2011年06月

2011年06月30日

「政治と安全保障」講演録(田村重信ぁ

カツオ「天に向かって!」(歌・田村重信)が、カラオケ「ウガとジョイサウンド」で歌えます。よろしく!

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック

 1997年4月14日(月)「防衛庁防衛研究所一般課程研究員研修(防衛庁防衛研究所・東京)」で講演したものです。


◇冷戦終結と湾岸戦争の意味

 次に冷戦終結と湾岸戦争の意味ということだが、一九八九年にベルリンの壁が崩れて東西ドイツが統一され、ソ連邦が崩壊したわけである。そして、一九九一年の一月十七日に湾岸戦争が起こった。

 当時も、軍事についてはアレルギーあった。
 例えば、海部首相の頃もそうだった。
 当時の海部首相は、海上自衛隊掃掃海部隊のペルシャ湾派遣についてこんな事があった。

 掃海部隊の派遣は、一九九一年、湾岸戦争が終わって四月二十六日から十月三十日の間、派遣されたわけである。
 五月二十七日にドバイに行って、そしてドバイを出たのが九月二十三日だったということで、実は私が安全保障・防衛の問題を担当するようになったのが、ちょうどその五月からであった。

 五月から私は防衛政策を担当するようになったばかりで、非常によく覚えている。

 池田行彦先生、現在の外務大臣がその時の防衛庁長官であった。
 だから、党の国防三部会(国防部会・安全保障調査会・基地問題特別調査会)が開かれた時に防衛庁長官が出席されたので、その時に「今度、私が国防部会を担当することになりました」と挨拶をした。
 以前から池田先生を知っていたことから、良く記憶しているというわけである。
 そこから私が、党における防衛関係の政策にタッチするスタートになったということである。

 七月には、自民党の国防三部会でペルシャ湾掃海艇派遣部隊の激励派遣団というのが作られ、当時の団長が現在、自民党政調会長の山崎拓先生、副団長が村上正邦先生、現在参議院の幹事長である。
 あとは中谷元先生、衛藤晟一先生、参議院の永野茂門先生、尾辻秀久先生などと湾岸のバーレーンまで行って、掃海艇派遣部隊の落合卓隊長さんほかを激励をするために行ったわけである。

 その時に、現地で会った海上自衛隊の幹部のみなさんはこんなことを言っていたのが印象的だった。
 それは「我々は今回、大変だけれども、任務がある。仕事がある。
 それに比べて、陸上自衛隊のみなさんはまだそういう仕事がない。訓練だけだ。そこが違っている。ある意味じゃかわいそうだ」というわけだ。

 しかし、その後、PKO法案が国会を通過することによって、陸上自衛隊の仕事は、海外でのPKO活動を始めこうした仕事は飛躍的に増えることになる。
 当時、クェートに行って、そのころ世界で一番新しいと言われるPKOというのを、私たちは直接見てきた。

 そのために、我々はイラク国境まで油井の炎上する砂漠になかを車でずっと走っていったわけである。
 その際「途中で地雷が布石してあるから、車道の外には絶対に出てはいけない!」と言われた。我々が行ったころも、地雷に足を飛ばされたというような報道があった。
 我々が行った時は、まだ、戦争直後で道路には破壊された戦車や自動車があり、砂漠では油井が燃えていた。
 我々は、その間を縫うように走って、やっとの思いでクェートとイラクの国境に到着。

 当時、一番新しいPK0の国連イラク・クェート監視団、UNIKOMの停戦監視団のみなさんと議論を行った。

 そこで、当事、我々がこれからPKO法案を審議をするわけで、一番問題になっているのが銃の携帯問題だった。
 だから、そのことを質問すると、彼等は初めから銃を一切持っていない関係から、もしも何かあれば、「何かあったよ、ということをすぐに本部へ連絡して、後は我々は撤退するだけだ」と答えた。
 さらに、「我々がここに存在することが意味のあることで」「我々が、身を守るも何も、何かあったと言うことを知らせることが停戦監視の任務である」ということを、我々に説明してくれた。

 それから、話を前に戻すが、海部首相が湾岸戦争後のペルシャ湾で仕事を終えた掃海派遣部隊が日本に帰ってくる時に、「軍艦マーチで入ってくるのはよくない」という話をしていた。
 そこで私は、当時の総理の首席秘書官のところへ、官邸まで乗り込んで行って、「それは、おかしいんじゃないか」という話をした。
 「だって、軍艦マーチというのは、今でもちゃんと、海上自衛隊が外洋から帰ってきた時には軍艦マーチで迎えることになっていたんですから」、「あれだけ苦労して、日本のためにあれだけ活躍してきた人たちに対して、軍艦マーチで迎える点について、それをどうのこうのというのはよくない」と秘書官に言ったら、「よくわかった。そんなことは絶対にないように自分が責任をもってやります」というようなことがあって、結果的には軍艦マーチのもとで掃海派遣部隊は帰ってきたというわけである。

 海部首相当時、だから制服の自衛官が官邸に行くということはなかったわけである。当時はまだ、軍事アレルギーの様なことが幅を利かせていて、そういう格好をつけていた方がよかったという雰囲気があった。
 海部首相は、そうしたことと政治的な思惑とを考えていたようだ。


 ところが最近、橋本首相になってからは、制服の自衛官がが官邸に来ることはちょくちょくある。
 だから、最近の四月十一日(1997年)の読売新聞では、「首相が制服組と会談、防衛庁内局は疑心暗鬼」という記事が載っているわけである。
 これは十日の夜に、首相公邸で、来日中のジョン・シャリカシュビリ米統合参謀本部議長と夕食をともにしながら会談したとの報道で、その時、防衛庁から杉山統合幕僚会議議長と陸海空の三幕僚長が同席し、日米の制服組の最高幹部が顔をそろえる異例の会談となったということである。
 だから、橋本首相というのは従来から、「僕は制服組が好きだよ」と記者団に公言していたということや、国会答弁でも「自衛隊幹部が内局の同行なしに首相官邸や国会に来られないという雰囲気を変えるよう努力する」との国会答弁の実現を図った形というようになっているわけである。

 こうした変化の一つには、湾岸戦争当時の海部首相と現在における状況が相当変わっているということ。
 さらに、海部首相と橋本首相の軍事問題に対する個人的な考え方の違いといったものもある。

 というのは、橋本首相が野党の時の政調会長だった時の政調会長室長を私がやっていて思ったことだが、橋本首相はその時まで、すでにいくつかの大臣をこなされていた。
 その中でも運輸大臣を務められていた関係で、海上保安庁の大きな式典には率先して出席するようにしていた。
 それは何故かと言うと、橋本首相そのものがやはり「現場のナマの声を大事にしたい、額に汗している本気でやっている人の労をねぎらいたい、大事にしたい」そういう気持ちが人一倍ある関係で、それで最近でも制服のみなさんとの懇談、顔合わせも積極的にされているということだと思う。


 それからPKO法案の問題については、実はPKO法案が作られる前に国連平和協力法というのがあって、これは国会に提出されたわけだが、結局それは駄目になり廃案となってしまった。
 なぜ、それが駄目になったのかと言う理由については、後で分かったことであるがよく考えてみると、これは防衛庁と外務省自体がこの法案の内容について互いに対立していたということである。政府部内で、防衛・外務が互いに納得して、そして国連平和協力法が持ち上がったとことでなかったわけだ。だから、政府部内でこの法案を本気で通すということにならなかったわけである。
 それにもかかわらず、非常に難しい法案であったため、やはりこれは結果的には国会を通過しないことが、なんとなく最初から予定されていたというか、しようがなかったのではないかと思われる。

 私が防衛政策にタッチした時に、最初の問題としてPKO法案問題が持ち上がった。
 PK〇法案についても、やはり防衛庁の方は、「外務省は全然、我々の話を聞いてくれない」という不満を漏らしていた。一つは武器使用問題がクローズアップされていた関係で、この問題を重要視しないといけないということだった。
 防衛庁にしてみれば、「PKOに行くということになれば、本気で汗をかいて行くのは我々なんだから、もう少し我々の主張を外務省がきちんと聞いてくれたらいいじゃないか」という気持ちがあった。
 また、法務省はどうなのかというようなこともあって、結局、各省でそうした相互に話がうまくできないようでは、大事な話がなかなか前に進まない、といった状況だった。

 そこで考えたのが、まず自民党の中に国防部会(柿沢部会長)というのと外交部会(船田部会長)というのがあり、そこで、両方の部会長が議論する。
 そして、その場に両省庁の官房長から来てもらって、そこで難しい様々な問題をざっくばらんに議論してもらうという場を作ったわけである。
 それで外務省と防衛庁がざっくばらんに議論できるようになった。
 そこに、当時の外政審議室の有馬室長にも入ってもらって議論した。
 それから、法案を作っていく過程では国会対策委員会もコミットする形になり、そこで、当時の自民党国対副委員長の田原隆先生からもコミットしてもらったり、官邸の官房副長官の大島理森先生にも入ってもらって、納得ずくの法案を作ったというがあった。

 だから、PKO法案は、社会党が相当に強い抵抗をしたが、最終的にはPKO法案が国会を通ったというわけである。
 その当時も、こうした省庁間の対立問題があったが、だいぶその後に、外務省と防衛庁との関係がよくなった。

 それが、一九九六年の「日米安保共同宣言」がきちんとスムーズに進むようになったというキッカケでもあり、両省の関係が良好になった証明でもある。

 それから、湾岸戦争というのは日本の安全保障を考える上で、非常に大きな衝撃となった。それは、東京大学の藤岡信勝教授が、次のようなことを言っている。

 「一九九一年の一月十七日の朝、湾岸で多国籍軍による空襲が始まった時の挫折感、無力感というのをいまだに忘れることはできない。というのは、私は最後はサダム・フセインが妥協して戦争は回避されるだろうと信じていたからである。勝ち目のない戦いに、サダムにひとかけらの合理的判断力があれば、まさか戦争に突入するようなことはしないだろうと私は思っていた。テレビに登場していた多くの専門家もそう言っていた」ということである。
「そして、湾岸戦争で私が否応なく気付かされたことは、日本がおよそ国家としての体裁をなしていない国であったという発見である。自分で自分の国を守るという、国家として一番大事なところをアメリカに預けたままで、経済的利益だけを追及する醜い国になっていたことを、この湾岸戦争によって痛いほど知らされたのである」と言っている。

 もう一つ、藤岡さんのことを引用させてもらうが、これは一九九六年の「国会月報」という雑誌に載った論文の一部であるが、「湾岸戦争の大きな衝撃」という論文の「自己責任の意識を欠いた甘え」という項である。

 「私は一九九四年七月上旬、札幌市で開催された日本の教師・教育者の合同セミナーに参加し、戦争と平和に関する日本の教育の現状の問題点について報告した。その折、世界価値観調査レポート、これは一九九五年一月、の調査の中間報告で示されていた『わが国のために戦う』、一〇%という数字を紹介した。
 当時、北朝鮮の核疑惑にからんで朝鮮半島の軍事的緊張が高まっており、それに関する日本国内の世論調査が新聞に報道されていた。それによれば、朝鮮半島有事の際には米軍が軍事行動をして日本を守るべきだという意見が六〇%以上に達していた。

 これら二つの数字を紹介した時、アメリカ側参加者からは当然なが驚きの反応があった。
 安全保障・防衛問題について日本人はこれほどまでに自己責任の意識を欠いた『甘え』の中にひたりきっているのである。
 しかも、それがいかに深刻な問題であるかを考えようともしない体質がしみついている。札幌の同じ会場にいた日本側の参加者にその体質を感じた。軍事・防衛の問題になると日本の教師は全く思考停止状況に陥る人が極めて多いのである。かく言う私も、おはずかしいことに、一九九〇年から九一年までの湾岸戦争までは、多くの日本人教師と大同小異の状態にあった。湾岸戦争は私の中に根を張っていた一国平和主義の思考枠に根底からゆさぶりをかける出来事だった。しかし、それはアメリカが戦後初めて国際紛争解決のため軍事行動を含む貢献を日本に求めてきたから、私も問題を正面から考えざるをえなくなったのである。もし、湾岸戦争の時、アメリカが日本に行動を求めなかったら、私は相変わらず旧来の思考枠にどっぷりつかっていただろうと、ほぼ確実に言える。人間は自分の身に火の粉がかからない限り本気で考えることをしない怠惰な存在であることを、自分の身に引きつけて、改めて感じるのである。

 湾岸戦争で私が発見したことは、日本はおよそまともな国家の体をなしていない国になっていたのだという冷厳な事実であった。国家的危機を前にして、外務省と大蔵省、外務省と運輸省の間の反目、足のひっぱりあいが繰り返された。それらを統合する役目を負っているハズの政治家のリーダーシップの発揮は極めて不十分だった。

 有事の際の法の体系も全く未整備であることが暴露された。遺憾なことに、今再び朝鮮半島が危険水域に達しているにもかかわらず、有事法制をめぐる政治家の論議の仕方は五、六年前からほとんど進歩していない。危機管理ができない国家とは自立した国家とは言えないのである」と言っているわけである。


 ここで言われていることはまさに、あの藤岡さんも最近でこそ安全保障の重要性をきちんとお話しされているわけであるが、実は湾岸戦争が起こる前まではそうでなかったという事実である。
 だから湾岸戦争は、いかに今の日本の安全保障論議を考える上で大きなエポックになったのか、という点を改めて考えてみる必要がある。

菅首相の人間性

兵馬俑
「天に向かって!」(歌・田村重信)が、カラオケ「ウガとジョイサウンド」で歌えます。よろしく!

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック

 首相になると「首相動静」(時事通信)という形で、新聞各紙に首相日程が全て公開される。
 それは、菅首相も十分承知している。

 菅首相の昨日の午後4時以降の日程は以下の通りだ。


 午後4時25分から同5時45分まで、阿久津幸彦内閣府政務官。
 午後6時40分から同7時10分まで、寺田学民主党衆院議員。

 同12分、執務室を出て、同13分、官邸発。同21分、東京・赤坂のすし店「赤坂 石」着。秘書官らと会食。寺田氏同席。

 午後9時7分、同所発。同16分、東京・六本木の焼き肉店「大同苑」着。国家戦略室スタッフと食事。阿久津内閣府政務官、加藤公一民主党衆院議員同席。

 午後10時9分、同所発。同16分、東京・六本木の六本木ヒルズ内のイタリア料理店「ザ キッチン サルヴァトーレ クオモ六本木」で桜井勝延福島県南相馬市長らと食事。伸子夫人同席。

 午後11時25分、同所発。同38分、公邸着。



 昨夜の3軒はしごについて、

「菅首相、すし→焼き肉→イタ飯と3軒はしご」(読売新聞 6月30日)は、

 菅首相は29日夜、3軒の飲食店をはしごした。
 一晩に3軒も訪れたのは昨年12月以来で、閣僚人事や民主党両院議員総会といった難しい局面を乗り切った安堵(あんど)感を漂わせた。
 午後7時過ぎに官邸を後にした首相は、まず赤坂のすし店で寺田学民主党衆院議員らと食事した後、六本木の焼き肉店で開かれた阿久津幸彦内閣府政務官の会合に出席。
 最後に六本木のイタリア料理店に立ち寄り、伸子夫人と一緒に南相馬市の桜井勝延市長らと1時間余り過ごした。
 帰りがけに、記者団から質問された首相は「昔からの知り合いだ」と上機嫌で語った。

――との報道となる。

 まだ被災地は大変なのに、いったい菅首相は何を考えているのかとなってしまう。


 菅首相の人間性について、産経新聞の阿比留瑠比記者は、

「汗は他人に」変わらぬ首相 人間性だけは首尾一貫
(産経新聞 6月30日(木)7時56分配信)――との記事を書いている。

 なるほどと思いましたので掲載しました。



 ギリシャ神話のミダス王は触れるもの全てを黄金に変えた。菅直人首相は接する者全てを敵に変える。これもまた特異な能力だと言えよう。敵は野党だけにとどまらない。閣僚も民主党執行部も公然と居座りを批判する。各種世論調査では国民の8割が早期退陣を求めている。

 かくも人心は離れているが、首相は一向に意に介さない。それどころか28日の民主党両院議員総会では聞かれてもいないのにこう言った。

「エネルギー政策をどのような方向に持っていくかが、次期国政選挙で最大の争点になる」

「脱原発」を掲げて衆院を解散する可能性をにおわし、「菅降ろし」を牽制(けんせい)したのか。29日、首相官邸で記者団に「脱原発解散の考えは?」と声をかけられた際も思わせぶりに首をかしげてみせた。さすが、幼いころから「口から生まれてきた」と呼ばれてきただけのことはある。

 とはいえ、「手柄は自分がとりましょう、汗は他人にかかせましょう」という政治手法は相変わらずだ。安全確認済みの原発の再稼働については海江田万里経済産業相にすべて押しつけ、自らが関わろうとしない。

 27日夜に久しぶりに開いた記者会見でも、原発を抱える自治体に自ら赴き、説明する考えがあるのかどうかを問われたが、一切答えなかった。「再生エネルギー推進派」というイメージを損ねたくないのだろう。

 ◆「裸のペテン師だ!」

 首相の念頭には、小泉純一郎元首相による郵政解散があるとみられる。このままでは8月中に退陣に追い込まれる公算が大きいが、イチかバチか解散して勝利すればさらなる延命の道が開けるからだ。

 それならばシングルイシューを世に問うに限る。「当面の原発存続はやむをえない」との意見が多い自民党を「原発利権にむらがる抵抗勢力」と位置付け、再生エネルギー推進を「錦の御旗」に掲げれば勝てる。そう踏んでいるのではないか。

 ちょっと待ってほしい。首相はかつて雑誌のインタビューで小泉氏の郵政解散をこう批判したのをお忘れか。

「(現代社会の)不安を誰かを悪者にすることで解消しようとしたり、悪者を作り上げて叩(たた)きたいという衝動がある。この衝動に悪のりする政治家は本来民主主義政治のリーダーとしては不適格です」

 原発事故でも、解散権でも、保身に利用できるものは何でも使う。仲間であろうと平気で踏み台にし、言行不一致など気にしない。そんな政治手法はもはや見透かされている。首相の卑しくも哀れな姿を公明党の山口那津男代表が見事に言い表した。

 「裸のペテン師だ!」

 ◆“市民派”の内実

 首相はこれまで自己紹介する度に、婦人運動家、市川房枝元参院議員を「政治の師」と仰ぎ、市川氏の選挙活動を手伝ったことを「政治活動の原点」だと振り返ってきた。14日の参院東日本大震災復興特別委員会でも「私は昭和51年のロッキード事件のとき、初めて無所属で衆院に立候補した」と語り、市民派をそれとなく強調した。

 では、菅氏の初選挙について市川氏はどう見ていたか。実は著書「私の国会報告」にこう記している。

 「選挙が始まると(菅氏は)私の名前をいたる所で使い、私の選挙の際カンパをくれた人たちの名簿を持っていたらしく、その人達にカンパや選挙運動への協力を要請強要した」

 市川氏の秘書だった紀平悌子(ていこ)元参院議員は、首相が東工大の学生運動のリーダーだった頃、警視庁警備第1課長として捜査していた初代内閣安全保障室長の佐々淳行氏の実姉に当たる。

 あるとき、佐々氏が姉に「市川さんは菅氏を評価しているのか」と聞くと、姉は冷ややかにこう言ったという。

「何を言っているの! 市川さんは『菅はよくない』と本当に怒っているわ」

 首相の政策や政治方針は常に揺れ動いているが、その人間性だけは一貫してぶれていない。(阿比留瑠比)

shige_tamura at 11:19|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!菅直人 

2011年06月29日

復旧・復興への考え方や今後のエネルギー政策のあり方などを石破茂政務調査会長に聞いた

「天に向かって!」(歌・田村重信)が、カラオケ「ウガとジョイサウンド」で歌えます。よろしく!

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック

 復興に全力、被災地に未来像示せ

 東日本大震災復興基本法が6月20日、自民党案をベースに成立した。
 また、政府が提出した震災関連の13法案の大半が、自民党の提案に沿ったものだ。
 このことは、自民党の政策能力の高さを示すものに他ならない。

 自民党の復旧・復興への考え方や今後のエネルギー政策のあり方などを石破茂政務調査会長に聞いた。

石破茂政務調査会長に聞く

不信任案逃げるため70日延長

自民党が先行する新エネルギー分野


――自民党が70日の会期延長に反対した理由は。

石破茂政務調査会長)

  喫緊に必要な第2次補正予算や公債特例法案、がれき処理法案、二重債務問題にメドをつけるのは50日で十分です。
 その後、いったん、国会を閉じて、早急に臨時国会を召集し、新しい総理を選出した上で、3次補正をはじめ、外交・安全保障や財政などの山積する課題に取り組むため、通年国会を開けるような環境をつくらなければなりません。

 民主党も最初は50日の会期延長で自民、公明両党と合意していましたが、これを突然、破棄し、70日の延長を主張するようになりました。
 国会の慣例で、内閣不信任案は一つの国会で1回しか出せないため、会期が長ければ長いほど、不信任案の提出から逃れることができるとの思惑があるのでしょう。


――先週末から、公債特例法案について、自民、公明、民主の3党政調会長会談が開かれています。

石破)公債特例法案を早く成立させなければならない、という認識は3党とも共有しています。しかし、政策効果が乏しい「バラマキ4K」などに使うお金があるのなら、これを被災地の復旧・復興に充てることは当然です。

 民主党の玄葉光一郎政調会長も、そのことは認めていました。
 しかし、いまだに民主党内には、「これは国民との約束なので、変えることはできない」との反対意見があるようです。

 民主党内の調整が難しく、苦しい胸の内を吐露していましたが、これを掲げて先の総選挙を戦った以上、国民との約束を果たせなかったことを総括されなければなりません。


――政府の震災対応の遅れが指摘されています。

石破)復興基本法には、わが党の案が95%以上盛り込まれていますが、この法案の成立が遅れたことは菅政権の本質を如実に表しています。

 わが党は当初から、阪神・淡路大震災とは被害の状況が違うと主張してきました。

 菅総理は被災地の状況がわかっていないので、最初は阪神・淡路大震災の時と同じ法案を出してきました。これにより法案の成立が1カ月も遅れたのです。


――わが党の震災対応の基本的な考え方は。

石破)被災地を視察し、これは憲法が定める「文化的な生活」や「人間の尊厳」に関わる問題だと感じました。
 仮設住宅の建設などを急ぐことにより、一刻も早くこれを解消することは政府の責任です。

 わが党はまず復旧・復興に全力を挙げた上で、被災地に21世紀半ばの地域の姿、日本の姿を示すべきと考えます。
 国と自治体が主体的に取り組み、特区制度や規制緩和、税制の特例、民間資金などを活用することで、あるべき国の姿を実現しなければなりません。


――菅総理は再生エネルギー特別措置法案の成立に意欲を示しています。

石破) わが党は昨年の参院選の公約で再生可能エネルギーの導入を打ち出しました。 太陽光発電の買い取り制度を提案するなど、この分野をリードしてきたのは自民党です。

 菅総理は、わが党がこれに反対しているイメージを国民に持たせようとしているようですが、当時、温室効果ガスの25%削減に向けて、原発の推進を考えていたのは民主党なのです。

 しかし、わが党もこれまで原発を推進してきたことの総括をしなければなりません。
 菅総理のようにパフォーマンスやポピュリズムに走るのではなく、新たに設置する総合エネルギー政策特命委員会で、今後のエネルギー戦略における自然エネルギーや原発のありかたについての方針を示していきます。


――延長国会にどのような考えで臨みますか。

石破)谷垣総裁の下で一致結束して、民主党政権を打倒する姿勢を堅持することが必要です。

 民主党政権は今さえよければいい、自分さえよければいい、という姿勢です。

 この本質を明らかにしていきます。

 その一方、わが党ならどうするのかが、国民に十分に伝わっていないと思います。

 野党になってから、マスコミの扱いが与党時代よりも少なくなっていますから、わが党の議員一人一人が、テレビ出演や党の広報物などを通じて、積極的に情報発信する努力をしなければなりません。

(近藤三津枝党新聞出版局長が取材、『自由民主』より)

shige_tamura at 10:53|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!自由民主党 

2011年06月28日

菅首相、すべては自らの延命のため

「天に向かって!」(歌・田村重信)が、カラオケ「ウガとジョイサウンド」で歌えます。よろしく!

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック

 菅首相は27日首相官邸で記者会見し、自らの辞任条件として「今年度第2次補正予算案の成立、再生可能エネルギー特別措置法案の成立、特例公債法案の成立が一つのめどになる」と明言した。
だが、具体的な辞任時期は示さなかった。

 この記者会見の前に行ったことは、震災担当相、原発担当相の任命など一連の人事の断行を行った。その中で注目されたのが、自民党・浜田和幸参院議員(鳥取選挙区)を総務政務官に引き抜いたことだ。


 この背景を考えてみたい。

 全ては、菅首相は自らの延命を図ることが第一であるということだ。

 それを阻止すべく一致結束動き出したのが、民主党執行部で、菅首相との亀裂が決定的となった。

(参考)民主党の岡田克也幹事長や輿石東参院議員会長ら政権幹部が26日夜、東京都内で会談し、菅直人首相が国会会期末の8月末までに退陣すべきだとの認識で一致した。枝野幸男官房長官や仙谷由人官房副長官、玄葉光一郎政調会長、安住淳国会対策委員長も出席した。
 出席者の一人が「首相は会期70日間というバトンゾーンで、次の首相にバトンを渡すべきだ」とし、他の出席者も一致したという。第3次補正予算案編成も新首相のもとで行うべきだとの方針も確認した。


 そこで、菅首相は、民主党執行部を無視して、亀井国民新党代表を頼りにした。
 亀井氏は、震災対応を巡って、民主・自民・公明の3党協議がスムーズに進むのが面白くなかった。3党協力が進めば、連立した国民新党が埋没するからだ。

 亀井氏にとって、菅首相と民主党執行部の亀裂は歓迎ということだ。

 亀井氏は23日に菅首相に、(1)大改造をやるべき、(2)党執行部を刷新すべき、(3)自民党参院からの一本釣りを視野に入れるべき、(4)小沢・鳩山グループから人材を登用すべし――と進言した。

 菅首相は、この進言を受け入れ、自らで行なうものと亀井氏が行うものに分けて、秘密裏に行動した。

 その結果が、昨日の人事断行となった。

 菅首相は、27日に亀井氏と会って、副総理として入閣するよう要請したが、亀井氏は固辞した。それは、亀井氏自らが大臣に就任すれば、同じ国民新党の自見庄三郎大臣が辞めることになるからだ。
 そこで首相は「それなら特別補佐官として助けてほしい」と求め、亀井氏も受け入れた。特別補佐官は内閣法上存在しない役職だ。そこで、補佐官ということで、名前が特別補佐官となった。亀井氏にとっては発言権が増し、プラスとなる。


 そこで割を食ったのが、馬淵補佐官だ。

 細野補佐官が原発担当相に就任し、その関係で蓮舫大臣が閣外を去り、その処遇として補佐官とした。それに、亀井氏が補佐官就任となると、菅首相は馬淵補佐官を辞めさせて、経済産業副大臣就任を提示したが、馬淵氏は断った。

 次に24日に施行された復興基本法には、復興担当相の新設が明記されており、これに合わせ、菅首相は、結局、防災担当相として震災復旧を担ってきた松本氏の環境相兼務を解き専念させることとなった。

 今まで松本大臣が、環境相と兼務していたのが復興担当相だけになるというのだ。
 これからは、松本大臣が兼務をなくして本気でやるということか?
 ということは、いままで震災対応が遅れたのは兼務であっためで、専任大臣にすればうまくいくということか?そうなるとは思えない。

 今度は、兼務を解かれた環境相だが、玄葉国家戦略相、蓮舫大臣、中野国家公安委員長などの名前もあがったが、うまくいかず、結局は、江田法相が兼務することとなった。
 江田氏は、環境問題は素人である。


 さらに大きな問題は、自民党の浜田和幸参院議員の総務政務官就任だ。
 昨日の朝、僕は、石破茂政調会長と打ち合わせがあり、面談することになっていた。ところが、浜田問題で、面談時間がずれ込んだ。
 浜田氏は鳥取選挙区で、前回の選挙では、石破茂政調会長が自らの選挙以上に熱心に運動を行っていた関係で、残念であった。

 浜田氏に、亀井氏他様々な働きかけがあり、その総仕上げで、復興担当の政務官への就任要請が枝野官房長官からあり、浜田氏は復興政務官要請 受諾・離党の意向となった。
 他にも自民党参院議員数名が亀井氏他からの工作があったが、浜田氏が釣り上げられた格好となった。

 浜田氏は新日鉄、青山学院大講師、米戦略国際問題研究所などを経て、2010年参院選で鳥取選挙区から初当選した国際政治学者だ。舛添要一議員もそうだが、国際政治学者というのは、目先の計算にはたけているが、どうも脚光を浴びていないと我慢ができないようだ。
 今は良いが、長期的にみれば、「裏切り者」とのレッテルから逃れることができない。政治センスがいまいちだ。

 舛添要一氏は、自民党にいた時は、世論的には「次期総理NO1候補」だったのが、今は選外となり、名前は出てこない。

 舛添要一氏が自民党に留まっていれば、今の政局ももっと大きく変化していただろうに、残念だ。舛添氏の計算間違いだった。

 浜田氏は昨日の午後、参院自民党執行部に「離党するつもりはない、自民党議員として頑張る」と語っていたが、夜には、離党届を出した。
 結果は、政務官を受けて離党となった。何か政治センスがかなりずれているといえよう。


 今は、震災対応で与野党の協力関係の構築が重要なのに、菅首相は政務官人事でそれを台無しにした。
 今回の菅政権の人事断行は、与野党協調路線を破壊することを目的とし、自らの延命を図ることのようだ。

 今後、浜田氏の政務官に就任で、自民党は強く反発、逆に法案審議を巡る与野党協議が滞る可能性が大きくなり、与野党対立は激化する。

 だから安住淳国対委員長は27日午後、政府が自民党の浜田和幸参院議員に政務官就任を打診し、自民党の反発を招いたことを受け、「(菅直人首相は)国会の厳しさが分かっているのかと疑問に思う」と菅首相を批判した。

 今日、安住淳国対委員長は、自民党・逢沢国対委員長に頭を下げて「(浜田政務官就任)申し訳ない」と陳謝した。


 菅首相は、退陣を迫る民主党執行部から亀井氏に重心を移し、ひたすら自らの延命を目標にひた走りしている。


 第2次補正予算案の成立、再生可能エネルギー特別措置法案の成立、特例公債法案の成立が、菅首相と民主党内、及び野党との対立が激化して、法案等が成立しない場合は、それだけ延命できるというわけだ。

 さらに「脱原発」解散もありうる。

shige_tamura at 11:52|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!菅直人 

2011年06月27日

「政治と安全保障」講演録(田村重信)

「天に向かって!」(歌・田村重信)が、カラオケ「ウガとジョイサウンド」で歌えます。よろしく!

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック

 1997年4月14日(月)「防衛庁防衛研究所一般課程研究員研修(防衛庁防衛研究所・東京)」で講演したものです。


◇55年体制とは

 次に、五五年体制とよく言われますが、そのことをどう考えたらいいかということである。東西冷戦の時代、国際的な東西冷戦の「米国対ソ連」の国内版がまさに「自民党対社会党」という構図だったわけだ。

 自民党対社会党というのは安全保障政策の違い、外交政策の違いが一番大きかったわけである。たしかに、社会福祉の問題とか経済の問題での違いはあるが、一番大きなところはまさに安全保障問題、外交問題であるということだと思う。

 というと、自由民主党は自由主義経済、まさに米国を中心とした自由主義経済、そして日米安保を大事にしようということだったわけである。ところが社会党は、どちらかと言うとソ連とか中国、社会主義の方に近くて、日米安保反対、そして自衛隊は憲法違反だということでずっとやってきたわけである。

 だから、五五年体制というのは安保論議がまさに、社会党から言えば、「自衛隊違憲、日米安保体制反対」ということで、安全保障の論議が中心だったようであるが、実はその根っこに憲法論議が絡んでいて、国会での議論の中心は安全保障論議というように見えていても、その根本には憲法論議があったということである。

 そして、自民党が保守合同したのも社会党が統一した関係で、日本が共産主義・社会主義国家に移ると具合が悪いということで、保守勢力が大同団結して保守合同になったということである。
 ただ、鳩山一郎さんが保守合同後の自民党初代の党首(総裁)になった関係で、米国に公取追放された人物が戻ってきて党首になったわけだから、米国についての思いは特別なものがあったようだ。

 だからこそ、米国からできるだけ、「自主的に独立したい」ということが基本にあって、だから自主憲法制定とか憲法改正というのが自民党結党時の一つの大きなスローガンになったわけである。

 それに対して社会党は「憲法を守るんだ」、「再軍備に反対するんだ」という事が大きなスローガンになって、その後、やはり「日米安保があるから日本が戦争に巻き込まれるんだ」という主張がずっと、ベトナム戦争のころなんかもあったわけである。
 従って、最近まで、「自衛隊は憲法違反」と言う主張によって、まともな安全保障の論議というのは行われなかったというわけである。
 まさに、冷戦時代の日本は、感情論と憲法論議に安全保障論議が終始したというわけだ。

 それは例えば、「福祉を拡大するには戦車一台とか飛行機一機を買わなければ可能になるんだ」という議論が盛んに行われるようになったことでも明らかである。



◇今こそ、まともな安全保障論議が必要

 今こそ、まともな安全保障の論議が必要だということだが、まさに五五年体制は自民党対社会党という構図だったのが、それが冷戦の終結によって国際環境が大きく変わることによって、国内的な自民党対社会党という対決構図そのものが安全保障から言うと無意味になってきたということだ。

 社会党は、細川連立政権から村山連立政権にかけて、「自衛隊を合憲」「日米安保体制を維持・堅持」「日の丸・君が代を認める」ということになり、基本的な対立軸というのがなくなって、自民党との政策の違いもあまりなくなってきたわけである。
 その政策の違いというのはやはり、安全保障をめぐる対立というのが非常に大きかったわけだ。

 だから、冷戦終結後、いくつかの政党ができた。昔は政党の名前が、イデオロギーや思想・考え方を表していた。
 例えば、自由民主党だと「自由」と「民主」、だから自由民主党なわけである。社会党は日本社会党で、社会主義。共産党は共産主義の政党というように、各政党とも政党の名前を聞いただけで「ああ、これはこんな考え方の政党なんだ」ということがわかった。

 ところが、冷戦後の日本の政党というのは、それがどういう名前になったかと言うと、「日本新党」「新生党」とか、それから「新党さきがけ」「新進党」「太陽党」。これらは党の名前を見て、具体的な政策というのはわからない。
 ただやはり、なんとなく「新しい」ということさえキャッチフレーズでつければ、国民がそれに乗っかってくれて、支持が拡大するのではないかということで、「日本『新』党」とか「『新』生党」とか「『新』党さきがけ」となったようだ。

 さらに、「新しい」というのが一つだと具合が悪いということで、新進党は「新しい」という言葉を二つ併せて「新」「新」党、すなわち「新進党」となるわけだ。冷戦の今日はまさにこうした政治状況になってきたわけである。

 これは政治がテレビの影響によって、マスメディアの影響によって、新しいのと古いのとの対立構図を浮かび上がらせることで、「我々はフレッシュだ」ということが政治におけるプラス要因になるということで、そうした政党の名前というものが生まれる要因にもなっている。

 それから、党首についても同じようなことが言えるように思う。例えば、民主党なんかでもフレッシュな鳩山由紀夫さん、フレッシュな菅直人さんが党首となった。だから、世の中みんな「フレッシュ」、「新しい」ということが今度の政治における、幅広い国民の支持を得るスローガンになってきたように思われる。

 そういう政治状況の中で、これから本当の安保論議が必要になってくる。今まで冷戦の中にあっては、「僕はアメリカを支持する」「いや、僕は中国やソ連のあのやり方がいいんだ」ということが言えたわけであった。それが、ソ連邦の崩壊で自由主義陣営が勝利することで、今ではこうした対立構図がなくなってきた。

 だからこそ、今後は具体的な安全保障論議をする必要が生じてきたわけである。日本の安全保障を考える場合には、例えば日本の周辺情勢はどんなふうになっているのか、ということを具体的に考えておく必要が出てくるわけである。

 朝鮮半島を見れば、北朝鮮は約百万の地上兵力がある。それから、韓国は約五十五万の地上兵力がある。日本の陸上自衛隊(約十五万)というのは何人いるのかということを考えれば、それは朝鮮半島に存在する軍事力がいかに莫大であるか、ということを想像できるわけである。もし、なにかなければ、なにか心配がなければ、そんなに兵力を置いておく必要がないわけだ。

 たしかに、冷戦が終わったということでヨーロッパの兵力は大幅に減った。減らすこともできたし、軍縮もできた。それでは、アジアの状況はどうかということも子細に検討していく必要があるわけだ。

 ところが、そういうことについて、最近の学生さんだとか、経営者の皆さん、サラリーマンの皆さんも興味を持ってきているが、それをどう勉強するかと言うと、本屋さんに行って本を買って勉強するわけである。実は残念ながら、私から言わせてもらえれば、安全保障に関係するいい本があまりない。どうしても憲法論議の絡んだ安全保障の論議とか、なにせ憲法九条をきちんと世界にPRすることによって日本が平和になるというような話だとか、在日米軍をどんどん無くして日米安保もなくすることが平和への道だというような書物が氾濫しているわけである。

 だから、例えば一九九七年四月十三日の日経新聞に日本の大学性の安全保障についての調査の結果が出ていたが、それを紹介すると、昨年(一九九六年)の五月から十月にかけて、中央大学、帝京大学、立命館など十三の大学に国際関係論を専攻、いわば専門の学生千二百人を対象に実施して、七百人から回答を得たとある。
 それについて、沖縄米軍基地問題については、「兵力を思い切って減らし、海外に移す」、これが二九・九%、そして「日米安保体制を段階的に解消するが、有事駐留方式にする」、これが二五・一%。その結果、「米軍の兵力を何らかの形で削減すべきとの意見が過半数を占めた」と報じている。
 そして、「日米安保条約と自衛隊という日本の安保体制に関しては現在の体制が最も良い」は一五・八%と少数で、「国連の安全保障システムを強化し国連全面依存の体制に変える」との回答が三三・六%でトップになっている。

 この結果を受けて、皆さんは「なんとナンセンスなんだ」というふうに思われるだろうが、実は、これがある意味では日本の大学生の安全保障についての考え方、あるいは国民の少しは安保論議に関心があるという人たちの考え方も、これに近いのではないのかという感じがする。
 だから、今こそ、安全保障の論議を本気でやっていく必要があるし、正しい勉強をしたい人に対しては、そうした情報をきちんと提示していく努力を、これから猛烈にやっていく必要があるというわけである。

 そういう意味では、この防衛研修所の役割というのはこれから非常に大切になってくる。だから私も、こうした問題点が頭にあるものだから、「日米安保と極東有事」という本を出版したわけである。
 私も、仕事の関係で本屋に行って安全保障の本を片っ端から買って読むが、以外とものごとを正確に把握・分析していないで一方的な考え方で書かれた本が多いように感じる。

 例えば、あまり名指しはしたくはないが、岩波新書で出ている都留重人さんの「日米安保解消への道」という本がある。かなり部数が出ているようだが、これを読むと、まず気がつくのは国際情勢認識というのが何もないことだ。
 あるのは、朝日新聞が中心で引用されたものばかりで、それでは自分の考え方は何かと言うと、それは朝日新聞の「社説」だというわけである。それで、都留さんはサミュエルソンの翻訳で知られる有名な経済学者である。
 それが日本の学者の最高レベルというわけである。

 というのは、日本の大学教授というのは、外国の学者の文献の翻訳をして、それを日本に紹介することによって自らの地位を高めるということのようだ。それが今日までの日本の大学教授の姿であったと思う。今までの開発途上の日本では、それでよかったのかも知れないが、これからはやっぱり、そういう諸外国の問題も全部含めて、自分で消化して、それをどう日本に合った考え方として打ち立てていくのか、ということが実は非常に大事な点ではないか。現在でも、そこのところがないというのが非常に残念でならない。

 私は、大学を卒業して、すぐに大平正芳さんの事務所で仕事をした。大平正芳事務所と言っても、これは宏池会と言って、派閥の事務所に勤務したわけである。この宏池会というのは歴代、経済の問題を政策の中心としてやってきた。とくに池田勇人さんの月給二倍論、これなんかは下村治さんが素案を作って、それが国の政策として採用されてきたというもので、伝統的を守って、今日でもこうした研究会が存在する。実は今でも私は、その財政経済の勉強会に身を置いて勉強している。

 そこで当時、高橋亀吉さんという著名な経済学者、実践経済学の評論家がおられたが、私はその高橋さんが研究会にこられて時間があるようだったので、高橋さんのところに行って質問をした。それは当時、米国ではこういう経済政策があるのに、何で日本では同じようなことをやらないのか、といった論調が雑誌や新聞に多かったので、「なぜ、日本は米国と同じ政策をしないのですか」というようにマスコミと同じような質問を高橋さんに行った。
 すると、高橋さんはこう言われた。「そりゃ、君ね、日本は日本だよ」と。

 それはどういうことかと言うと、「米国で成功した例、ヨーロッパで成功した例があっても、それは日本にそのまま持ってきてうまくいく例もあるが、うまくいかない例もあるわけだ。そこはまさに、日本にとってどうしたらいいかということを本気で考えて、そしてその中で、例えそれが借りものであっても日本としてのオリジナティをどう打ち出していくかを考えることが重要なことだ」と言うことを教わった。
 まさに今の時代は、その点が非常に大事になってきている。
 従来は、欧米に手本があったが、今の日本にはそれがない。自らで作り出していく時代なのである。だからこそ、常々私は高橋さんの言葉を頭に入れてやってきている。

 ということはやはり、日本の大学だと研究者、それは官僚組織でも同じ事だが、できるだけいろんなことを勉強して、それをキチンを自分のものとして、外国のものはそれをいかに日本に合ったものにして、また、どう打ち出すかということの工夫、そうしたことがこれから、ものすごく必要になるということを考えなければいけない。

2011年06月24日

村松勝康(車椅子の葛飾区議会議員5期)さんの講演(日本論語研究会)

「天に向かって!」(歌・田村重信)が、カラオケ「ウガとジョイサウンド」で歌えます。よろしく!

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック




 「日本論語研究会」の予定です。

 7月9日(土)の村松勝康(車椅子の葛飾区議会議員5期)さんの「80センチに咲く花」と言う話、感動的ですよ。

*会場は、全て慶應大学・三田キャンパスです
 (港区三田2−15−45)(JR田町、地下鉄三田下車)


第73回

1、日 時 7月9日(土)16時30分〜18時
2、場 所 慶應義塾大学 南校舎(3階)437教室(場所が節電のため変更になりました。)(慶大正門入ってすぐの今年度建て替えられた新しい校舎)

3、講 師 村松勝康(車椅子の葛飾区議会議員5期)
(テーマ、「80センチに咲く花」)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第74回

1、日 時 9月10日(土)16時30分〜18時
2、場 所 慶應義塾大学 (南校舎(4階)445教室) 
3、講 師 山田英雄(JPファミリー生きがい振興財団理事長、元警察庁長官)
       (テーマ、「日本の将来」)

第75回

1、日 時 10月1日(土)16時30分〜18時
2、場 所 慶應義塾大学 (第1校舎1階 109番教室 ) 
3、講 師 桜林美佐(ジャーナリスト)
       (テーマ、「東日本大震災の自衛隊の活動」)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇参加費 無料です。
〇問い合せ先  田村重信(代表幹事)
 Eメールstamura@hq.jimin.or.jp へ連絡下さい。電話―3581−6211(職場)                    
日本論語研究会事務局〒105−0002 港区三田2−15−45 
慶大・南館20510 小林節研究室 気付
(参考)日本論語研究会の日程と研究会の内容は、日本論語研究会のホームページhttp://www.rongoken.jp/index.htmlに掲載しています。

語る 第3回 中曽根康弘元総理

「天に向かって!」(歌・田村重信)が、カラオケ「ウガとジョイサウンド」で歌えます。よろしく!

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック

 友情というものが外交の基本

 総理・総裁経験者がその貴重な体験をもとに、政策ほか、ものごとへの対し方、考え方を『語る』シリーズ。中曽根康弘元総理による第3回は、親しい人間関係づくりで外交に臨んだ体験や、常に国家を考えるという政治家としての使命を語る。


「首脳部間で人間的に抱き合える関係をつくる」

 外交というものを考えるとき、たとえば日米関係でも、まず大事なことはね、アメリカの政治家も人間だ、私も人間だと。
 国籍は違うけど人間には違いないと。今までのキャリアや文化の違いによって違う点はあるけれど、人間という意味においては同じということです。

 だから、政党人として、あるいは国民として目的を遂行していく場合に、国は違っても政治家の責任や政治のあり方については共通のものがある。

 それで、相手のやってることも尊敬し、共鳴してることでは協力し合う。また自分の欠点も言ってもらう。そういう関係になって、人間関係として結び付き合うということが一番大事なんだ。

 だから、外交ということは、首脳部が相手の首脳部との間で、人間的に互いに抱き合える関係をつくり上げる。首脳部間の友情というものが外交の基本ですね。

 首脳部間の信頼感があれば、外務大臣は仕事がやりやすくなる。首脳部間が対立してる場合には、外務大臣は仕事ができない。だから、首脳部間でそういう友情を、交歓・交流し合うような人間関係をつくり上げていくことが外交の要諦なんですね。


「今の政治には個人的付き合いというものがなさすぎる」

 中曽根元総理は総理時代に計5回のサミット(先進7カ国首脳会議=G7時代)に出席した。仏ミッテラン、英サッチャー、西独コール、米レーガン(写真左から=昭和60年5月3日、西独ボン・サミットで)の4カ国首脳とは、就任して半年後(昭和58年5月)の米ウィリアムズバーグ・サミット以来、毎回顔を合わせた

 今の政治を見ておると、アメリカの大統領とか韓国の大統領とか中国の主席とか、そういう相手方に対する個人的付き合いというものがなさすぎますね。

 まあ、手紙を出し合うとか、それから個人的に付き合いを始めて、お互いが人間として、あるいは政治家として助け合うという気持ちが出てきたら、合格ですね。まず人間として認め合わなきゃだめです。首脳会談なんかだけでなく、その前から人間的な付き合いをしていなくてはね。

 私はレーガン(米元大統領)とかサッチャー(英元首相)とか、そういう人とは、前から手紙を出し合ったりして人間的に結び合っていました。

 で、サミット(主要国首脳会議)に行ったときには同志になっていましたね。サミットに出る場合には、味方を一人つくってなきゃだめなんです。会談に乗り込んでいくというような気持ちではなくてね。

 個人的な付き合いというから、私はレーガンを日の出山荘に招待したりしたんです。ああいう田舎家まで呼んで、一緒に田舎の料理を食べる。そういうところまでお互いが進んでいかなければ、本当の外交にはならんですね。


「日本の国家、自分と国家との関係を年中考えている」

 私らの生涯を見ると、戦争がありましたからね。だから、自分は国家とどういう関係を持つかというのは若いころから今日に至るまで続いてる問題ですよ。個人と国家。それで、自分で経験したことを新聞、雑誌に発表して若い人に参考にしてもらっているということです。

 やっぱり政治家になると国家とか国民との関係が死ぬまで随伴して、それが宿命的なものになるものですからね。命に関わるような大事な、一番大事なことになるんですから。とくに政治家になった場合にはね。

 だから年中、国家を考えてるわね。国家観というものが終わったことはないですね。いつも考え直して、日本の国家というのはどんな国家なんだろうか、自分と国家との関係はどうあるべきだったんだろうかと、年中考えていますね。終わったということはない。卒業もないですね。

(近藤三津枝・党新聞出版局長が取材『自由民主』より)


 あの時、この時

―――山荘懇談―――

 昭和58年11月11日。東京・西多摩の丘陵に建つ山荘に日本中の耳目が向けられた。中曽根総理(当時)が自身の別荘「日の出山荘」に、来日中のレーガン米大統領を招いたのだ。
 この年1月には中曽根総理が総理就任後初めて訪米し、レーガン大統領と会談した。5月の米ウィリアムズバーグ・サミットを挟んで、今度は日本での日米首脳会談開催となり、同大統領が来日。9、10両日には、世界平和への日米協力を主要テーマとして会談した。
 そして、この日、午前中に国会で演説し公式日程を終えた大統領がナンシー夫人とともに山荘に到着したのは、正午を30分ほど過ぎたころ。
中曽根総理が蔦子夫人とともに、茶の湯や日本料理、日本酒でもてなす中、和食の効用が話題になったり、大統領がメモ用紙に似顔絵を描いてみせるなど、終始なごやかな懇談となった。
 2時間ほどの滞在時間の最後に、両首脳は20分ほど会談したが、それさえも前日までとは違う狄綟らず瓩箸覆蝓互いに「ロン」「ヤス」と呼び合う親交をさらに深めるものとなった。
 こうして歴史的な舞台となった同山荘は、平成18年11月に中曽根元総理から地元・日の出町に寄贈され、現在「日米首脳会談記念館」として一般に公開されている。

shige_tamura at 16:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!自由民主党 

災害時の危機管理(3、最終回)・拓殖大学大学院教授 森本 敏

「天に向かって!」(歌・田村重信)が、カラオケ「ウガとジョイサウンド」で歌えます。よろしく!

ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓

こちらをクリック

 大震災 復興への視点

 災害時の危機管理 最終回
 
 拓殖大学大学院教授 森本 敏



 東日本大震災は、大規模な地震・津波・原発事故の複合災害であり、この大災害が持つグローバルな意味合いは、二つの側面を持つ。

 一つは、原発事故が原子力安全管理と原子力エネルギー政策についてグローバルな影響を与えたことである。
 さらに、原発事故を起こすと国家と地域社会に如何(いか)なる重大な影響を与えるかをテロリストに教えてしまったという問題もある。

 もう一つは、サプライチェーンの分断がグローバルな生産ライン全体に深刻な影響を与え、製造業のサプライチェーンが想像以上に地域と国を超えて関連していたことが判明したことである。


 一方、この大震災が持つ国内における意味合いは戦後体制が崩壊し、日本人の思考概念にパラダイムシフトをもたらしたことである。

 戦後の憲法下で、個人は自己の権利のみを主張し、社会が成長と発展を続ける限り、金さえ払えば電気も水も食料も、自由に手に入ると思ってきたが、こうした生き方、考え方が崩壊しつつあることを思い知らされたことである。


 来年3月末全ての原発が停止も

 福島原発事故について当面の緊急課題は原子炉を安定的に冷却し、廃炉プロセスを確実に進めていくことである。
 今までのところ、原子炉圧力容器及び格納容器が損傷し、冷却水が漏水して汚染水となって流出している炉では燃料棒が再び露出するのを防ぐための処理に追われるといった、危機管理的対応が続いている。

 他方、浜岡原発は、震災前から最もリスクの高い原発と言われていたところ、政府が危機を未然に防ぐため運転停止を勧告した。
 ところが、これ以降、全国の原発は定期検査を実施したあと再稼働をやめるようになったため、54基のうち、平成23年6月初めの段階で17基の原発しか運転されておらず、このまま13カ月ごとの定期検査後に再稼働できないと、平成24年3月末には全ての原発が停まることになる。


 国家として危機管理対策を明確に

 しかし、こうなると日本の電力エネルギー供給は電力需要を賄うことができなくなり、他のエネルギー(自然エネルギー・化石エネルギー)で補充したり、省エネルギーをしなければならなくなる。

 化石エネルギーを増やすと環境政策に影響を与え、原子力エネルギーを減らして省エネを進めることは、産業・商業施設に重大な影響を与える。

 従って、日本として今までのエネルギー政策(平成22年6月に閣議決定したエネルギー基本計画)の見直しについて、早急に結論を得なければならない。
 また、その前提として原発の安全管理基準を厳しくして、基準を満たさない原発は廃炉にして原子力の安全管理を徹底することが求められるであろう。

 一方、震災については、速やかに復旧のための手順と予算上の手当てを進めるとともに、復興構想に基づいて復興庁を迅速に設置し、復興の基本方針と復興基本計画を策定して、それを予算化していかなければならない。
 復興構想は被災地だけでなく、日本全体の再生を目指したものでなければならず、日本社会の将来像を決めることにもなる。
 その際、産業・社会構造の再生を図るだけでなく、国の機関(政府、自衛隊、警察など)や、地方自治体・諸団体を含めた国家としての危機管理対策を明確にしておくことが求められる。


 首相が強いリーダーシップ発揮を

 国が緊急事態基本法を速やかに整備し、大災害の場合に国家緊急事態を発令できるようにするべきことについては既に指摘した。

 また、国家安全保障会議を震災の場合にも開催出来るように安全保障会議設置法を改正するか、あるいは、国家安全保障会議を新設することが望ましい。とにかく首相が強いリーダーシップを発揮して危機管理活動を統一した指揮系統を駆使して実行しなければ国家と国民は救えない。

 特に、情報・通信機能を充実させておくことは、危機管理の要諦である。
 発災初期に殆(ほとん)どの通信手段が途絶したが、これは改善されるべきである。

 また、国は災害対策基本法に基づく中央防災会議を活用し、あらゆる種類と規模の災害に対応できる基本計画を作り直し、地方自治体もこれにならって、今までの防災計画を見直し、これを訓練しておく着意も必要となる。
 非常時の対応には、通常から厳しい訓練を積み重ねている組織しか通用しない。

 今回の震災では指揮系統を一本にして効率的な活動を行った自衛隊と米軍は日頃の訓練成果を遺憾なく発揮して活躍したが、これらの活動と地方自治体の機能を如何に緊密に連携させるかも今後の課題である。

 また、原発に対するテロ・コマンド攻撃に対応し得る能力を整備しておくことも、必要な留意事項である。原発が民間会社の警備員によって警備されている現状は速やかに改善されるべきであろう。
 (『自由民主』より)

ランキング一覧

人気blogランキング

人気blogランキングに参加しました。
応援よろしくお願いします。
月別アーカイブ
最新コメント