2010年10月

2010年10月18日

中国の反日デモと日本のデモの違い

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 昨日も中国の反日デモが起こった。デモは、土曜・日曜で、一部暴徒化した。


 中国の反日デモ、今度は四川省綿陽…一部暴徒化

【成都=関泰晴、北京=大木聖馬】中国四川省綿陽で17日午後1時(日本時間同2時)ごろ、沖縄・尖閣諸島(中国名・釣魚島)沖の中国漁船衝突事件を巡る反日デモが発生、香港メディアなどによると、同日夜までに参加者が2万〜3万人に膨れあがり、一部が暴徒化した。
 中国では16日、同省成都など3都市で計数万人規模の反日デモがあり、胡錦濤政権は17日、各地で武装警察を投入、デモ拡大阻止に全力を挙げていた。
 綿陽のデモでも、前日の3都市と同様、大学生ら若者が中心となっている。参加者は日本料理店や日系の家電店に投石し、日本車を破壊、警官隊と小競り合いになったという。
 綿陽は、成都の北東約100キロ・メートルに位置し、人口は約545万人。電子工業などが盛んで、中国の核兵器開発拠点としても知られる。2008年の四川大地震では大きな被害が出た。
 一方、16日のデモで一部を破壊された成都の日系スーパー・イトーヨーカドー春煕店は17日朝、武装警察や警官ら計1000人近くが周囲で目を光らせる中、営業を再開した。(2010年10月17日21時32分 読売新聞)



 中国は、今、大変な就職難だ。特に大学を卒業しても就職できないことが若者の不安であり、怒りだ。
 僕も、5月に上海に行ったときに大学教授が「大学生の就職が大変です」との声を聞いた。


 今朝の読売新聞も以下のように報じている。

 就職難の怒りの増幅が、反日スローガンの裏に潜んでいるには明白だ。
 デモの参加者に顔見知りの大学生がいた。『日本鬼子(日本人への蔑称)を追い出せ』と唱えれば、警察も手を出さない。デモは就職難で不満を膨らませる学生にとっては、格好のストレス発散になる。
 大都市の大学を卒業しても定職につけず、郊外にある村落の簡易宿舎に集まって居住するワーキングプアの若者は『蟻族』と呼ばれ、中国社会で問題化している。
 今年は、夏に卒業した大学生約630万人と70万人以上の就職浪人が職を探し、ホワイトカラーの就職難が続いている。今回デモが起きた成都、西安などの内陸部では、上海などより条件はあるかに厳しい。
 自分は蟻族だと話すデモ参加の若者は「大学を卒業してもコネがないと就職できない。党幹部や資産家の子供が優遇され、能力がなくてもエリートコースに乗れる。全く不公平な社会だ」と不満をぶちまけた。
 中国筋によると、成都市と同じ16日に反日デモがあった西安市でも、もともと大学生が中心となってデモを呼びかけたが、「蟻族」の若者が呼応したという。同日夕でデモを組織した大半の学生が撤収した後も、固定収入のない若者がネットで連絡を取り合って集まり、抗議行動を続けた。


――というように、今回のデモは、中国の若者を「愛国・反日」で煽った共産党政府の思惑と別に、中国社会の抱える格差問題、若者の就職難をめぐっての政府批判が根底にある。
 だから、中国政府はデモの鎮静化に努めている。



 日本のデモについては、西村真悟氏が「日本は整然としたデモ、支那は暴動、国家再興の絶好のチャンス!」との論文を「平河総合戦略研究所メルマガ」10月17日 NO.730号)に掲載していた。これを転載する。
                

 十月十六日は、上京し「頑張れ日本!全国行動委員会主催」の「10.16中国大使館包囲!尖閣諸島侵略糾弾!国民大行動」に参加し、深夜帰阪した。
 デモ出発会場となった青山公園には三千五百名が集まり、一時間半にわたって集会をして尖閣を守る日本人の意思を確認した。
 午後三時半ころから二キロのコースでデモ行進を開始し、デモ終了後の午後七時前頃、中国大使館玄関前におもむき、前航空幕僚長の田母神俊雄さんが、対中国抗議文を読み上げ、玄関郵便受けに投函し、流れ解散した。
 デモ参加者は、三千名ほどと思う(マスコミは二千八百と伝えているようだが)。約二キロのデモであったが、デモの先頭が終点の六本木の公園に着いた頃に、デモの最終部隊が青山公園を出発していた。コースは、青山公園から麻布六本木までの若者や外国人の多い華やかな町並みだった。

 中国大使館前には、警察はデモをさせないらしい。
大使館前から、一キロほど離れたところでデモを解散し、あとは一人一人歩道を歩いて大使館前に向かった。田母神さん、私、八尾の三宅さんそして山梨選出の前議員の赤池さんらが一団となって大使館前に歩いた。道の向こう側には、まだデモ隊が整然と行進していた。
 中国大使館玄関の百メートルほど手前で、おまわりさんが、我々を止める。そして、「この横で、しばらく待機していてください」と要請。それから、後続の人たちを五人ずつ、間隔を開けて大使館前を歩かせるという。歩かせるのは、大使館玄関の向かい側の歩道。玄関前歩道には、黒山の報道陣がいた。
 それから、約四、五十分ほどの間、我々は、間隔を開けて五人縦隊になって玄関前に向かう仲間を、「大声出せよー」と、何組も何組も見送った。すると、一、二分後に、玄関前のほうから、「尖閣は日本の領土だー!」という叫び声が聞こえてくる。
 おーやっとる、やっとると思っていたが、考えると、三千名が
五人ずつ間隔を開けて玄関前に歩いてゆくのを見送っていると、見送り終わるのは明日の朝になる。今日中には帰れなくなる。
 それで、午後七時前頃に、我々が玄関前で抗議文の朗読と投函に至った次第だ。
 中国大使館のなかは、電気を殆ど消していてひっそりとしていた。

 このデモに関して述べておかねばならないことは、日の丸の旗を掲げた整然とした行進であったことだ。
 掲げられた日の丸は、三百本ほどか。東京の街頭をこれだけの日の丸が整然と行進するのは、戦後初めてではないか。
 これによって、街頭の日の丸に対する、今までの「右翼の街宣と重なるイメージ」は消え去り、主婦も娘さんも当たり前に掲げるすばらしい日本の国旗という本来の姿が回復された。
 次に、デモが整然としたものであったことについてであるが、これこそ、まさに、日本人の品性を顕したものであった。暴走する者はなく、口汚くののしる者もない。まして、中国共産党の旗を焼いて気勢を上げる者もない。それでいて、参加者全員の内面には領土を守るという確信が秘められている。
 以上が、昨日のデモの特色であり、そこに現れた日本人の個性である。
 想い出したことがある。
 以前、新潟の埠頭で、日本人を拉致した北朝鮮の工作船である万景峰号の寄港反対の抗議行動をしたことがあった。奇妙なことに、新潟県警は、我々日本人が旗竿に日の丸を掲げて埠頭に入るのを阻止したが、入港歓迎のため朝鮮総連関係者が旗竿に北朝鮮の旗を掲げて埠頭にはいるのは許していた。そして、朝鮮総連は、埠頭で旗竿を槍にして日本人を突く姿勢をして威嚇した。
 そのとき、一人が、持参していた北朝鮮の旗を焼こうとした。私はそれを止めて言った。「焼くな、朝鮮と同じことをするな、我々は日本人だ」。
 後日、アメリカCIA元部長であったアーサー・ブラウンさんと話していたとき、彼が「中国人や韓国人に比べて日本人は静かだ、もっと感情を露わにしたらいいのに」と言った。私は、新潟の埠頭のことを説明して、「日本人は、相手国の国旗を焼くという中国人のすぐするようなことはしない。それが、日本人だ」と言った。
 すると彼も言った。「それは分かるんです。私、日本人好きです。しかし、多くのアメリカ人には、中国人や韓国人のように、ぎゃーぎゃーわめくほうがよく伝わるんです」
 そして、二人は大笑いした。
 熊本大学で夏目漱石を研究しながら日本の武道を習得し、青春をベトナム戦争に従軍して戦場で過ごてからCIAに入ったアーサー・ブラウン君が私と共にこのデモ隊にいたら、「これが君の好きな日本人だろう、俺と同じじゃないか」と話せたのにと思った。

 そこで、昨日、同じ日に支那の内陸部、成都、西安そして河南省の鄭州などで行われた反日デモに関して述べておきたい。
 これは、東京におけるデモの情報に対抗して中国内のネットで呼びかけられたデモだと報道されている。
 読売朝刊の一面見出しは、「中国数万人反日デモ、尖閣抗議 日系スーパー被害 成都など3都市」とある。
 しかし、我が国東京の日本人のデモが「デモ」だからと言って、中国人のデモが「デモ」ではない。
 歌の文句にあった。「こい」にも色々ありまして、緋鯉に真鯉は池の「こい」、今夜来てねと頼んでも金持って「こい」では「こい」じゃーない。
 この歌の文句と同じだ。我が国では「デモ」であるが中国人のは「デモ」ではない、常に「暴動」だ。
 その証拠に、彼らのターゲットは、常に、日本のスーパーであり日本料理屋であり日本車ではないか。
 では、この中国の暴動を如何に見るか。
 中国外務省報道局長は、「反日デモ理解の談話」を発表したという。
 しかし、我々は、この暴動が、中国共産党の九人の政治局常務委員の権力闘争のなかで行われたことに注目すべきである。
 つまり、十五日から重要政治イベントである中国共産党第十七期中央委員会第五回総会(五中総会)という名前では訳が分からないが内実は権力闘争の場が始まっている。
 この最中の反日デモという暴動は何を意味するか。それは共産党権力の不安定化につながりかねない要因だということだ。
 中国は、膨大な国防費を遙かに超える治安維持費つまり警察費を使わなければ、安定を維持し得ない国である。
 戸籍のない人民を加えると十五億を超えると言われる人民を七千万人の中国共産党員が公金(税金)を搾取しつつ支配し、その共産党を九人の政治局常務委員が支配している。
 そして、その九名のうち、北京天津経済圏を背景にする胡錦涛派は三名と少数で、上海経済圏を背景にする江沢民派は五名、他一名は例の習近平で太子党の上海の江沢民に近い出自である。太子党とは、共産党大幹部の子弟の特権階級という身分。
 この体制の共産党支配が、昨日十六日の暴動で衝撃を受けているといわれる。この暴動を、共産党は今の政治状況では、「反日デモを評価する」としか言えないだろう。(以下、略)

2010年10月15日

外国人土地法について

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 今日、自民党の領土に関する特命委員会(石破 茂委員長)の会議で、法務省から「外国人土地法」の説明を受けた。

 外国人土地法(大正14年法律第42号)とは、外国人・外国法人(以下「外国人等」という。)が、日本における土地に関する権利を保有することを制限する法律。

 立法の背景は、外国人は、明治6年の太政官布告により、土地所有権が認められていなかったが、我が国の国力が進歩し、経済的にも社会的にも、原則として内国人と平等の土地所有権を認めることが相当な状況に至ったことから、一定の制限の下で、これを認めるに至ったもの。

 外国人土地法による制限については、
ヽ姐饋妖が属する外国の法が、日本人による土地に関する権利の享有を制限しているときは、政令によって、外国人等の日本における土地に関する権利の享有につき同様な制限的措置をとることができる(外国人土地法第1条)

国防上必要な地区においては、政令によって、外国人等の土地に関する権利の取得につき禁止をし、または条件もしくは制限を付することができる(同法第4条)


 これまで制定された政令は、
 第1条の政令は、制定されたことがない。
 第4条の政令は、戦前一度制定されたことがあるが(大正15年勅令第334号=一定の地域における外国人等による土地の取得に関し、陸・海軍大臣の許可の取得を義務付けるもの)、昭和20年10年24日に廃止された。

 外国人土地法施行令で指定された地域は、離党や軍事関連施設等の所在する市町村となった。


 今後、政令を制定する場合には日本国憲法等との関係なども考慮して制定する必要がある。

2010年10月14日

尖閣諸島に関するQ&A(外務省)

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【基本問題】
Q1 尖閣諸島についての日本政府の基本的な立場はどのようなものですか。

A1 尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり,現に我が国はこれを有効に支配しています。したがって,尖閣諸島をめぐって解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しません。


Q2 尖閣諸島に対する日本政府の領有権の根拠は何ですか。

A2 1.尖閣諸島は,1885年から日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で,1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って,正式に日本の領土に編入しました。この行為は,国際法上,正当に領有権を取得するためのやり方に合致しています(先占の法理)。

2.同諸島は,それ以来,歴史的に一貫して日本の領土である南西諸島の一部を構成しています。なお,尖閣諸島は,1895年5月発効の下関条約第2条に基づき,日本が清国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれません。また,サンフランシスコ平和条約においても,尖閣諸島は,同条約第2条に基づいて日本が放棄した領土には含まれていません。尖閣諸島は,同条約第3条に基づいて,南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ,1971年の沖縄返還協定(「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」)によって日本に施政権が返還された地域に含まれています。

【参考:サンフランシスコ平和条約第2条】
(b)日本国は,台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。
【参考:サンフランシスコ平和条約第3条】
 日本国は,北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。),孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島,西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで,合衆国は,領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して,行政,立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

【参考:沖縄返還協定第1条】
2 この協定の適用上,「琉球諸島及び大東諸島」とは,行政,立法及び司法上のすべての権力を行使する権利が日本国との平和条約第三条の規定に基づいてアメリカ合衆国に与えられたすべての領土及び領水のうち,そのような権利が千九百五十三年十二月二十四日及び千九百六十八年四月五日に日本国とアメリカ合衆国との間に署名された奄美群島に関する協定並びに南方諸島及びその他の諸島に関する協定に従つてすでに日本国に返還された部分を除いた部分をいう。
【参考:沖縄返還協定 合意された議事録】
 第一条に関し,
 同条2に定義する領土は,日本国との平和条約第三条の規定に基づくアメリカ合衆国の施政の下にある領土であり,千九百五十三年十二月二十五日付けの民政府布告第二十七号に指定されているとおり,次の座標の各点を順次に結ぶ直線によって囲まれる区域内にあるすべての島,小島,環礁及び岩礁である。
 北緯二十八度東経百二十四度四十分
 北緯二十四度東経百二十二度
 北緯二十四度東経百三十三度
 北緯二十七度東経百三十一度五十分
 北緯二十七度東経百二十八度十八分
 北緯二十八度東経百二十八度十八分
 北緯二十八度東経百二十四度四十分


Q3 日本は尖閣諸島を有効に支配しているとのことですが,具体例を教えてください。

A3 1.明治17年(1884年)頃から尖閣諸島で漁業等に従事していた沖縄県在住の民間人から国有地借用願が出され,明治29年(1896年)に明治政府はこれを許可しました。この民間人は,この政府の許可に基づいて尖閣諸島に移民を送り,鳥毛の採集,鰹節の製造,珊瑚の採集,牧畜,缶詰製造,燐鉱鳥糞の採掘等の事業を経営しました。このように明治政府が尖閣諸島の利用について個人に許可を与え,許可を受けた者がこれに基づいて同諸島において公然と事業活動を行うことができたという事実は,同諸島に対する日本の有効な支配を示すものです。

2.また,第二次世界大戦前において,国又は沖縄県による尖閣諸島の現地調査等が行われていました。

3.第二次世界大戦後,尖閣諸島はサンフランシスコ平和条約第3条によって,南西諸島の一部として,米国の施政権下に置かれたため,その後昭和47年(1972年)5月15日に,尖閣諸島を含む沖縄の施政権が日本に返還されるまでは,日本が尖閣諸島に対して直接支配を及ぼすことはできませんでした。
 しかし,その間においても,尖閣諸島が日本の領土であって,サンフランシスコ平和条約によって米国が施政権の行使を認められていたことを除いては,いかなる第三国もこれに対して権利を有しないという同諸島の法的地位は,琉球列島米国民政府及び琉球政府による有効な支配を通じて確保されていました。

4.さらに,尖閣諸島を含む沖縄の施政権が日本に返還された後について,幾つかの例を挙げれば以下のとおりです。
(1)警備・取締りの実施(例:領海内で違法操業を行う外国漁船の取締り。)。
(2)土地所有者による固定資産税の納付(民有地である魚釣島(Uotsuri Is.),久場島(Kuba Is.)等)。
(3)国有地としての管理(国有地である大正島(Taisyo Is.)等)。
(4)政府及び沖縄県による調査等(例:沖縄開発庁による利用開発調査(仮設へリポートの設置等)(1979年),環境庁によるアホウドリ調査の委託(1994年),沖縄県による漁場調査(1981年)。)。

【中国(乃至台湾)の主張に対する日本の見解】

Q4 中国(・台湾)による尖閣諸島の領有権に関する主張に対して,日本政府はどのような見解を有していますか。

A4 1.従来,中国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的,地理的乃至地質的根拠等として挙げている諸点は,いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とは言えません。

2.日本の領土たる尖閣諸島の領有権について,中国政府及び台湾当局が独自の主張を始めたのは,1970年代以降(参考)です。それ以前には,サンフランシスコ平和条約第3条に基づいて米国の施政権下に置かれた地域に尖閣諸島が含まれている事実に対しても,何ら異議を唱えていません。

3.なお,1920年5月に,当時の中華民国駐長崎領事から福建省の漁民が尖閣諸島に遭難した件について発出された感謝状においては,「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」との記載が見られます。また,1953年1月8日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」においては,琉球諸島は尖閣諸島を含む7組の島嶼からなる旨の記載があるほか,1960年に中国で発行された中国世界地図集では,尖閣諸島が沖縄に属するものとして扱われています。

【参考:中国政府及び台湾当局の主張の開始の背景】
 1968年秋,日本,台湾,韓国の専門家が中心となって国連アジア極東経済委員会(ECAFE:UN Economic Commission for Asia and Pacific)の協力を得て行った学術調査の結果,東シナ海に石油埋蔵の可能性ありとの指摘がなされ,尖閣諸島に対し注目が集まった。

【参考:中華民国駐長崎領事の感謝状】(仮訳)
 中華民国8年冬,福建省恵安県の漁民である郭合順ら31人が,強風のため遭難し,日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島に漂着した。
 日本帝国八重山郡石垣村の玉代勢孫伴氏の熱心な救援活動により,彼らを祖国へ生還させた。救援において仁をもって進んで行ったことに深く敬服し,ここに本状をもって謝意を表す。

中華民国駐長崎領事 馮冕
中華民国9年5月20日

【参考:1953年1月8日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」】(抜粋・仮訳)
 「琉球諸島は,我が国(注:中国。以下同様。)の台湾東北部及び日本の九州南西部の間の海上に散在しており,尖閣諸島,先島諸島,大東諸島,沖縄諸島,大島諸島,トカラ諸島,大隈諸島の7組の島嶼からなる。それぞれが大小多くの島嶼からなり,合計50以上の名のある島嶼と400あまりの無名の小島からなり,全陸地面積は4,670平方キロである。諸島の中で最大の島は,沖縄諸島における沖縄島(すなわち大琉球島)で,面積は1211平方キロで,その次に大きいのは,大島諸島における奄美大島で,730平方キロである。琉球諸島は,1000キロにわたって連なっており,その内側は我が国の東シナ海(中国語:東海)で,外側は太平洋の公海である。」


Q5 尖閣諸島は,日清戦争後日清講和条約(下関条約)によって台湾と共に日本に割譲された台湾の付属島嶼ではないのですか。

A5 1.日本が尖閣諸島を沖縄県に編入することを決定したのは明治28年(1895年)1月の閣議においてであり,また,日本が台湾及びその付属島嶼を譲り受けたのは明治28年(1895年)4月に調印された日清講和条約(下関条約)によるものです。したがって,そもそもこのような主張は成り立ちません。

2.日清講和条約(下関条約)によって,日本が清国より譲り受けた台湾及びその付属諸島嶼については,同条約はその具体的範囲を明記していませんが,交渉経緯等からしても,尖閣諸島が同条約(第2条2)の台湾及びその付属諸島嶼に含まれるという解釈を根拠づけるようなものはありません。

3.他方,日本は既に日清戦争以前から,尖閣諸島に対して清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認しつつ,同諸島を正式に日本の領土として沖縄県に編入するための準備を行っています。明治28年(1895年)の閣議決定を経て,日清戦争後においても,尖閣諸島を,割譲を受けた台湾総督府の管轄区域としてではなく,一貫して沖縄県の一部として扱っていました。こうした事実から明らかなとおり,日本は,日清戦争の前後を通じて,尖閣諸島が清国の領土であった台湾及びその付属諸島嶼の一部であったと考えたことはありません。したがって,講和条約による割譲の対象とすることもあり得なかったわけです。

4.その後日本は,サンフランシスコ平和条約第2条(b)により,日本が日清戦争によって中国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島の領有権を放棄しましたが,尖閣諸島がここに言う「台湾及び澎湖諸島」に含まれないことは,尖閣諸島については,サンフランシスコ平和条約第3条に基づき,南西諸島の一部として米国が施政権を現実に行使してきたこと,及び昭和47年(1972年)の沖縄返還により日本が施政権の返還を受けた区域に同諸島が明示的に含まれていることからも明らかです。

【参考:日清講和条約(下関条約)第2条】
 清國ハ左記ノ土地ノ主権竝ニ該地方ニ在ル城壘,兵器製造所及官有物ヲ永遠日本國ニ割與ス
一(略) 
二 台湾全島及其ノ附属諸島嶼
三 澎湖列島即英國「グリーンウィッチ」東経百十九度乃至百二十度及北緯二十三度乃至二十四度ノ間ニ在ル諸島嶼


Q6 日本が尖閣諸島を日本の領土に編入した際,同諸島は,無主の地ではなく既に中国の領土だったのではないですか。

A6 日本は明治18年(1885年)以降沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,これらの島々が単に無人島であるだけでなく,清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認した上で,沖縄県編入を行ったものです。1970年以降になって,中国又は台湾は,尖閣諸島は元々中国の領土であったとして種々議論していますが,これらは,いずれも当時中国が尖閣諸島を国際法上有効に領有していたことを立証し得るものではありません。
 いずれにせよ,中国又は台湾が従来尖閣諸島を中国の領土と考えていなかったことは,戦後サンフランシスコ平和条約第3条に基づいて米国の施政下に置かれた地域に尖閣諸島が含まれていた事実に対し,1970年代に至るまで何等異議を唱えなかったことからも明らかです。

グーグルマップにおける尖閣諸島の表記の誤りに関する申し入れ

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 今朝の新聞各紙にも取り上げられていた「尖閣の中国名表示削除を…グーグルに自民要請」について報告する。


 この件は、自民党の会議で議員から「グーグルマップには、尖閣諸島について、中国名も併記されている。これは問題だ」との指摘があった。

 これで対して、昨日、自民党外交部会長の小野寺五典衆議院議員は、グーグルの日本法人に「グーグルマップにおける尖閣諸島の表記の誤りに関する申し入れ」を行った。
 内容は、「グーグルマップで、尖閣諸島・魚釣島に関し、中国側の呼称である『釣魚群島』『釣魚島』と併記してあり、早急に訂正頂きますよう強く申し入れいたします」――というもの。

 グーグル日本法人は「米本社に伝える。しかるべき時期に返答したい」と述べた。


 以下が「自民党の申し入れ」(全文)。



                           平成22年10月13日

グーグル株式会社 御中
                            自 由 民 主 党     
                       政務調査会長 石 破   茂
                       外交部会長  小野寺 五 典


   グーグルマップにおける尖閣諸島の表記の誤りに関する申し入れ


 貴社の日頃の活動に対し、心から敬意を表します。
 さて、尖閣諸島沖における中国漁船衝突事案に関連して、国民の関心が同海域及び領有の歴史的経緯等に向けられていることはご承知の通りです。
 尖閣諸島がわが国固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も疑いのないところであり、現にわが国はこれを有効に支配しているところです。したがって、尖閣諸島をめぐり、解決すべき領有権の問題は存在していません。
 しかるに、貴社が提供するグーグルマップにおいては、わが国領土である尖閣諸島及び同諸島内の魚釣島に関し、中国側の呼称である、「釣魚群島」、 「釣魚島」と併記し、あたかも中国との領有権問題が存在する領域であるかのごとき表記のされ方となっております。これは明確に誤りであり、表記を早急に訂正頂きますよう強く申し入れいたします。

2010年10月13日

インド洋におけるテロ・海賊対処活動に対する補給支援特措法案の概要について

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 今朝の自民党・内閣・外交・国防・国土交通合同部会で、「インド洋におけるテロ対策海上阻止活動及び海賊行為等対処活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案」(議員立法)が了承された。
 今後、党内手続きを経て国会に提出される。


「インド洋におけるテロ対策海上阻止活動及び海賊行為等対処活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案」の概要について


 本法律案は、テロ対策海上阻止活動に対するインド洋における補給支援活動及び海賊行為等対処活動に対するインド洋における補給支援活動をともに国際社会の取組に対する協力として位置付け、ひとつの特別措置法で規定することを内容としている。

 具体的には、

 法律の目的については、我が国が国際的なテロリズムの防止・根絶及びソマリア沖における海賊行為等の抑止等のための国際社会の取組に積極的かつ主体的に寄与するため、インド洋においてテロ対策海上阻止活動・海賊行為等対処活動を行う諸外国の軍隊等に対し補給支援活動を実施するものとし、もって我が国を含む国際社会の平和及び安全の確保に資すること。

 補給支援活動の実施地域については、いわゆる非戦闘地域であるインド洋の公海等としている。

 まず、テロ対策海上阻止活動を定義し、「諸外国の軍隊等が行っているテロ攻撃による脅威の除去に努めることにより国際連合憲章の目的の達成に寄与する活動のうち、テロリスト、武器等の移動を国際的協調の下に阻止し及び抑止するためインド洋上を航行する船舶に対して検査、確認その他の必要な措置を執る活動」としている。


 定義について

 海賊行為等対処活動を「諸外国の軍隊等がソマリア沖における海賊行為等に係る国際連合安全保障理事会決議を受けて国際的協調の下に行っているソマリア沖における海賊行為等に対処するため必要な措置を執る活動」とした。

 さらに、補給支援活動を「テロ対策海上阻止活動・海賊行為等対処活動の円滑かつ効果的な実施に資するため、自衛隊がテロ対策海上阻止活動・海賊行為等対処活動に係る任務に従事する諸外国の軍隊等の艦船に対して実施する自衛隊に属する物品及び役務の提供に係る活動」とし、活動の内容は、艦船等の燃料油の給油又は給水のみに限った。


 実施計画に定める事項としては、諸外国の軍隊等の艦船に対して提供する自衛隊に属する物品が当該諸外国の軍隊等により適正に使用されることの確保に関する事項を特に規定した。


 テロ対策海上阻止活動・海賊行為等対処活動に対する補給支援活動に係る物品の貸付(かしつけ)・譲与については、当該補給支援活動を国際社会の取組に対する協力と位置付けることから、無償で行うことができるものとした。


 国会の関与については、国会承認ではなく、ー損楫弉茲侶萃蝓κ儿垢瞭睛董↓∧箋觧抉膤萋阿終了したときの結果を遅滞なく国会に報告するものとした。


 武器使用基準については、これまでの立法例に照らし、自己保存型に限定した。


 法律の期限については、テロ対策海上阻止活動・海賊行為等対処活動が1年を超えて継続することが予想されることから、当初2年、延長は2年以内とした。

中国軍事専門家・平松茂雄 資料が語る「尖閣は固有の領土」

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 尖閣諸島問題がクローズアップされています。
 今日(10月13日)の産経新聞【正論】に、中国軍事専門家・平松茂雄氏の「資料が語る『尖閣は固有の領土』」が掲載されました。以下が全文です。



 尖閣諸島が紛れもなく日本領土であることを実証する資料集が2冊、この数年の間に沖縄で出版されている。那覇の尖閣諸島文献資料編纂(へんさん)会による『尖閣研究−高良学術調査団資料集』(上下巻、平成20年)と、『尖閣研究−尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告』で、前著は700ページ、後著は300ページを超す大部である。

 前著は、筆者が平成20年3月3日付本紙読書欄で紹介した。戦後5回、多方面にわたり行われた高良学術調査団の調査を通し島の実態が克明に記述されていて興味が尽きない。この種の調査が戦後5回も実施されたことが、取りも直さず尖閣諸島に対するわが国の実効支配を裏付けているという意味でも貴重な文献である。

 今度出た資料集は、官報、公文書、各種新聞記事、漁業・水産関係資料などを基に編纂され、この8月に刊行されたばかりなので、本欄を借りて紹介する。

 ≪領土宣言前からの日本漁場≫

 尖閣諸島が日本の領土となったのは、明治28年(1895年)である。だが、それ以前の明治初年から、先島諸島次いで沖縄の漁民たちが、小さな刳(く)り舟や伝馬船で東シナ海の洋上遥か彼方(かなた)の小島を目指して出漁していた。

 尖閣諸島周辺海域は豊かな漁場である。直近の海域でカジキ、カツオ、イルカ、フカなどが簡単に獲れた。波の高い時には海水とともに魚が甲板に飛び込んできた。魚釣島の海岸にはいくつもの自然にできた掘割があり、満潮になると入ってくる魚を棒で追い出して獲った、と高良調査団員は回想している。島はアホウドリその他の野鳥の楽園でもあった。同報告書によれば、推定1000万羽の海鳥が群れをなしていた。

 尖閣諸島は、明治17年から石垣島の古賀辰四郎氏が、1島を除く4島を日本政府から借り上げ、主島の魚釣島と南小島で鰹節(かつおぶし)工場やアホウドリの羽毛の採取を生業としていた。昭和7年に払い下げを受けて古賀氏の私有地となった。昭和15年、戦争が近づいてきたため古賀氏が引き揚げて以来、無人島となった。現在は埼玉県在住の日本人が所有している。

 ≪中国の足跡は何もなし≫

 中国は尖閣諸島に何の足跡も残していない。それに対し、この膨大な資料は尖閣諸島周辺海域での先島諸島、沖縄本島漁民たちの明治初年からの長い漁業活動の歴史を伝えてくれている。尖閣諸島の領有権を考える上で忘れてはならない貴重な歴史である。

 だが、わが国政府の対応は今に至るまで余りに消極的に過ぎた。明治政府は、明治初期の「琉球処分」以来、沖縄の反対勢力と旧宗主国だった清国(中国)を恐れ、沖縄の改革に腰が引けていた。明治政府の事なかれ主義は尖閣諸島の扱いでも同様だった。

 内務省の命を受け明治18年、沖縄県は「沖縄県と清国福州との間に散在する」無人島(尖閣諸島)を調査した。その結果、清国帰属の証拠は少しも見当たらず、「無主地」として、国標建設(領土編入)を要望する旨の上申書が沖縄県令から提出されたが、井上馨外務卿は反対の態度を取り続けた。その後も沖縄県から明治23年と26年に領土編入の上申書が提出されたが、明治政府は放置した。そして、日清戦争の勝利が確実となった明治28年1月、突然、尖閣諸島に標杭建設の儀は差し支えないとの閣議決定が下された。

 ≪政府の及び腰が脅威を招く≫

 明治18年以降、領土編入までの10年間に3回の調査を重ねながらも、明治政府は沖縄県からの「領土編入」の上申を受け入れなかった。対中(清国)関係を重視して渡航を自重させるでもなく、慎重な調査を続けるでもなかった。何もしなかったのである。

 尖閣諸島へ渡ったのは、明治政府や沖縄県の役人など調査の関係者ではなく、先島諸島や沖縄本島の漁師たちだった。夜光貝、アホウドリの羽毛など換金性の高い漁獲物が廃藩置県後に沖縄に流入した寄留商人に大量に買い取られ、那覇港から輸出された。

 領土編入以来、100年を経た現在、またも日本政府の対中及び腰で、尖閣諸島は周辺海域に頻繁に押し寄せてくる大量の漁船からの「中国の脅威」にさらされている。
 漁船といっても、漁民を装った民兵の船や武装漁船である。

 これらの船舶による侵犯状態が続き、漁船保護目的で中国海軍艦艇が展開するようになると、尖閣諸島は「中国の領土」、周辺海域も「中国の海」となって、先島諸島と沖縄本島の漁民は中国政府の許可を得ないと操業できなくなってしまうだろう。日本政府は、これらの諸島の漁民たちの、明治以来の尖閣諸島や周辺海域での活動を無にしてはならない。(ひらまつ しげお)

2010年10月12日

尖閣問題 最も損したのは日本

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 上記の写真は、僕が国会議員に同行して、自衛隊機から撮った写真である。尖閣諸島と中国のガス田である。

 今の菅政権は、有力な政治家が超党派で尖閣諸島を観たいと海上保安庁や自衛隊に航空機の出航を依頼しても断られる。

 前原誠司外相は香川県直島町で「政府は一切関知していない。コメントはない」。 民主党の岡田克也幹事長は石川県輪島市で「議員は行動の結果について当然責任を持つ」と不快感を表明した。

 なにせ、中国に怒られるのが怖いらしい。


(参考)

 原口前総務相ら超党派議員、空から尖閣諸島視察

 超党派の国会議員がつくる「国家主権と国益を守るために行動する議員連盟」の原口一博前総務相(民主党)、藤田幸久参院議員(同)、河井克行衆院議員(自民党)、柿沢未途衆院議員(みんなの党)が9日昼、沖縄・尖閣諸島を上空から視察した。
 原口氏は視察後、沖縄県石垣市で記者団に、「尖閣諸島のすべての島を視察し、地域特有の自然が広がるのを確認できた。この地域の重要さを改めて痛感した」と語った。
 視察に際し、議連側は海上保安庁や自衛隊に航空機の出航を依頼したが、「(中国との関係が)微妙な時期だ」などとして断られ、民間機をチャーターした。
(2010年10月9日13時36分 読売新聞)



 北沢防衛相が外務省に怒るも当然だ。

 それは、12日にベトナム・ハノイで開かれる拡大東南アジア諸国連合(ASEAN)国防相会議の際に行う参加国の国防相との個別会談のうち、中国との会談を外務省が要請していなかったからだ。

 それで、北沢防衛相は前原外相に直接電話をして実現したと。


(参考)
 北沢防衛相が外務省にお冠、そのわけは?

 北沢防衛相は8日の閣議後の記者会見で、12日にベトナム・ハノイで開かれる拡大東南アジア諸国連合(ASEAN)国防相会議の際に行う参加国の国防相との個別会談のうち、中国との会談を外務省が要請していないとして「けしからん。腹が立っている」と批判した。

 北沢氏は12日の国防相会議自体には国会日程のため欠席するものの、10、11日にハノイを訪れ米国、中国、ベトナムなど7か国の防衛関係閣僚と個別に会談するよう外務省に調整を要請していた。しかし、外務省は中国の梁光烈国防相について、中国政府に会談を要請する公電を出していなかった。北沢氏は7日に前原外相に直接連絡し、外務省は8日までに公電を出したという。
(2010年10月8日23時38分 読売新聞)



 その結果、尖閣諸島への各国の受け止めは厳しいものとなった。

(参考)

 北沢防衛相の「尖閣は日本の領土」に全面賛同なし 5カ国国防相
(2010.10.12 00:09 共同)

 北沢俊美防衛相は11日、ベトナム、インドネシア、オーストラリア、タイ、シンガポールの国防相と滞在先のハノイ市内で相次ぎ会談、尖閣諸島について「日本固有の領土だ。歴史的にも国際法上も疑いようがない」と説明した。しかし、全面的に賛同した国防相はなく、「国際法に基づき平和的に解決することを望む」(インドネシア)など慎重な対応を求める発言が相次いだ。

 北沢氏は各国との会談で、中国の活発な海洋進出に触れ「連携して対処することが重要だ。緊密に意見交換したい」と提案したが、いずれの国も「広い意味での連携」(同行筋)への賛意にとどまり、中国を名指しする発言はなかったという。

 南沙、西沙諸島の領有権を中国と争うベトナムのフン・クアン・タイン国防相は南シナ海情勢に一切言及しなかった。



 次にこれには驚いた。


 それは、岡田幹事長の『夕刊フジ』(7日)「ズバリ直球」コラムの『尖閣問題 最も損したのは中国』という自らの発言記事だ。

 そこには、「事件発生後、私は外相だった。丹羽宇一郎中国大使は、深夜を含めて、中国外務省に4回呼び出された。『同様の対抗措置を取るべき』という強硬な意見もあったが、私は中国の程永華駐日大使を一度も呼び出さなかった。『お互い冷静になろう』というメッセージを込めたつもりだった。」とある。

 呼び出して抗議するのが外相の仕事、それを官僚にさせるのだから。
 これが民主党の菅政権の「政治主導」の実態だ。

 これでは、日本の権威が失墜するだけだ。
 こうした根底には、菅政権の「静かにしていれば」「先送りすれば良い」という姿勢がある。

 だから東南アジアも日本はあてにならない、嫌だけれども中国とうまくやるしかないとなる。


 なお、先週金曜日・僕が出演した「チャンネル桜」の「領土を守るための日本国憲法を」ご覧ください

2010年10月08日

ビデオも公開できない菅政権

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 政府は、「中国漁船衝突事件の様子を海上保安庁が撮影したビデオについて、公開に応じない方針を固めた。」との報道がある。

 やっと菅総理が中国の温首相と懇談し、「双方は、日中関係の現在の状況は望ましいものではなく、戦略的互恵関係を推進していくことを確認した」「双方は、ハイレベルの交流を適宜行っていくこと、また、最近延期となった交流事業の再開を含む民間レベルの交流を推進していくことで一致した」とのこともあり、ビデオ公開が、日中の摩擦を再燃しかねないとの思いがあるだろう。

 それにしても、菅政権の対応が後手後手である。
 さらに問題は、菅総理が今だにビデオを見ていないという点だ。
 大変な外交問題にまで発展した証拠であるビデオを見ないというのは、トップとしての危機管理のセンスが全くない。
 これは、他人任せにすべきではない。

 だから、温首相との懇談も迫力がないのだ。

 当初、温首相との会談はないとの見通しで外務省が中国語の通訳を同行しなかった。これも見通しを誤ったわけだ。
 外務省は会談がないと思ったが、官邸は極秘で中国と折衝し、温首相との懇談にこぎつけた。これは二元外交で、国益を失する行為である。

 だから、温首相側には日本語の分かる通訳がいたが、菅総理側には中国語を理解できる通訳がいなかった。これでは、中国側が、懇談の内容は「000000」と言えば、日本側は中国語が分からないためキチンと反論することが不可能となる。
 極めて危険な首脳間の懇談をしてしまったわけだ。

 菅総理は、ただ会えばいいということで、船長逮捕の違法性もフジタ社員の釈放も言わなかったようだ。だから、国会の代表質問でそのことを聞かれても、答えをはぐらかしたわけだ。


 今回の背景には日米関係の悪化がある。
 民主党政権は、普天間問題で日米関係を悪化させ、それを見透かされて、中国は強気に出たわけだ。日本の防衛は自衛隊と米軍がセットであり、日米両国の関係が極めて重要だ。

 船長を逮捕して、拘留延長し、その後、中国の圧力で釈放した。それも、検察の外交的配慮も任せで、「検察の判断だ」と言う。


 菅総理は、日本の国益と威信をまもる気概がない。
 外交・安保・危機管理に対応できない。

 民主党政権が、続けば続くほど、国益が毀損されていく。



(参考)

 尖閣ビデオは非公開、「日中」再悪化を懸念
(読売新聞 10月8日(金)5時14分配信)

 政府・与党は7日、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件の様子を海上保安庁が撮影したビデオについて、公開に応じない方針を固めた。

 公開すれば日中両国で相互批判が再燃し、4日の日中首脳会談を機に改善の兆しが出てきた日中関係が再び悪化しかねないとの判断からだ。

 国会がビデオ提出を求める議決をした場合などは、予算委員会など関連委員会の「秘密会」への提出とし、限定的な開示にとどめたい考えだ。

 衆院予算委員会は7日開いた理事懇談会に法務省の小川敏夫法務副大臣らを呼び、ビデオの扱いについて協議した。法務省側は「中国人船長を起訴するか否かの結論が出ていない段階で、捜査資料を出したケースは今までない」と説明し、現時点での国会提出に難色を示した。与党側も慎重な姿勢を示した。

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