2008年12月

2008年12月24日

無責任な民主党(細田博之幹事長)

 以下の記事は、自由民主(1月6・13日合併号)から転載しました。

無責任な民主党

――国民に何を訴えていきますか。

細田幹事長)民主党が聞き心地の良いことを言いますが、財源の裏付けがないなど実現が難しい政策ばかりです。
 間違っても「民主党に一度かえてみよう」との議論に乗らないようにしていただきたいです。一度かえると、さらなる大混乱が到来することは目に見えています。
 長寿医療制度はその典型です。民主党は元に戻せと主張しますが、今後どのよう な制度にしていくのかは、廃止されてから考えればよいとの無責任な議論を展開しています。
  大衆にこびるような民主党の政策の本質を見抜いていただきたいと思います。

shige_tamura at 10:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!民主党 

2008年12月22日

核武装を「カード」にした佐藤首相の瀬戸際政策

 今朝の新聞各紙で、佐藤栄作首相が1965年1月、首相として初訪米した際のマクナマラ国防長官との会談で、中国と戦争になった場合には「米国が直ちに核による報復をする」と先制使用も含めた核による即時報復を要請していたことが、20日付けで外務省が公開した資料で明らかになった。 (中国は64年10月に原爆実験が成功した)

この点について、産経新聞の僕の友人でもある野口裕之氏の記事を掲載します。

外交文書公開
核武装を「カード」にした佐藤首相の瀬戸際政策
(2008.12.22 00:52、産経インターネットより)

 今回明らかになった外交文書は、佐藤栄作首相が「瀬戸際政策」を貫ける、わが国では希有(けう)な政治指導者であったことを、あらためて印象付けた。

 この瀬戸際政策の背景にあるのは、マクナマラ国防長官との会談3カ月前に成功した中国の核実験だが、これを機に米側に生じた「日本の核武装」への疑念を、佐藤氏は外交の切り札に利用した。佐藤氏が核武装を否定(私的には肯定)してもなお、米側は疑念を解かない。だからこそ、佐藤氏は、マクナマラ国防長官との会談前日のジョンソン大統領との会談で「核の傘」の保証を要請し、大統領に応じさせた。

 そして佐藤氏は、マクナマラ氏との会談で、たとえ通常兵器であっても、中国の日本に対する軍事行動には、「日本」ではなく、米国の核兵器で即時報復する方針を求めた。これは米側の懸念を逆手に取ったものだ。米戦略が明言されれば、これを中国側に認識させ、中国の侵攻を抑止することができるという計算が背景にある。

 実は、後の沖縄返還(1972年)に至る過程でも、佐藤氏は「核武装」を利用した。「核抜き・本土並み返還」を国民に約束する一方、米軍が沖縄を撤退すれば日本が核武装する雰囲気を醸成した。その結果、米軍基地・艦艇への「核持ち込み」と「核武装」は取引され、67年に佐藤氏が公表した「非核三原則」へとつながっていく。65年の段階で、マクナマラ氏に核持ち込み黙認を示唆したことは、その伏線であったといえよう。 

 「非核三原則」は、核兵器の「製造・保有・持ち込み」の禁止であった。その一つ「持ち込み」は積極的に黙認してきた。「非核」に加えて専守防衛という制約下では、他に国を守りようがないからだ。

 一方で「製造・保有」は佐藤内閣時代、関係組織で極秘裏に検討しており「はったり」ではなかったが故に、米国の譲歩を引き出すことに成功した。

 佐藤氏は「核武装論者」に限りなく近い「核の傘論者」であったのだ。

 核を「議論せず」を加えた「非核四原則」で、国は守れないことの歴史的証明である。(野口裕之)

対テロ戦争株式会社(ソロモン・ヒューズ著、河出書房新社)

テロ この本はだいぶ前に買って読んで、そのうちに紹介をしようと思っていたが遅くなった。すでに、新聞の書評等で紹介されている。
 よく詳細に調査された本である。

 僕は大学のゼミ論文が「マキアヴェリ」だった。
 その時に傭兵でなく自国軍でないと真に国は守れないと学んだ。
 そのことは、本書にも以下のように書かれている。

 傭兵制はイタリアの政治の中心的な役割を果たした。イタリアのルネサンス期に書かれた最も重要な政治論の著作、マキアヴェリの『君主論』でも、この問題は大きく取りあげられている。マキアヴェリは、イタリアが「長い年月のあいだ傭兵に支配されてきた」ために、悲惨な結果がもたらされたと論じた。
 「イタリアの荒廃はまさしく、すべての望みを長年にわたって傭兵にかけてきたせいで引き起こされた」からだ。マキアヴェリは自らフィレンツェの住民からなる民兵を組織した。これが国家軍の初期の形であり、のちには傭兵に取って代わるようになる。彼はそうした経験から、傭兵がよき支配の脅威であることを示し、こう論じた。

 マキアヴェリの批判は現代にも通用する。有能な傭兵はおのれの力を信じ、おのれの利益のために行動する。暴力を効果的に使用できる傭兵隊は、自分たちに金を支払う政府に盲従しようとは思わず、その指示を無視したり、自分たちに都合よくねじ曲げたりする。いっぽう有能でない傭兵は、悲惨な軍事的結果や失敗をもたらし、「通常の形で」政府を崩壊させる。

 傭兵は「無益で危険」だというマキアヴェリの見解は、彼の時代には異端的な考えだったが、別の世紀には常識となった。「分裂しがちで、敵対的、野心的で、統制に欠け、不実で、友軍の前では勇ましいが、敵軍の前では臆病になる。神への恐れも、人への忠誠心ももたない」。その後300年の間に、国民国家が徐々に成長し、あるいは戦いによって独立を果たした。こうした国家は、ヨーロッパの帝国や都市国家、公国の寄せ集めに取って代わった。国民国家の勃興とともに、自国の国民から選抜された国家軍が生まれた。金への愛ではなく、国への愛によって戦う――少なくとも理屈のうえでは――軍である。フリーランスとも呼ばれる金で雇われた外国人兵士は、国家軍に吸収された。

 やがて傭兵たちが武器をしまって荷作りをし、大陸を離れていくまでには、長い時間がかかった。ヨーロッパの各国は、世界のほかの場所で行なわれる別種の営利目的の戦争や征服を通じ、暴力の市場で商売を続けた。私掠船、海賊、帝国の事業などすべてが、商業的に供給される暴力を利用した。それでも、傭兵利用からの脱却は、現代的な国民国家の興隆に決定的な役割を果たした。国民軍の創出を促した愛国的な気風は、民族自決主義の高まりと密接に結びつき、ひいては民主主義の高まりをもたらした。国家軍が政治に果たす役割といえば、クーデターや弾圧といった反民主主義的な活動のイメージが浮かんでくる。
 だが、近代への移行期にはそうではなかった。国家軍が封建時代の軍や傭兵の寄せ集めに取って代わったとき、そうした軍は民衆による統治の条件を生み出した。


 ところが現実は、訳者(松本剛史氏)「あとがき」にあるようだ。

 2001年9月11日のテロ攻撃以降、世界情勢は大きく変わったとされる。当事国であるアメリカは「テロとの戦い」という方針を打ち出し、アフガニスタン、さらにはイラクへの進攻を開始した。こうした戦争の意義については、今後の歴史の評価を待たねばならないだろう。しかし数々の詩的な言説に飾られる戦争の影には、決まって散文的な事実がある。多くの人命が失われる災厄や戦いの裏には、それによって大きな利益を手にする人間たちがかならずいるということだ。

 かつてアメリカのアイゼンハワー大統領は、こうした仕組みを「軍産複合体」と呼んで批判した。企業と軍、政府が結託した勢力は、20世紀初頭の「対テロ戦争」においても、きわめて大きな役割を果たしている。しかしアフガニスタンやイラクの侵攻及び戦後経営には、以前には見られなかったひとつの特徴がある。軍事関連の輸送、施設の管理、警備業務など、かつては軍や警察のものだった業務が、コスト削減や民間の活力の導入などといった理由から、私企業に外注されるようになったのだ。しかし戦後の混乱の続く現地では、民間業者の役割はいきおい戦闘行為にまで及び、結果として、民間軍事産業、いわゆる傭兵会社の存在がクローズアップされることとなった。

 その象徴的な出来事が、2004年にイラクの街ファルージャで起こった、アメリカの軍事会社ブラックウォーター社に属する民間兵士4名の殺害事件である。2005年11月には、イギリスの警備保障会社イージス社の職員が公道を走るイラク人の車を銑撃する場面を写したビデオがインターネットに投稿され、話題を呼んだ。また同年には、日本人である斉藤昭彦氏がイラクで死亡するという事件も起こっているが、氏が警備員として所属していたのは、本書にも登場するイギリスの民間軍事会社ハート・グループだった。

 もっとも、こうした軍事部門の民営化の流れは、決して9.11を契機に新しく始まったというわけではない。その元をたどれば、サッチャー政権下の1990年代のイギリスにまで行き着く。新自由主義を標榜するサッチャー首相は、市場原理のプラス面を重視し、さまざまな国営部門の民営化を推し進めた。
 そしてその方針は、刑務所の経営や軍の基地や施設の管理にまで及ぶことになる。

 本書は、こうした流れが十数年にわたってイギリス、アメリカの両国を席巻し、軍事関連事業のみならず、安全保障を名目とした国内情報の収集や管理までが民間に委託されていく過程を、きわめて丹念な調査によってたどったものである。著者ソロモン・ヒューズの多岐にわたる綿密な取材から、このところの民間軍事産業の急激な成長や、政府や軍との癒着などの驚くべき実態が明らかにされる。まさに本書のタイトルどおり、「対テロ戦争株式会社」というにふさわしい三位一体ぶりだ。

 実際にこうした企業の経営陣には、日本でも名の知られた多くの政治家が名を連ねている。とりわけアメリカでは、ブッシュ政権の中核を占める「ネオコン」やタカ派の政治家たち、たとえばディック・チェイニー、ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・パールらが、各軍事会社の取締役や顧問を務めていた。

 イギリスも負けてはいない。かつての保守党政権の意向を受け継いだかのように、ブレア首相率いる新生労働党政権も軍の民営化を推し進め、閣僚や政権の中枢にある政治家たちが多くの民間会社の便宜をはかってきたのだ。

 本書の著者ヒューズは、こうした構造を「安全保障−軍複合体」と呼んでいる。「対テロ戦争」とは国土の安全保障を求める戦いであるといわれるが、その掛け声の下、政府は軍の民営化のみならず国内の管理体制の強化も推進したうえ、民間に業務を委託するまでになった。それが一部の企業のみならず、政治家たちにも利益をもたらすという仕組みができあがりつつあるのだ。その結果として引き起こされたさまざまな問題については、本書のなかにくわしく記されている。

shige_tamura at 11:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!本の紹介 

世界恐慌の襲来(高橋乗宣著、東洋経済新報社)

高橋 この本は、日本及び世界経済のことを分かりやすく説明した良い本だ。
 経済が悪くなる話が多いなかで、日本の将来の明るさを述べている最後の箇所を引用したい。


世界一の独創性で日本は輝き続ける

 かつては、海外から日本企業に対して「他国のサルマネをするばかり」「加工するのはうまいが独創性がない」などの批判がされていた。外国人だけでなく、日本人の間でもそうした説が信じられていた。それが悪質な偏見にすぎなかったことは歴史が証明した。
 身近な例として挙げられるのがゲームメーカーの任天堂だ。若者の男性が大半を占めていたゲーム市場に、女性や高齢者も含めて家族全員が楽しめる携帯型ゲームの「ニンテンドーDS」や据え置き型ゲームの「Wii(ウイー)」を開発、投入して全世界でヒットさせた。
 テレビゲームを世界で初めて作ったのは任天堂ではない。しかし、既存ユーザーのニーズに応じた製品開発から一歩進んで、いままでだれも思いつかなかったゲームの遊び方を生み出し、まったく新た市場を開拓した。これが独走性でなくて何だろうか。
 文化や感性という点では、アニメーションやマンガの世界への浸透はすっかり有名になった。マンガ好きを公言して人気を集めた首相まで誕生したほどだ。ほかにもニコリが作っているパズルの「数独」は世界的な愛好者がいるなど、日本発の感性も大きな市場価値を持っている。

 日本のサービスに関する質の高さの証明として、いま「OMOTENASHI(おもてなし)」という言葉が世界共通語になろうとしている。
 ほかにも世界這多い。環境やナノテクノロジー、エネルギー、ものづくり(製造技術)、社会基盤関連の各分野での日本の特許登録件数は米国や欧州を抑えて世界一となっている。
 エネルギ一分野で研究が進んでいるのがメタンハイドレートに関する研究だ。天然ガスの主成分であるメタンと水分子が結びついて固体化したもので、「燃える永」と呼ばれる。
 主に海底に存在し、なかでも日本近海は、日本の天然ガス消費量100年分に相当する世界有数の埋蔵量を誇ると言われている。開発、実用化に成功すれば、日本は一躍エネルギー大国に変身する可能性があるのだ。
 静脈や指紋による生体認証の研究も日本が最先端だ。変わったところでは日本が発祥で世界に広がったカラオケについても音響や選曲に関する技術の研究が行われている。

 環境ビジネスで注目されているのは太陽電池や燃料電池などで、これはエネルギー問題にも密接に関係するだけに、日本としては負けられない分野だ。
 医療の分野で最も注目さているのが、京都大学の山中伸弥教授のグループが手がけるiPS細胞(人工多能性幹細胞)だ。将来的に再生医療への応用のほか、これまで治療法のなかった難病のメカニズムを解明する際にも役立つと期待されている。
 諸外国に比べて遅れていると思われがちな日本の農業も、大きなチャンスを秘めている。

 品種改良や栽培技術でおいしい果物や野菜、米を作る技術は世界トップクラスだ。技術、ノウハウや、付加価値の高い商品の輸出で新たな市場を開拓する可能性もある。
 日本のものづくりを支えているのはトヨタ自動車やパナソニックなど大企業だけではない。中小企業の技術が土台になっているのだ。
 英国の高級車ジャガーや米アップル、日本のシャープやソニーなどの製品ロゴを手がける「テフコ青森」は青森県弘前市に、光ディスクの修復装置で世界シェアをほぼ独占している「エルム」は鹿児島県南さつま市に、自動車用ガラス研磨機で世界シェアトップの「坂東機工」は徳島市にある。ほかにも世界市場をリードする中小企業は枚挙にいとまがないほどだ。


貿易立国日本にとっての最悪のシナリオ

 ただ、欧米に比べ、技術力やソフトカで優位に立っているからこそ、日本は積極的に門戸を開いてゆくべきだ。外に向かって日本が開かれている限りにおいては大丈夫だろうが、逆に、みずから自分で門戸を閉ざしてしまった場合は、苦境に陥るのは間違いない。製造業による輸出主導型の日本は、他国と貿易しないことには生きてゆけない。自由貿易を進めれば進めるほど、日本だけでなく貿易の相手国にとってもメリットが大きくなる。

 日本にとって、一番怖いシナリオは、貿易立国である日本が、世界の主要な通商ブロックから締め出されてしまうことだ。
 米国の力が後退しグローバル経済が終焉することになった場合、世界の貿易システムが、いくつかの主要な通商ブロックに別れる状況はたぶんに予想できる。その際、中国やロシアといった強国から日本が締め出されてしまうこと、これが考えられうる最悪のシナリオだろう。円が事実上、他国通貨との交換性を失ってしまうためだ。
 世界経済が危機に直面し、自国本位の方向へ向かうことが懸念される時代にあって、日本が果たせる役割は何か。それは一にも二にも、各国の通商ブロック化や貿易に関する規制を排除し、自由貿易システムの堅持に尽力することだ。これはもちろん日本のためにもなるし、ひいては世界の経済を発展させることになる。

 日本は遣隋使の時代から他国との貿易で国を栄えさせてきた。これだけ国家間の相互依存が進んだ現在では、江戸時代のように鎖国をして持ちこたえられる状況ではなくなっている。金融恐慌で世界全体が信用収縮を起こしている時代だからこそ、日本は自由で開かれた国際社会のためにリーダーシップを発揮しなければならないのである。

shige_tamura at 09:39|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!本の紹介 

2008年12月20日

追い詰められた小沢代表

小沢 今朝の毎日新聞(12月20日)に岩見隆夫氏の「小沢流のわかりにくさ」という一文が載っていた。
 そこには、昨年の大連立話が載っていて、「あれは小沢が仕掛けたこと」とある。
この点は、僕のブログ「2007年12月22日、大連立構想は民主党小沢代表からの話だった」で述べている。
 なぜ、小沢氏は自民党に入り込もうとしたのか。小渕首相の時に自由党と合併しようという話があった。頓挫した。
 その後、小沢氏は民主党に自由党が吸収される形で、民主党に入り込んだ。その後、党首交代の機を狙って代表になり、現在にいたっている。
 そして昨年、自民党との大連立を画策したのだ。
 大連立すれば、その時点ではトップでなくても、民主党で成功したように、徳川家康のように「じっと待てば、いずれトップになれる」と考えたのだろう。
 それが頓挫すると、政局第一に転換し、「解散・総選挙があるぞ」「あるぞ」と言ってきたが、結果、総選挙は越年となった。

 このままでは、小沢氏は何かしないと、民主党の候補者から「選挙が近いと言われ、選挙事務所などの経費をかけてきたが、選挙はない。お金が持たない。何とかしてくれ!」との悲鳴と批判が浴びせられる。
 そこで、雇用関連4法案の参議院での強行採決を行い、今度は衆院解散・総選挙を求める決議案を衆院に提出する方向のようだ。衆院解散は、首相の専権事項であるのに。
 それだけ、小沢代表は切羽詰まっている状況にあるようだ。
 いよいよ「解散・総選挙があるぞ」「あるぞ」と言っていた小沢氏は、「オオカミ少年」「オオカミ中年!」と言われかねない。



以下、岩見隆夫氏が「小沢流のわかりにくさ」を掲載します。
 

(略) 小沢は政界で好感を持たれていない。謎が多いことと、周期的に繰り出してくる策略に警戒感が強いからだ。
謎といえば、昨年暮れ、政治の内外を震撼させた大連立騒動の真相はいまだにすっきりしていない。それが、来年にかけての政局の行方にも、一種の影を落としているのだ。
 なぜ参院選で圧勝した小沢民主党が、負けた自民党の政権に入っていこうとしたのか。当時、政界の内側でも諸説入り乱れたが、いずれも説得力を欠いていた。
 その後、関係者の話などで少しずつ判明したのは、まず福田首相(当時)側から連立構想を持ちかけたと伝えられたのは間違いで、小沢側が積極的に誘いかけていたことだ。
 昨年9月、福田が自民党総裁に選ばれた時、首相に指名された時、組閣に着手した時、小沢はそのつど連立を持ちかけたが、福田は乗っていない。
4度目にやっと具体化し、2人の会談(10月30日、11月2日)が実現、いったん合意に至った。
 小沢がそれほど執念を燃やした狙いは何か。密談のなかで、小沢は、
 「参院選でバラマキ政策をたくさん出したから、せめて半分ぐらい(連立政権のなかで)実現させたい」
 などと語ったという。また、
 「民主党の連中は、いまはおれを神格化しているが、いずれみんな離れていく」
 とも言っている。しかし、それが意図のすべてとは思えない。
 「13回当選で残っている同期5人のうち、羽田孜、森喜朗は首相、綿貫民輔、渡部恒三は衆院の正・副議長に就いた。だから、せめて副総理ぐらい、と考えたんじゃないか」
 と4人の一人が話したそうだが、信じがたい。
 騒動から約8カ月が過ぎたころ、小沢はインタビューに答えて、
 「あれは自民党を壊すための手段の一つだった。民主党が政権を取るためにはどういう方法がいいかという話だ。そこがみんな、よくわからないんだね。
 だから、自民党内で本当に政治がわかっている人たちは、大連立に大反対だった。
本能的に、これはまずい、危ないと感じたんだろうね。あの時は、政権交代の準備をする最大のチャンスだった」(6月22日付「朝日新聞」)
 と真意らしいことを語った。しかし、わかりにくい。
 福田首相・小沢副総理でコンビを組むことに一度は合意していたというから、福田を補佐しながら自民党政権を壊す、いわば、乗っ取り作戦だ。
「三国志」を読んでいるようで、ピンとこない。
 「いまはもう、そんな気持ちは全くない」 (同)
 とも言っていたが、先日は、「超大連立……」と漏らして、またも小沢の仕掛け、と騒がれた。麻生政権が行き詰まったので、超党派の選挙管理内閣を作ろう、という。大連立の変形だが、非現実的だ。
 来年は大乱の兆し、謀は密なるをもって、ということかもしれないが、小沢流のわかりにくさは困る。

shige_tamura at 12:12|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!小沢一郎 

2008年12月19日

民主党がたった2時間半の審議で強行採決、政権とったら危険 雇用関係四法案を強行採決

小沢 民主党は、昨日(18日)の参議院厚生労働委員会で、社民、国民新と共同提案した雇用関係四法案を強行採決した。
 全党一致ならともかく、わずか2時間半の審議で強行採決にいたった参議院民主党、これは大変危険なことである。それは、民主党が政権に就けば、こうしたことが行われるということだろう。
 もともと四法案は、与党と十分に協議して成立させる気はなく、選挙対策としてのパフォーマンスでしかなかった。

 共産党の小池晃政策委員長は採決の際、自民党議員らとともに委員長席に詰め寄り、記者団に「採決自体無効だ」と語ったことで、いかに民主党の対応が酷いかが浮き彫りにされた形である。
 また、「民主主義を踏みにじる」(福島・社民党首)、「強行採決は次元の低いやり方」(綿貫・国民新党代表)との批判が出ている。
 民主党は、実態は「非民主党」か「反民主党」といった感じである。
(新聞各紙を参考に作成しました)

shige_tamura at 10:15|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!民主党 

2008年12月18日

リーダー・パワー(ジョセフ・ナイ著、日本経済新聞出版社)

パワー日米











 今日、帝国ホテルで「米新政権と日米同盟の課題」(第5回日経・CSIS詳細シンポジウム)がありました。内容については、日経が報道しますので、僕のブログでは、それを見てからコメントします。
 ここでは、参加者のジョセフ・ナイ氏の「リーダー・パワー」(日本経済新聞出版社)を紹介します。

 まず、「はじめに」の最初の部分を紹介します。

 最上の人(君主)について、その臣下たちは、そういう人があると知るだけである。その次の(君主)ならば、かれらは親近感をもってほめたたえる。その次の(君主)には、かれらは畏れてよりつかない。その次(最下等の君主)になると、軽蔑するだけだ。 老子

 ここから一つの議論が生まれる。すなわち、恐れられるよりも慕われるほうがよいか、それとも逆か。人はそのいずれでもありたいと答えるであろうが、それらを併せ持つことはおよそ困難であるから、二つのうち一つを手放さねばならないときには、慕われるよりも恐れられていたほうがかなり安全である。・・・だがしかし、君主は、慕われないまでも、憎まれることを避けながら、恐れられる存在にならねばならない。       マキアヴェッリ、1513年

 アメリカ人の三分の二が、自分たちの国は「リーダーシップの危機」にあると考えている。彼らは自分たちのリーダー ――政治家から、最高経営責任者、大学の学長、メディア監視団体等々に至るまで――を信じていない。11の異なる分野の人々を調査したところ、リーダーを信じていると答えた人々はわずか40パーセントだった。アメリカ人は、かなり前からリーダーについて尊敬と反感の入り交じった感情を抱いてきた。しかし、これは、何もアメリカだけの問題ではない。他の多くの国で行われた世論調査でも、似たような結果が出ている。こうした事実を前にしても、特に目新しいことではないと肩をすくめ、それで話を終わりにしたくなる人もいるだろう。ただ、実際のところ、リーダーシップをめぐる状況は変化しつつあるのに、今日のリーダーの多くが、その流れに追いついていないのが実情である。
 今日の世界では、力とリーダーシップの両方が変化している。医療機器を扱う多国籍企業の前CEOは、「21世紀のリーダーシップについて、定義し直す機は熟した。50年前であればうまく機能していた軍需産業におけるリーダーシップでは、今日の人々を最大限に活用することはできない」と主張している。知は力なりと言われるが、現在、人類の歴史上かつてなかったほど、多くの人々が多くの情報を持っている。
 2、30年前、力によるアプローチとリーダーシップに基づくアプローチを、対比して考えた理論家たちがいた。しかし、力というものを、威圧の力であるハード・パワーと、人を引き寄せる力であるソフト・パワーという両面を備えたものと見なすなら、リーダーシップと力は対立するものではなく、解きがたいほど深く結びついたものであることがわかるだろう。ジョージ・W・ブッシュ大統領は、「決めるのはわたしであり、何が最高かはわたしが決める」と言ったことがあるが、リーダーシップはもっと奥が深いものである。
(略)と続く。

「天性の資質と学習」の中で、以下の個所は興味深かった。

 英雄を念頭においたリーダーシップに対する伝統的なアプローチがもたらしたもう一つの影響は、リーダーはつくられる存在ではなく、生まれつきのものであるという信念を裏付けた点である。育ちより、生まれの方が重要ということだ。この信念があるため、われわれの注意は、リーダーを育てるということより、リーダーを選別することに集中する。 
 実際、1940年代の終わりまでのリーダーシップ研究は、リーダーが備えるべき不可欠な特性を探すことに論点が置かれていたし、今日もなお、一般的な話題としては人気を保つ主題である。
 選挙で、候補者がリーダーのような顔つきをしているとか、していないとかいう話を、何回聞かされたことだろう。背が高く整った顔立ちをした人物が部屋に入ってきて、注目を集め、「リーダーのような顔つきをする」。さまざまな研究が示すところによると、背の高い男は好感を抱かれることが多く、企業のCEOたちの身長は、平均身長より高い。
 他の条件が平等なら、男性の場合、「身長2.5センチは1年間の給料789ドルに相当する」という。
 しかし、ナポレオン、スターリン、小平ら、歴史上もっとも有力なリーダーたちの身長は、150センチをわずかに超える程度である。筋骨たくましいといった肉体的特徴、IQといった知性の特徴、外向的な性格といった個人的特徴は、研究者によって広く調査されたが、きちんとした説得力を持つような結果は得られなかった。「研究の中で重要と思われる何らかの特徴が見つかったとしても、特徴の重要性を確実に証明することができないような証拠が、常に存在する」のである。
特徴よりも、状況の方が重要性が高いことが多い。
 学校の運動場では生まれながらのリーダーのようだった少年でも、仲間とともに教室へ戻り授業になると、その優勢な地位を失うかもしれない。前にも述べたように、1940年代にチャーチルの特性が変わったわけではない。変わったのは状況の方なのだ。
リーダーシップ研究において、論点の中心をリーダーの特性に置くアプローチは、まったく姿を消してしまったわけではない。しかし、そうしたアプローチも、だいぶ視野が広がり、柔軟な考え方をするようになっている。特性とは、遺伝的に受け継がれてきたものというよりは、性格の示す一貫したパターンであると考えられるようになってきた。この定義は、生まれと育ちの両者を混合したうえで、特性とは単なる天性の資質ではなく、ある程度、学習により身につくものと考えている。われわれはリーダーとは、普通の人より遥かに精力的で、リスクを冒すことをいとわず、楽天的で、説得力に優れ、感情移入にも長けた人だなどという話をするが、こうした特性をつくりあげているのは、リーダーが生まれつき持っていた遺伝的な部分と、そうした特性を学習し、発展させてきた背景にある環境による部分の、両方なのである。(略)

shige_tamura at 15:02|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!本の紹介 

2008年12月17日

神奈川県「日教組」を震撼させる「消えた30億円」告発文書

週刊 今朝発売された『週刊新潮』に民主党支援の日教組の事が掲載されていた。その記事「神奈川県『日教組』を震撼させる『消えた30億円』告発文書」を掲載します。

 30億円が消えた! 神奈川県教職員組合(以下、神教組)が教員の手当から拠出させた巨額の基金が、使途も明らかにされず、政治運動に流用されている疑いがある・・・。こんな告発文書が、県内の小中学校にばら撒かれた。おかげで、神教組は大慌て。今後、大問題に発展しそうな雲行きなのだ。


 騒動の元になったのは、<教職員の皆様へ>と題されたA4サイズ1枚の文書。
「11月下旬、神奈川県内にある小中学校の半数以上に、一斉に送りつけられました」(ある中学校の校長)
 その文書は、
<この度、皆様に申し上げますのは、主任手当ての拠出金による「教育振興基金」についてであります>
 との書き出しで始まる。
 少々説明が必要だろう。
 79年、公立学校に主任制度が発足。学年主任や教務主任になると、神奈川県では主任手当として月3000円が支給されることになった。全国屈指の組織率を誇る神教組はそこから2000円を拠出させ、この基金を設立したのである。
 06年度に主任制度は廃止されたが、04年までの26年間で、主任手当の総支給額は78億円。その3分の2がこの基金に入った計算になる。
神教組はこれを教育相談などを行う施設の設置・運営などに充て、02年の残高は約30億円だったという。
 が、問題はここから。文書は03年度以降、その残高や使途の詳細が神教組の機関会議で報告されなくなり、最近になって基金の一部が横浜市教組に移譲されていると指摘。さらに今年4月に就任した公認会計士がこの基金の杜撰な運営を見て監査を断るなどの事態が発生しているとし、
<「基金」が政治闘争資金として流用されるのではないかとの疑惑が浮上しています>
 と警鐘を鳴らすのだ。


犯人探しに必死

 とはいえ、この文書の差出人名は「神奈川県教職員有志一同」とあるのみ。が、「これは神教組の活動に疑問を持つ現役教師達が作成したもの。内容もほぼ間違いありません。組合側は今、犯人探しに必死ですよ」
 と解説するのは、元参議院議員の小林正氏。同氏はこの基金を設立した当時の神教組書記長でもある。
「基金の詳細を明らかにしなくなったのは、県議会で“公金がこのような形で使われているのは不当ではないか”と問題視され、県から拠出を中止するよう要請を受けたことが理由です」
 このご時世、日教組は政治資金カンパを集めづらい状況にある。
「今年6月の定期大会で、この基金の一部が突然、億単位で横浜市教組に移譲されたと聞いています。公認会計士が監査を拒んだというのも本当の話。こんなことでは、そのお金がいつ彼らの政治活動に転用されても不思議じゃない」(同)
一方の神教組は、文書の内容については全て事実無根だと言い張り、基金の現在の残高に関しても、「国民、県民に公開する筋合いのものではない。その必要もない」
 と言い放つ始末。
 「主任手当は公金なんだからガラス張りにして役立てようという当初の理念は、完全に失われました。自民党にできた日教組問題究明議連で今後、問題提起するつもりです」(小林氏) 
 日本の教育を荒廃させた日教組の闇が、白日の下にさらされようとしている。

shige_tamura at 14:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!民主党 
ランキング一覧

人気blogランキング

人気blogランキングに参加しました。
応援よろしくお願いします。
月別アーカイブ
最新コメント