2011年09月

2011年09月30日

安全保障(その1、2)岡崎研究所所長 岡崎 久彦

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国のかたちを考える
安全保障(その1)
岡崎研究所所長 岡崎 久彦
を掲載します。今こそ、安全保障をしっかりと考える時です。


 日本の安全と繁栄に不可欠な日米同盟


 鳩山民主党政権が出現して以来日米関係は漂流している。これをいかに安定、強化させるかに日本の国益がかかっている。

 日米同盟強化の方策は、すでに、西暦2000年のアーミテイジ・ナイ報告に書いてある。2000年の大統領選挙は、マイアミでなかなか決着がつかなかった選挙であり、共和、民主いずれの党が政権を取るか全く分からない中で行われた超党派の提言であって、その後も長く米国務省の指針となっていた。


 日米関係を英米関係のように


 長文の報告であるが、大事な点は二つである。
 まず長期的な目標は日米関係を英米関係と同じようにすることであり、そのための具体策としては日本が集団的自衛権の行使を認めることである。

 日本にとって日米同盟が必要なことは言うまでもない。日本が国際政治の荒波に初めて直面した開国以来1世紀半、島国日本の安全にとって、七つの海を支配してきたアングロ・アメリカン世界との良好な関係を保つことが日本の安全と経済にとって死活的利益であった。

 現に日本が孤立して破滅の道を歩んだ満州事変、日独伊3国同盟、真珠湾から敗戦までの15年間という例外を除いて、その前の70年余り、そして敗戦後現在に至る70年近くは、日本は、アングロ・アメリカン世界との関係が良好かあるいは同盟関係であり、その間、日本は安全と自由と繁栄を享受していた。


 米国とユーラシア大陸の関係


 アングロ・アメリカの世界覇権が続く限り、日米同盟は日本の安全と繁栄にとって不可欠である。ここで従来懸念されているのは、日本にとって日米同盟は不可欠であるが、米国が同じように考えているかどうかということである。

 その答えは、アーミテイジ・ナイ報告が出している通りである。

 米国は大陸国家であるが、その最大の問題はユーラシア大陸との関係をどうするかということである。ユーラシア大陸には、中国、ロシア、インドだけでなく、ドイツ、フランスなど、それぞれ経済的にオータルキック(自給自足可能)であり、政治的にも米国の思うままにならない国々がある。

 米国にとって最も望ましい形は、大西洋をはさんで英国、太平洋をはさんで日本という確固たる同盟国があって、その上でユーラシア大陸をバランス・オブ・パワーで扱うことである。もし日米同盟が有効に機能し、その役割を果たせば、米国にとっても死活的重要性があることになる。


国のかたちを考える
安全保障(2)
岡崎研究所所長 岡崎 久彦


 集団的自衛権が戦後レジーム脱却の完成


 集団的自衛権の行使を認めることは、日本の安全にとって、そして、日米同盟を安定した基盤に置くために必要不可欠であるだけでなく、それは戦後レジームからの脱却の完成を意味する。

 戦後レジームといっても、戦後米占領軍が行った改革のほとんどは、日本自身が必要として、自ら改革したものである。


 占領軍による弱体化政策


 明治憲法は、当時の世界のすべての憲法と同じように、英国の権利宣言の流れをくみ、国民の権利を保障するものであった。それは明治維新以来の自由民権運動が多年の辛苦の上、勝ち取ったものであった。現に、予算の増額には衆議院の承認を要するという規定は、明治憲法のモデルと言われるプロシア憲法にもない進歩的な規定である。その結果野党の意向を尊重せざるを得ず、ドイツでは第1次大戦後まで成立しなかった政党内閣が、憲法制定後間もなく大隈、板垣内閣として成立している。

 ただ、もともと「法律の定めるところにより」とあり、日本が、日英同盟から離れて孤立化し、隣国ロシアからは共産主義の脅威が迫り、中国では国権回復運動によって日本の既得権益が脅かされるに至って、非常時立法による制限が課されるようになった。

 それは、戦争が終われば当然廃止されるものであり、言論、結社の自由の制限などは、米軍の到着前に、日本政府によって解除された。そして、婦人参政権、農地解放、労働組合活動などは、大正デモクラシー以来の流れの継続として、米占領軍の指令が来るまでに実施の方針は決まり、マッカーサーもそれに満足の意を表している。

 日本が望まないのに、占領軍の指令で強行されたものの中で、公職追放と財閥解体は、もともと旧敵国日本の弱体化政策であり、占領中に次々に解除された。



 憲法改正が今後の最大課題


 残るのは、憲法と教育関係法だけであったが、教育3法については、戦後レジームからの脱却に努めた安倍内閣によって改正され、今はその内容の完全な実施だけが課題となっている。

 その答えは、アーミテイジ・ナイ報告が出している通りである。

 ただ、その内容があまりに非常識であるためもあって、実質上の改正は行われざるを得ず、現に行われている。

 憲法について最終解釈権を持つ最高裁判所は、憲法は主権国として持つ固有の自衛権を否定するものでない、と解釈している。「固有の」は憲法以前からある自然権の意味であり、それによって日本の国防も自衛隊も合憲とされている。実行上残っている唯一の障害は、日本は権利を有するがその行使は許されないという、支離滅裂な解釈がそのまま維持されている集団的自衛権の行使の問題だけである。これが戦後レジーム脱却の最後の仕上げである
(『自由民主』より)

2011年09月29日

語る 河野洋平元総裁 第3回

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語る 河野洋平元総裁 第3回をお送りします。


 辞表を胸に両院議員総会に臨む

 平成6年、社会党と連立を組むことで、わが党を政権に復帰させた河野洋平元総裁。困難とみられた社会党との連立に向け、同党の村山富市委員長をどのように説得したのか。また、政権奪還を目指す谷垣禎一総裁へのアドバイスは。河野元総裁が語った。


「混乱する政治を収拾するために、政治生命をかけて村山富市委員長を説得した」

 羽田内閣が平成6年に総辞職した後、社会党と連立を組み、村山富市委員長を総理にしました。自民党と社会党が組めるはずがないという人が党内にもいました。しかし、私はそうは思いませんでした。社会党はこれまで保守の小沢一郎さんと組んで、中道政権を担ってきました。小沢さんたちと組んでいながら自民党とは組めないという理屈はないだろうと私は思っていました。

 混乱する政治を収拾するためには、第1党と第2党が組んで責任を果たさなければならないと考え、社会党と話し合ったのです。そして、正当性があると思えない権力の二重構造が見られる権力主義的政治運営を行っている政権をなんとしても倒さなければと思っていました。

 それでも、自民党が社会党と組むということは大変なことです。首班指名で、自民党が、社会党の党首の名前を書くということは、立党以来一度もなかったことです。

 そういう前代未聞のことをやろうというわけですから、私は直接、村山さんと会って、「どうしてもあなたにやってもらいたい」と政治生命をかけて説得しました。

 村山さんが「なぜ河野さん、あなたじゃなくて私なんだ。第1党のあなたがやればいいじゃないか」と言うから、「いや、私がやったってだめだ。私がやったって社会党は全員が『河野洋平』と書かないだろう。あなたがやるなら自民党は一致して『村山富市』と書くよ」と答えました。「ほんとかい?」って言うから、「絶対書かせる」と約束して、それで村山さんも最後は「じゃ、やりましょう」ということになりました。


「村山首班指名が了承されなければ、 総裁を辞任するつもりだった」

 村山さんには引き受けてもらったのですが、実は自民党内を説得できるかどうかという問題がまだ残っていました。しかし、首班指名まで時間がなく、総務会を開く間もありません。首班指名の直前、両院議員総会を開いて、ここで私の提案を了承してもらえるかどうかが勝負でした。両院議員総会では「社会党なんて担げるか、自民党の政策綱領はどうなるんだ」などと厳しい意見が続きました。

 しかし、村山さんと同じ大分県出身の衛藤晟一代議士が「みんないろいろ言うけれども、私は村山さんの家の向かい側に住んでいる。その私は、次の選挙で村山富市と戦わなきゃならなくなる。それでも今は村山を担ぐ以外に自民党の生きる道はないじゃないか。やろうじゃないか」と言ってくれました。衛藤さんの演説でだいぶ党内の雰囲気が変わりました。

 それで、なんとか村山首班指名ということになったのですが、それは本会議のベルが鳴る寸前でした。私は、了承が得られなければ、総裁を辞任するつもりでいました。私はこの時、辞表を胸に持って臨んだのです。


「野党の今、自民党を代表してテレビに出るのは谷垣総裁が基本」

 今、自民党は野党ですが、谷垣さんはとてもよくやっていると思います。総裁になると、まず党組織から、総裁は全国を回れ、全国の都道府県連や地方支部を回れと言ってきます。それは確かにその通りです。谷垣さんも今、ずいぶん地方を回っています。
 この前の総選挙で傷ついた人がたくさんいるのですから、それは確かに必要なことです。

 けれども、同時に大事なことは、もっと総裁が徹底的にテレビに出て、谷垣さんのテレビの露出度を今の何倍にも増やすことです。野党である今は、自民党を代表してテレビに出るのは総裁が基本です。次の総理に誰がふさわしいかという世論調査をやれば、露出度の高い人が票を集めるものです。

 ぶら下がりや記者会見はテレビ局の都合のいい部分だけが放映されるのでだめなんです。短い番組でもいいですから、最初からずっと谷垣さんの言っている肉声が放映されないといけません。そういうことをもっと考える必要があります。先日、谷垣さんにも大島理森副総裁にも、このことを申し上げました。
(近藤三津枝・党新聞出版局長が取材)



あの時、この時

―――村山首班決めた両院議員総会―――

 平成6年6月29日。会期最終日に開かれたわが党の両院議員総会で発言を求めた河野洋平総裁は静かに語り始めた。
「衆参両院議員の皆さん、わが党を支えてくださる全国党員の皆さん。総裁として誠に残念なことながら、第2党党首、村山富市氏に首班候補を要請した」
 とたんに会場はざわめき、不規則発言が多くなった。しかし、河野総裁はひるまない。
「わが党は耐えがたきを耐え、第1党としての責任を果たしていかなければならない」と次第に熱を帯び、最後に「党の命運をかけた大事なこの場面で、私は総裁としての責任をかけてこの決断を下した」と締めくくった。

 これに対し反対論が次々に展開された。しかし、河野元総裁も、本紙「語る」のインタビューでも回想しているように、村山委員長と同じ旧大分1区から選出されていた衛藤晟一議員の発言が流れを変えた。

 これにより河野総裁の決断は党議となった。その直後に本会議開会のベルが鳴り、全議員が議場になだれ込んでいった。

 わが党にとって苦渋の決断だった。しかし、これにより八つの政党・会派による細川護熙、羽田孜両連立政権によってもたらされた停滞と混乱に終止符が打たれ、政治に落ち着きが取り戻された。

 その後、自民、社会、さきがけの3党連立政権は橋本龍太郎内閣に引き継がれ、4年間のこの枠組みの間に、わが国初の本格的な連立政権として、直面していた多くの懸案を解決していった。
(『自由民主』より)

shige_tamura at 09:46|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!自由民主党 

2011年09月28日

減災・・戦略的に巨大災害に備える (関西学院大学教授 室崎 益輝)

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 大震災 復興への視点
 減災・・戦略的に巨大災害に備える

 これからの防災対策 (2)
 関西学院大学教授 室崎 益輝



 阪神・淡路大震災の後、防災という言葉に換わって減災という言葉が用いられるようになった。東日本大震災後の復興の議論においても、減災という考え方が強く打ち出されている。

 ところで、この減災は今までの防災とどう違うのであろうか。防災は、被害はゼロにできるという考えに立脚している。それに対して減災は、被害はゼロにできないという考え方に立脚している。ゼロにしようと思わずに、少しでもゼロに近づけようと考えるのが、減災なのである。


 多くの命を救う減災を重視

 小さなリスクについては、被害をゼロにするという「防災」でよい。例えば、寝たばこによる火災のような小さなリスクに対しては、禁煙をはかることに加えて、炎の出ないたばこの開発、防炎製品の義務化などで被害をゼロにすることが、可能である。
 それゆえ、防災でもよいのである。しかし、東日本大震災のような津波災害や富士山の噴火のような火山災害のような巨大リスクに対しては、被害をゼロにしようという不遜な考え方を持ってはならない。

 東日本大震災では、巨大な堤防で何が何でも被害をゼロにしようと考えた結果、避難誘導などが疎(おろそ)かになって多くの犠牲者の発生につながった。津波に堤防が乗り越えられ、家財が流されたとしても、一人でも多くの命を救おうとする減災的発想を重視しておれば、避難などの対応でもう少し犠牲者を少なくできたのでは、と悔やまれる。


 多重的備えで被害の減少を

 さて、この減災をもう少し実践的に考えよう。被害をゼロに近づけるということは、被害を少しでも減らすように試みる、ということである。ここから「対策の足し算による被害の引き算」という、減災の手法が浮かび上がってくる。少しでも減らそうと、小さな努力や着実な試みを積み重ね、被害をゼロに近づけるのである。

 ところで、この減災のための足し算では、闇雲(やみくも)に対策を足し合わせるのではなく、対策の個々の特質や相互の関係を勘案しつつ、効果的に足し合わせることが欠かせない。

 河川の氾濫などに対応する治水対策においては、「総合治水」ということが提唱されている。強大な堤防だけで浸水被害を防ごうとするのではなく、遊水地などの水を溜(た)める場所を設置したり、土地利用によって流入する水量を調整したり、迅速に避難できるシステムをつくったりして、多重的な備えで被害の減少を目指すのである。ここでは、対策の体系的な組み合わせ、有機的な重ね合わせということが、キーポイントとなる。


 戦略的な被害の軽減

 この対策の体系的な足し合わせということで、「4種類の足し算」を提起しておきたい。それは、時間の足し算、手段の足し算、空間の足し算、人間の足し算である。最初の時間の足し算というのは、災害が起きる前の対策としての予防、災害が起きている最中の対策としての応急、災害が起きた後の対策としての復旧あるいは復興という、時系列の異なる対策を足し合わせることをいう。住宅の地震対策において、予防段階の耐震補強と復興段階の再建支援を車の両輪のようにして取り組むのが、その良い例である。

 次の手段の足し算というのは、ハードな対策とソフトな対策、さらにはヒューマンな対策を組み合わせることをいう。津波対策でいうと、堤防で防ぐのはハード、避難に心がけるのはソフト、伝承をはかるのはヒューマンである。
 100年に一回の津波には堤防を主体に考え、1000年に一回の津波には避難を主体に考えるのである。

 3番目の空間の足し算は、幹線道路などのインフラ建設に代表される大きな空間の整備と路地裏などの清掃活動に代表される小さな空間の整備とを足し合わせることをいう。
 最後の人間の足し算は、行政と市民が被害軽減のために協力し合うことはいうまでもなく、さらに企業やコミュニティーの力を合わせる、NPOやボランティアそして専門家の力も足し合わせることを、要請している。

 こうした多種多様な対策の足し算により、被害の軽減を戦略的にはかっていくというのが、減災の神髄なのである。
(『自由民主』より)

shige_tamura at 16:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!東日本大地震 

2011年09月27日

語る (河野洋平元総裁 第2回)

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語る 河野洋平元総裁 第2回をお送りします。


 非常に戦闘力のある人材がたくさんいた

 前号(『自由民主』)で、政権奪還のためには、党の一致結束が不可欠だと説いた河野洋平元総裁。今号は、平成5年の総選挙の後、野党となったわが党が、8党・会派からなる細川連立政権に対し、どのようなスタンスで対峙(たいじ)し、倒閣していったかを語った。

 
 「与党に戻るという決意と、戻れるという希望が党を一つにした」


 平成5年の総選挙の後、わが党は下野しました。しかし、選挙に負けたかどうかは、きちんと検証する必要があります。自民党が過半数を取れなかったという意味では「負け」だったかもしれません。

 しかし、選挙前の議席数を1議席上回ったのです。圧倒的多数を獲得し、第1党ではありました。第2党は社会党で、わが党はその3倍以上の議席を確保していたのです。過半数に届かなかったのは、選挙前と選挙直後に離党者が出たからです。

 そこは、今の状態と大きく違います。野党とはいえ、とにかく圧倒的な第1党で、非常に戦闘力のある人材もたくさんいました。今は、やはり数が足りませんから、つらいと思います。第1回でも述べましたが、野党のときに大事なのは、党が一つにまとまるかどうかです。当時もパラパラと離党者が出ました。けれども、残った人はとにかく自分たちが頑張って与党に戻るという決意、そして、戻れるという希望を持っていました。だから、一つにまとまれたし、頑張れたのです。


「政治を歪める犖⇔呂瞭鷭店渋き瓩鯡燭けで阻止する思いでした」

 ただ、はじめて野党になったわけですからショックも大きく、選挙が終わって、どこか他の政党の一つと組めば政権を維持できたにもかかわらず、司令塔もなく、党再生論議や後継総裁選びに時間とエネルギーを費やして、その作業ができませんでした。その間に、八つの党・会派による非自民連合戦線みたいなのができてしまったのです。しかも、どういう手順でそうなったのか国民のまったく見えないところで、最大勢力の社会党の委員長ではなく、日本新党代表の細川護煕さんを総理に担ぎだしたのです。

 私は細川さんという人は、以前自民党にいた素晴らしい政治家だと思っていました。国民的な人気もありました。今までの指導者にない匂いがして、非常に新鮮に映りました。それから考え方も非常に柔軟で、吸収力もあるし、従来の政治家にない感性があって、とてもいい人材を総理にしたなという感じでした。だから、私の最初の代表質問のとき、背後にいる人の意見ではなく、あなたが国民のためにやろうと思って提案なさることを支持します。だからしっかりやってくださいとエールを送ったんです。しかし、内閣発足後数カ月で、「権力の二重構造」がはっきりしてきました。

「一・一ライン」と呼ばれて、小沢一郎さんと公明党の市川雄一さんなどで何事も決めていったんです。ついには社会党も完全に浮いてしまって、社会党の主張は何一つ通らなくなってしまいました。


「予算委員会で徹底的に論破して8カ月で細川政権を倒した」

 犖⇔呂瞭鷭店渋き瓩論治を大きく歪(ゆが)めます。ですから、私たちは、命がけでこれを阻止しなければならないという思いでした。

 当時の予算委員会は、野中広務さんや深谷隆司さんなど党内の実力者が第一列にいました。野中さんは京都で蜷川虎三共産党府政と、深谷さんは東京で美濃部亮吉革新都政と闘った経験があります。そういう戦闘経験のある人たちがフロントラインに並んでいたんです。だから予算委員会の議論は激しかったです。徹底的に政府を論破して、支持率が7割もあった細川政権をわずか8カ月あまりで倒すことができたのです。
(近藤三津枝・党新聞出版局長が取材)


 あの時、この時

―――大義なき細川連立政権―――

 平成5年8月9日に発足した細川護煕連立政権は、新生党、新党さきがけ、社会党、公明党、民社党、社会民主連合、日本新党、民主改革連合の7党1会派によるもので、国民的人気はあったが、理念も体質も異なる党派の集団だった。

 政権樹立に先駆けて合意した「連立政権に関する合意事項」と「基本政策の覚書」では、具体的記述があったのは、「政治改革の年内実現」のみだった。当時、日米同盟を破棄し自衛隊を違憲とする社会党が連立政権の第1党だったが、外交や防衛など国の基本政策はこれまでの自民党の政策を継承するなどの矛盾を内包し、不況の早期克服、行財政改革などの重要政策についても今後の協議にゆだねられた。要するに、目指すべき政策を何も持たず、「非自民政権の構築」ということだけで結集した「大義なき連立」だった。

 また、連立を束ねる有効な仕組みがなかったため、結果として、新生党代表幹事の小沢一郎氏と公明党書記長の市川雄一氏の「一・一ライン」により、重要事項が推進されることになり、権力の二重構造を生むことになった。

 政権唯一の共通目標である政治改革関連法の成立までは何とか、求心力を維持したが、その後は、主導権争いが激化。政権内の亀裂は深まった。

 決定的となったのは、「国民福祉税構想」だ。小沢氏らが同構想を進め、同6年2月3日未明、細川総理が発表したが、新党さきがけの武村正義官房長官や社会党の猛反発で、白紙に戻った。

 これを境に、政権の求心力は急激に低下。その後、細川総理は4月8日、細川総理自身の政治とカネの問題で国会が空転していることを理由に、辞任を表明した。
 細川政権は発足当初、新しい政治への期待を国民に抱かせた。それだけに、その反動からくる国民の失望は大きく、その後の国民の政党・政治への不信を助長するきっかけとなったといえる。

shige_tamura at 09:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!自由民主党 

2011年09月26日

普天間移設と野田政権

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 野田政権になってから、日米同盟を重視するとの観点から、普天間移設問題を最重要課題として取り組むことになった。

 鳩山政権の「県外・国外」といった主張によって、普天間移設問題は大混乱した。その結果、沖縄県民からは不信感をかう結果となった。

 これにどう対処するのか、普天間移設問題の意義について考えてみたい。


 [現行案は最大の基地負担軽減策]

 日米両政府が平成18年に合意した米軍再編案のうち、普天間基地に関する部分は、次の三つの施策、
 仝醜塢疆郡峇霖呂離ャンプ・シュワブ辺野古崎地区への移設、
 ▲哀▲爐悗粒な実皸8000人の移転、
 それに伴う嘉手納以南の基地の返還、
――がパッケージになっている。

 普天間問題は、ともすれば、沖縄県内に普天間の代替基地を新たに建設して県民の負担をさらに増やすことの是非、という切り口でとらえられがちだが、それは大きな誤解である。

 第一に、普天間基地の移設に当たっては、所属する航空機の数が減少し、滑走路など所要の施設も小さくなるため、新たに建設される代替施設の規模は現在の約半分の広さに縮小されるうえ、場所も本島南部の宜野湾市のど真ん中という危険な地区から人口のより少ない本島北部の米軍基地キャンプ・シュワブの中(辺野古崎地区)に移される。

 第二に、普天間基地の移設にあわせて沖縄に所在する約1万8千人の海兵隊のうち約8千人とその家族がグアムへ移転し、それだけ沖縄県内における米軍の存在が減少する。

 第三に、これに伴い不要となる海兵隊基地が返還されるが、これらの施設は嘉手納基地よりも南の人口の多い地域にあるため、返還されれば地元経済の発展に大きく寄与する可能性が高い。

 つまり、現行案が実施されれば、沖縄県全体にとってきわめて大きな基地負担の軽減が実現されるのである。


 もちろん、基地の移設先となる名護市辺野古崎周辺の住民の方々には新たな負担をお願いせざるを得ないが、この点についても、米軍再編交付金などの制度を通じて影響の緩和に努めることとされている。

 これは、米軍基地の存在などにより自治体・住民が受けているマイナスの影響に対して、税金の再配分を通じて全国民の間で負担を公平化しようとするものであり、決して一部の人たちが言うような「札束でほっぺたを叩いて基地を受け入れさせる」ものではない。


 鳩山元総理は、このような現行案の長所を十分に理解することなく「最低でも県外」などという無責任な公約を掲げ、沖縄県民に根拠のない期待を抱かせ、米国との関係を決定的に悪化させた挙げ句、政権とともに問題解決も放り投げてしまった。

 後に続いた菅内閣が、ようやく今年6月の日米防衛・外務閣僚会議(いわゆる「2+2」)で現行の再編案を実施していくことで米側と再合意したが、この2年間を無為に過ごしたため、問題解決のための時間がほとんど残されていないという状況に追い込まれている。


 [風前の灯火のグアム移転]

 沖縄米軍再編パッケージの大きな柱である在沖海兵隊8000人のグアム移転は、もともと沖縄の基地負担を軽減するために日米で合意されたものであり、「普天間飛行場の代替施設の完成に向けての日本国政府による具体的な進展にかかっている」(グアム協定第3条)。
 このため、米議会は、グアム移転事業の推進に当たって普天間移設の具体的進展を強く要求しているが、鳩山政権誕生以後の2年間というもの顕著な進展は無に等しいため、フラストレーションを強めている。
 実際、昨年は議会において米国防省のグアム移転予算は大幅に減額されたが、今年の状況はさらに厳しい。下院では政府要求の全額が認められたものの、上院では全額が削除され、今後両院の間で協議されることとなっているが、協議の行方については予断を許さない。
 仮に、日本側が普天間移設について早急に具体的な進展を示せず、米議会がグアム移転を認めないこととなれば、米軍再編のパッケージ全体が白紙に戻る恐れがある。

 そうなると、普天間は移設されず、海兵隊はグアムへ移転せず、彼らが使っている基地も返ってこない、という沖縄県民、日本政府さらに米国政府みなにとって最悪に事態の結果を招いてしまう。
こうした「負の連鎖」を絶つためには、現行の米軍再編案を具体的に前に進めるべく、早急に沖縄県の理解を得なければならない。


 [移設先は辺野古しかない]

 現在、仲井真沖縄県知事は「県外移設の方が早い」との立場を崩していない。
 もともと仲井真知事は県内移設を否定していなかったにも拘わらず、鳩山元総理の「国外、最低でも県外」という無責任なスローガンによって作り出された政治環境の下で、やむなく主張を変えざるを得なかったという経緯がある。
 ここはいま一度、状況を良く説明して、再度理解を得られるように努力しなければならない。

 我が国周辺の安全保障環境を見れば、「国外」などという選択肢があり得ないのは明白である。海洋における活動を急速に拡大している中国と、自己の主張を通すために危険な軍事的挑発を繰り返している北朝鮮を考えただけでも、在日米軍の兵力を減らせる状況にないことは容易に理解できる。

 また、台湾海峡と朝鮮半島の中間にあるという沖縄の戦略的位置、陸・海・空戦力をコンパクトに統合して即応性を保つという海兵隊の特性を考えれば、県外移設の選択肢も現実性に乏しいと言わざるを得ない。


 そもそも普天間基地の移設・返還は、平成8年に当時の橋本総理とモンデール駐日大使との間で合意され、その後15年の長きにわたって進められてきたものであり、移設先についても日米両政府の間で膨大な労力と時間を費やして様々な案の検討がなされてきた。
 例えば、先般米議会のレビン上院議員らが提唱した嘉手納統合案にしても、政府間では既に詳細に検討され実現可能性がないと結論づけられたものである。そのような検討の末にたどり着いたのがキャンプ・シュワブ辺野古崎地区であり、他のいかなる案も、これに代わるほどの具体性も成熟度も有していない。
 なによりも、一刻も早く普天間基地を宜野湾市の真ん中からより安全な別の場所に移すという要請が優先されるべきであり、辺野古に代わる案はあり得ない。


 [普天間の固定化は避けなければならない]

 出口がないかのように見える普天間問題だが、わずかながら光明があるとすれば、普天間の固定化を避けなければならない、という点である。

 市街地の真ん中にある普天間基地の危険性を出来るだけ早く除去する、というのは言うまでもなく沖縄県の悲願である。

 米国政府も、米軍もまた普天間の固定化は望んでいない。アジア太平洋地域の厳しい安全保障環境の中、米国はこの地域に対するコミットメントを維持しようと強く決意しているが、それを実現するためには前方展開戦力を安定的・持続的に維持する必要がある。米側は、次に平成16年の沖縄国際大学へのヘリ墜落と同様の事故が起きれば普天間基地を使用できなくなる、と真剣に危惧している。米側にとって普天間基地は、決して安定的・持続的に使用できる施設ではないのである。

 さらに、沖縄県民の安全を守るとともに、米軍への安定的な基地提供という責任を負っている日本政府が普天間基地の固定化を望まないのは当然である。

 関係する三者が全て普天間基地の固定化を望まないのであれば、その一点をテコにして問題解決を目指していくしかない。


 菅総理の後を引き継いだ野田総理は、自ら先頭に立って問題解決に当たらなければならない。現行の再編案に対しては、少なくとも国政レベルでは民主党のみならず自民党、公明党も異論を唱えていない。

 日米同盟の強化という安全保障政策の根幹に関わる問題である以上、野党も同じ立場に立つはずである。

 野田総理は、真摯な態度で野党の協力をとりつけ、本気で自ら、沖縄の説得に全力を挙げる必要がある。

2011年09月22日

桜林美佐(ジャーナリスト)氏が日本論語研究会に登場!

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 最近、「夕刊フジ」の連載やメディアで人気急上昇のジャーナリスト・桜林美佐氏が、10月1日(土)の日本論語研究会で講演します。
 テーマは、「東日本大震災の自衛隊の活動」です。



「日本論語研究会」の予定

*会場は、全て慶應大学・三田キャンパスです
 (港区三田2−15−45)(JR田町、地下鉄三田下車)


第75回

1、日 時 10月1日(土)16時30分〜18時
2、場 所 慶應義塾大学 (第1校舎1階 111番教室 )(注意、109番教室から変更) 
3、講 師 桜林美佐(ジャーナリスト)
       (テーマ、「東日本大震災の自衛隊の活動」)


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第76回

1、日 時 11月5日(土)16時30分〜18時
2、場 所 慶應義塾大学 (第1校舎1階 109番教室 ) 
3、講 師 岩越豊雄(社・国民文化研究会理事、寺小屋・「石塾」主宰)
(テーマ、「二宮尊徳の思想と震災後の日本の復興」)

第77回

1、日 時 12月3日(土)16時30分〜18時
2、場 所 慶應義塾大学 (第1校舎1階 109番教室 ) 
3、講 師 宮川典子(元中高教諭、松下政経塾第28期生)
(テーマ、「日本の教育はどこへ向かうのか?−長く厳しい2つの闘い−」)

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〇参加費 無料です。
〇問い合せ先  田村重信(代表幹事)
 Eメールstamura@hq.jimin.or.jp へ連絡下さい。電話―3581−6211(職場) 
                   
日本論語研究会事務局〒105−0002 港区三田2−15−45 
慶大・南館20510 小林節研究室 気付
(参考)日本論語研究会の日程と研究会の内容は、日本論語研究会のホームページhttp://www.rongoken.jp/index.htmlに掲載しています。

復興・・前例のない事態に前例のない方法で(関西学院大学教授 室崎 益輝)

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大震災 復興への視点   
復興・・前例のない事態に前例のない方法で

これからの防災対策 (1)
関西学院大学教授 室崎 益輝


 今回の東日本大震災で、その対応にスピード感がないといわれている。
 がれきの撤去が進まない、避難所の解消が進まないといったことが、スピード感のないことの例として引き合いに出されている。

 ところで私は、そのスピード感のなさの根源は、単に財源がないといった量的な問題にあるのではなく、迷い道に踏み込んで手さぐりになっているという質的な問題にある、と考えている。
 道に迷っている段階では、いくらお金をつぎ込んでも、そこから抜け出すには時間がかかってしまう。


 災害実態に即した新しい制度を

 そこで問題になるのは、どこで道に迷ったかである。
 ここで道に迷ったポイントを探ろうとするのは、そこがわからなければ迷路から脱出することができない、からである。
 私は、そのポイントが「想像力を欠いた前例主義」にあると推論している。
 東日本大震災は阪神・淡路大震災と様々な点で大きく違っているのに、阪神・淡路のときと同じことをすればよいと思い込んで対応して、道に迷ってしまったのである。そもそも、低頻度巨大災害というものは類似性よりも特殊性が強く、前例があまり役に立たない。

 前例のない事態が起きているのだから、前例のない対応が求められるのである。
 過去の災害をベースにつくられた制度や慣習は、今回のような未曽有の災害にはあてはまらない。
 後出しジャンケンと言われてもよいから、進行形の災害の実態に即して新しい制度をつくって対処する、大胆さと柔軟性がいるのである。

 例えば、災害対応の中での復興のウエートが極めて大きくなっていることを考えると、災害救助法の見直しもさることながら、それに加えて災害復興法の制定が急がれる、といったことである。


 阪神・淡路大震災と違う三つの点

 それでは、もう少し具体的に阪神・淡路大震災との違いを押さえて、これからの復興のあり方を考えてみよう。

 第一の点は、産業構造が大きく違うということである。
 阪神地域は、給与が保障されたサラリーマンが多く、雇用よりも住宅が大事であった。だからこそ、住宅再建が復興の中心課題となったのである。
 しかし、今回の東北地方は漁業や農業あるいはそれに関連する水産業などに従事する人が大半で、産業が停止し収入の道が断たれた状況では、住宅よりも雇用が重視されなければならない。産業再建を復興の中心に据えなければならないのである。

 第二の点は、地域構造や社会構造が違うということである。
 自然と共生するシステムが息づいている、職住が一体となった共同体が形成されている、お祭りなど豊かな生活文化が残っているといった特質は、復興の中で十分に考慮しなければならない。
 こうした特質は、未来の社会を先取りしたものとして評価しなければならない。
 東北地方は、経済的には貧しい地域であっても、生活的には豊かな地域であると捉えて、復興を考えることが欠かせない。海とともに生きる、土とともに生きるということを最優先して、復興を考えなければならない。

 第三の点は、自治体の基礎体力が違うということである。
 ただでさえ、体力のない弱小自治体が、壊滅的な被害を受けてさらにその体力をすり減らし、自力ではとても立ち上がれない状況にある。
 国や県の前例のないほどの物心両面の支援がないと、復興の設計図が書けないということである。
 だからこそ、思い切った財源支援をしなければならないのである。財源が先にありきで計画を作るのではなく、計画が先にありきで財源をつけることが、今回の復興では強く求められる。

shige_tamura at 12:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!東日本大地震 

野田政権「脱原発」から「原発容認」「原発輸出も推進」

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 菅政権は、「脱原発」だったが、

 野田政権は、「原発容認」、海外への「原発輸出」も推進するとなった。

 民主党、首相が変わると政策も変わる。



(参考)
「脱原発」は後退? 野田新首相、再稼働前向き
(2011.9.2 08:10、産経)


 新政権で「脱原発」の流れは後退する? 野田佳彦新首相は「脱『原発依存』」を主張しているが、安全性を確認した原発の再稼働を促す姿勢も見せる。見直しが迫られているエネルギー政策はどうなるのか。

 菅直人首相は5月に中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の全面停止を要請。7月には「脱原発」の方針を表明した。一方、野田氏は月刊誌への寄稿や記者会見で「少なくとも2030年までは一定割合は既存の(原子力)発電所を活用」「安全チェックしながら再稼働できるものはしていく」としている。

 飯田哲也環境エネルギー政策研究所長は「脱原発依存の流れは自動的に後退する。野田さんはエネルギー政策についての哲学や知識を持っていない」と指摘している。




 首相、米紙会見 「来夏向け原発再稼働」 着工済みは個々に対応
(2011.9.21 08:13、産経)


 野田佳彦首相は20日、米紙ウォールストリート・ジャーナルのインタビューで、停止中の原子力発電所について「来年夏に向けて、できるものは再稼働しなければ、電力不足になった場合に日本経済の足を引っ張る。きちんとやらなければならない」と述べ、来夏までに一部の再稼働が必要だとの認識を示した。

 「来年も再稼働は必要ないのではないか」との質問にも「それは有り得ない」と強調した。

 その上で「(再稼働は)ストレステスト(耐性検査)の実施を含め、原発立地県や地域の理解を得るのが大前提だ」と指摘した。

 新規建設に関しては「基本的には困難だが、すでに着工して九十数%というところもあり個々の事案に則して対応したい」と述べた。




 前原政調会長インタビュー
(2011.9.21 20:34、産経)


−−民主党の成長戦略の柱である原発の輸出をどう考えるか

 「東京電力福島第1原発事故を受け、より原発の安全性を高める機運が高まっており、日本が最大の責務を負わなくてはいけない。事故原因の究明、再発防止策を今後の安全性を高めるために使い、世界に広めていく責務がある。日本の原発の安全性への信頼は揺らいでいない。当面は新設しないが、安全を確認して再稼働し、原発輸出もしっかりやるべきだ」

shige_tamura at 11:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!民主党 
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