名度はお世辞にも高いとは、言えません。
 そこで今回どういう人物なのか調べて見ようと、思い立ったことが発表の動機です。
 皆さん、お手元の略年譜をご覧下さい。

 一斎は、1772年(安永元年)10月20日、美濃岩村藩(現在の岐阜県)の江戸下屋敷で佐藤信由の次男として生まれました。
 一斎が生まれる以前に、長男を幼くして亡くしていたため、佐藤家では、三男小菅信久を長女の婿として養子に迎えます。そこへ一斎が生まれたので困った父は、一斎を信久の養子にして家督を継がせることにします。ところがそこへ信久に長男・信義が生まれたので、一斎は跡目をその子に譲って一家を興すことになります。
 この一件があって、一斎の独立心は早くから培われたようです。幼い頃から読書を好み、武芸にもすぐれていました。特に書は名筆家といわれた父・信由譲りの才能を発揮して、頭角を現していたようです。

 少年時代に書いた書は、現在、東京国立博物館に残されています。

 その努力のかいもあって、13歳頃には成人と同じ扱いを受けていたそうです。
 1792年(寛政4年)21歳のとき、儒学で身を立てることを決意し、大坂の碩学・中井竹山に入門します。この竹山という人物は、寛政の改革をした松平定信が政治の指南を仰いだ儒学の大家であります。竹山は一斎の入門を喜び、厳しく朱子学を指導します。1805年(文化2年)、34歳で林家の塾長になります。
 このときすでに一斎の名は高く、門下生が全国から集まります。
 そして、不朽の名著『言志四録』を書き始めたのは、1813年(文化10年)42歳のときです。林家の塾長として講義する間や、終わった後の時間を使って書いています。
『言志四録』は、4つの段階で構成され、『言志録』、『言志後録』、『言志晩録』、『言志耋録』となります。

 私は、一斎について勉強するまでそのことを知らず、『言志四録』というタイトルで1つの本だと思い込んでいました。
 第1編の『言志録』は、246条からなり、11年かけて完成しています。
 第2編の『言志後録』は、255条からなり、10年かけて完成しています。
 第3編の『言志晩録』は、292条からなり、12年かけて完成しています。
 最終編の『言志耋録』は、340条からなり、2年かけて完成しています。
 トータルしますと、1,133条からなります。
 最終編の『言志耋録』を書き終えたとき、一斎は82歳になっています。

 『言志録』を書き始めたとき42歳だったので、何とすごいことに40年間という歳月を費やして、『言志四録』を完成させています。
 この執筆期間には社会の変化が著しく、取り上げるテーマや内容も多岐にわたり、倫理・道徳から政治・経済、芸術・文化と幅広くなっています。
 短い言葉でわかりやすく表現していることから、政財界から文化人、学生にいたるまで広い階層に歓迎され、大きな感銘を与えました。

 なお、『言志録』の書名の由来については定かではありませんが、『論語』からとられているという説があります。
 孔子が弟子の顔淵と子路に「お前たちの志を聞かせてくれないか。」と問いかけます。二人がそれぞれの志を述べた後、今度は子路が孔子に向かって、「願わくば、先生の志を教えて下さい。」と言います。孔子は、「老人には安心されるように、友達からは信頼され、若者には慕われるようになることだ。」と言われたそうです。
 おそらく、この『論語』の記述から名づけられたのでしょう。

 1854年(安政元年)83歳のとき、日米和親条約締結に際し、日本代表の交渉役・林復斎をサポートし、外交文書作成に尽力します。
 そして、1859年(安政6年)9月24日、88歳で帰らぬ人となります。

 墓は、東京都港区六本木の高明山深広寺にあります。
 偶然ではありますが、同じ年の翌月10月27日、吉田松陰が29歳の若さで亡くなっています。
 余談ですが坂の上の雲で登場する「日本騎兵の父」「最後の武士」などと呼ばれた
秋山好古は、一斎が亡くなった年、1859年(安政6年)1月7日に誕生しました。
(続く)

2012年04月12日

講義録・佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)(その2)

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック

 佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)
 これは4月7日(土)慶應義塾大学に於いての「日本論語研究会」での講義録です。非常に良い内容です。
 以下、掲載します。


(今日一日を一生懸命生きる)

 『言志晩録』175条に、

 心は現在なるを要す。
 事未だ来らざるに、向うべからず。
 事已に往けるに、追うべからず。
 わずかに追いわずかに向うとも、すなわちこれ放心なり。
――とあります。

 現代語訳にしますと、

 時間は時々刻々と移り変わるが、自分の心は「現在」に据えておかなければならない。
 時機が到来していないものを迎えることは不可能だし、また過ぎ去って行ってしまったものを追いかけても追いつけない。
 少しでも過去のことに未練をもって追いかけたり、まだやっても来ないものに気を揉んだりするのは、「心の不在」を示すものである。
 大切なことは、今日一日を一生懸命生きることです。

 今日という日は、今日しかありません。


(小泉元総理はなぜ長期政権が可能だったか?)

 『論語』や佐藤一斎の勉強といった人間学を小泉元総理はしっかり学んでいたからこそ、歴代3位の1980日という長期政権を築くことができたと私は考えます。
 歴代3位の記録は抜かれましたが、中曽根康弘元総理についても同様のことが言えると考えます。
 ちなみに私が大学在学中2001年4月から2005年3月にかけまして、ずっと総理は、小泉氏が努めていました。
 残念ながら、その後の総理が1年足らずで変わってしまうので、もっとしっかりして欲しいという気持ちになります。


(佐藤一斎の『重職心得箇条』)

 それに対して小泉内閣で外務大臣として入閣した田中真紀子氏は、外務省問題で官僚との対立があり、1年持たず去っています。問題が起こっている最中、小泉総理は、田中氏に一斎の『重職心得箇条』をプレゼントしています。このとき彼女は、「こんな江戸時代のカビの生えた話など要らないわよ。」と言い放ったそうです。
 とてもではありませんが、『重職心得箇条』の内容を少しでも知っていれば、そんな発言はできないと考えます。

 『重職心得箇条』は、1826年(文政9年)一斎が55歳のとき、重臣向けに書いた指導書です。当時、他に類書がないことから引っ張りだことなり、噂を聞いた諸大名が大金を払って書き写したという逸話があります。

 全部で17条からなります。

 そのうち、第11条と第12条をここでご紹介します。

 第11条

 胸中を豁大寛宏にすべし。
 僅少の事を大造に心得て、狭迫なる振舞あるべからず。
 仮令才ありても其用を果さず。
 人を容るる気象と物を蓄る器量こそ、誠に大臣の体と云うべし。

(現代語訳)

 広くて大きいゆるやかな心の持ち主であることが重職には求められる。
 些細なことに大袈裟に反応して、こせこせ立ち回るようでは、たとえ、どれほど優れた才能の持ち主であろうと、重職失格である。
 どんな人間でも受け容れる広い心、どんな物事でも抱え込める大きな器量こそが、本当の大臣(重職)の姿といえよう。

 第12条

 大臣たるもの胸中に定見ありて、見込みたる事を貫き通すべき元より也。
 然れども又虚懐公平にして人言を採り、沛然と一時に転化すべき事もあり。
 此虚懐転化なきは我意の弊を免れがたし。能々視察あるべし。


(現代語訳)

 大臣たるものは、胸中に確固たる思想・信念を持ち、決めたことを貫き通すようでなくてはならない。しかしながら、虚心坦懐に他人の意見を聞いて、それが正しい意見ならば公平にそれを採用し、自分が下した決定を急遽変更することはかまわない。
 この虚心坦懐に他人の意見を聞き入れる柔軟な気持ちと公平な眼こそが、大臣に必要な資質なのである。もしこれに欠けていると、何がなんでも自分の意見をゴリ押しする弊害の原因となる。よくよく自省することである。

 17条全部理解しなくても、1つでも2つでも知っていれば結果は、違っていたのではないでしょうか。

 今から約11年前の自民党総裁選のとき、小泉元総理と田中真紀子元外務大臣の人気はすごかったと記憶しています。当時、私はテレビでそのすごさに圧倒されました。
 現在、冷静に考えて思うことは、小泉元総理が、国民的人気があるだけでなく、指導者のあり方をきちんと勉強していたのに対し、田中真紀子氏は国民的人気だけで、指導者のあり方を残念ながら勉強していなかったと言えます。
 この差が、在任期間に表れています。
 奥様の田中真紀子氏の方がクローズアップされますが、ご主人の田中直紀氏が、野田内閣の防衛大臣として今大変苦労していますね。
(続く)

ランキング一覧

人気blogランキング

人気blogランキングに参加しました。
応援よろしくお願いします。
月別アーカイブ
最新コメント