2008年08月

2008年08月22日

民主党・野田氏、出馬を断念

 野田氏、出馬を断念=小沢氏無投票3選へ−民主代表選


 民主党の野田佳彦広報委員長は22日、9月の党代表選への出馬を断念し、同日午前に都内で開いた自らが率いるグループ「花斉会」の会合で表明した。グループ内に強い反対論があり、出馬に向けて意見集約するのは困難と判断した。これにより、代表選は小沢一郎代表が無投票で3選される公算が大きくなった。
 会合の後、野田氏は「総合的に考えて戦う状況にない。同志の了承を得た」と記者団に語った。(8月22日10時21分配信 時事通信) 


今朝の新聞は民主党内の野田氏陣営への締め付けの様子が報道されている。

旧民社系のベテラン議員は、野田グループの複数の若手議員に「政治生命を左右する。巻き込まれるな。と伝えた。」(朝日新聞)

「無理に出馬するすると、小沢執行部が会のメンバーや野田氏に近い浪人、新人の公認を取り消しかねない」という懸念も広がった。
「一人で舞い上がって頓挫した『加藤の乱』みたいだ。イベントのつもりでやってもらっては困る」(読売新聞)

小沢氏を支持するグループは野田氏の推薦人になりそうな議員に「非主流派を貫く覚悟でやれ。こっちもつぶしにいく」と電話するなど、切り崩し工作を強めている。(東京新聞)


 野田氏はこれまで、次期衆院選のための党のマニフェスト(政権公約)の内容を深化させるため、代表選での政策論争が必要だと主張していた。 
 しかし、党内から、松本剛明前政調会長らが「政策論争は党への批判になる」などと強硬に反対。(毎日新聞)などで、代表選での政策論争が不可能となった。
 
 野田氏は、記者会見で涙を流していたが、もう少し西郷隆盛の気概をもって欲しかった。
 結局、野田氏の「有言実行」は圧力によって頓挫した。

 民主党は、自由かつ民主的な代表選挙が行えない、さわやかさのない「非民主」党となった。
 

shige_tamura at 13:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!民主党 

2008年08月21日

東京新聞の補給支援特措法がらみの可笑しな記事

船 今朝の「東京新聞」(8月21日)の一面に、「洋上給油 無償提供の自衛隊」「イラクでは米から購入」という記事が掲載された。
 記事は、「インド洋で米軍など複数海軍の艦艇に無償で燃料を提供している自衛隊が、イラク空輸では米軍から燃料を購入していることが二十日、分かった。
ガソリン価格が高騰し国民が困窮する中で、燃料の無償提供を続ける“気前よさ”が際立つ形になった。(略)」

 三面には、「無償補給 買ってまで」「貢献はカネ 浮き彫り」・・・という見出しで、記事は、「インド洋で各国に燃料を無償で提供している自衛隊が、イラク空輸では米軍から燃料を購入した―」と続く。

 この新聞記事を見たら、「インド洋の海上自衛隊が、米軍から油を買って、それを無償提供していたのか!」と理解する人がいる。


 ここで明確にしておくが、インド洋で補給支援をしているのは「海上」自衛隊であり、イラクで輸送活動をやっているのは「航空」自衛隊である。
 東京新聞は、あえて「海上」、「航空」を省いている。

 インド洋の「海上」自衛隊は、米軍から油を買っていない。

 それで、記事は意図的に「インド洋で・・・自衛隊が、イラク空輸では米軍から購入」とある。あえて、「海上」自衛隊、「航空」自衛隊と呼ばないのだ。
そして記事は、「ずるずると続く活動とその容易な延長は、燃料高騰にあえぐ国民の目にどう映るのか。(編集委員・半田滋)」と結ぶ。

 なお、インド洋で海上自衛隊が各国の艦船に提供している艦船用燃料は、現地で民間企業との契約によって調達しているものであり、米軍から購入しているものではない。
 海上自衛隊のインド洋での補給支援活動は、関係国に対し、燃料を譲与しているが、これは、「テロとの闘い」への積極的かつ主体的な貢献を示すとの政策的な意思決定に基づいて従来から行っているものである。

(参考)高村外務大臣「テロとの闘いや、積極的かつ主体的な貢献を示すために、テロ特措法によって、燃料等の無償譲与を行っていくという我が国の政策判断に沿ったものであります。こうした考えは、我が国自体が海上阻止活動を行わないということを踏まえた判断であります。我々にとって大変役に立つ海上阻止活動をやってくれている国があるので、そこに補給するという役割分担があった、こういうことでございます。」(19.11.16 衆・外務委)

 また、イラクにおける空輸活動に従事するために展開している航空自衛隊のC−130輸送機のための航空燃料については、クウェートに所在する同じ基地に米軍が展開していることから、日米間の物品役務相互提供協定に基づいて提供を受けている。
当該協定では、相手国から提供される物品や役務は同種・同等による精算か、あるいは金銭による償還によって決済を行うこととされており、イラクでの活動に限らず、他の日米共同訓練等においても同様の決済方式を採用している。

 このように、インド洋において海上自衛隊が補給している艦船用燃料と、イラクにおいて航空自衛隊が米側から得ている航空燃料とは全く無関係である。

 今回の東京新聞の報道は、「洋上給油継続、米大使が要請―麻生幹事長に」
 「シーファー駐日米大使は二十日午後、自民党本部に麻生太郎幹事長を訪ね、海上自衛隊によるインド洋での給油活動に関し、給油新法が期限切れとなる来年一月以降も継続するよう要請した。・・・」

ーといったこととも関連させて、「米国が洋上給油継続を要請したのは、米軍から燃料を購入してもらいたいからだ」と思いさせたいのであろう。

 補給支援特措法の継続問題がクローズアップされてくると東京新聞のように、意図的に記事を造作するものが出てくる。

 しっかりと事実と中身を見極めていくことが必要である。
 
 注意したいものである。

『孫子伝』(塚本愡肪、PHP研究所)

孫子塚本愡忙瓩痢愨校凖繊戞複丕硲亳Φ羹蝓砲出版された。
 中国では、今、孔子の論語と孫子の兵法が売れている。

 孫子の兵法を忠実に実行したのが毛沢東だと言われている。
 この本は、「この物語は春秋時代の末期(前6世紀後半)、呉に仕えた孫武の一代記である。斉出身とされる孫武は、呉へ兵法家として赴き、前506年を最後に、一切の檜舞台を伍子胥に明け渡す恰好で姿を消す。
 仕掛け人としての季札、復讐鬼と化した伍子胥、思惑の意表を突く范蠡、後世に大きな名前を残せた孫武らが、いかに絡み合ったかを考察したのが本書である。」というのが紹介である。

 後記に、

 必ず全きを以て天下に争ふ
(敵を痛めつけることなく、味方にしてしまうことが、天下に覇を唱える近道だ)

 善く戦ふ者の勝つや、智名なく勇功なし
(戦うのが上手いとは、勝っても知謀や勇気が人目につかぬことである)

 右のごとき『孫子』の一節を、座右の銘にしている人は案外多い。それは兵法であるものの、血腥い戦術としてより、人生訓や処世術に応用するためである。

―とあった。

 日本人が欠けているのは、目先のことだけに熱心で、中長期の先のことを考えないことだ。ものごとをしっかりと考え、行動するためには、「孫子の兵法」が役に立つ。


 先日こんなことがあった。
 党で仕事をしていたら、「田村先生!」と呼ぶ人がいた。
 僕に声をかけた人物は、僕が慶応大学大学院で教えた大学院生だった。彼は、農林水産省の役人になっていた。
 その彼が、「先生の授業で一番印象に残っているのは、孫子の兵法です」と言っていた。僕の「孫子の兵法」の授業は、90分の授業で「孫子の兵法」を大学院生から順番に読んでもらい、それを僕が解説するというもの。

 「孫子の兵法」に興味のある人にすすめたい本である。

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2008年08月20日

退屈の時代  小原信著 PHP研究所(昭和48年)

 僕は週一回土曜日に慶応義塾大学へ講義のために行くが、その時に、図書館によって、『退屈の時代  小原信著 PHP研究所(昭和48年)』をみつけて読んでみた。
 勉強になった。豊さか、幸せ、など・・だ。その箇所を掲載する。
 

 われわれはいま大切な点を見落としてしまっている。
 それは豊かさの追求と実現ということにつきまとう重要な認識が欠けているということである。
 いまだかつてこれほど恵まれた生活をこれほど多くの者がエンジョイしたことはないという現代日本の状況が、何を意味するかということをわれわれは十分には認識していないのである。

 これに対する問題は少なくとも三つあると思われる。

 第一は、物を持つ喜こびというものは、まわりに誰か貧しい人がいて、その人との関係でわれわれは喜こぶということである。
 はっきり言うならば、車も海外旅行も、少人者だけに可能な何かでないと、少しもうれしくなくなってしまうということである。
 みんながサラリーマンになって背広で街をかっぽするとき、ホワイトカラーもくそもあったものではない。誰でもがいつでも日本国内で外国製の万年筆とか時計が買えるようになり、誰でもがボーリングをやれるようになると、もうおもしろくなくなる。
 ゴルフの会員はまだ数が少ないからおもしろいのである。
 人間なんてものは、それほどたわいもないものなのだ。
 学生が試験の点数を気にしないといっても、自分一人が<優>ならうれしいが、全員が<優>ならうれしくもなんともない。
 ところが現代日本人は全員が優のような恵まれた状態に入ってしまった。だから恵まれた生活であっても、やはり退屈なのである。
 
 第二は、欲しいものがすべて手に入るようになると、その次に何がくるかというあてがなくなって、退屈してしまうということである。
 すでに私は、現代(日本)人の多くが、なるべく身近な未来(近接未来)に、なるべくよいイメージのスクリーンを設けて、それに対するあてをもって生きのびてゆくことを<次にくるもの>への信仰だと見て、<時間信仰>と呼んだのであるが(これについては前掲拙著『状況倫理の可能性』第二部を見られたい。)現代ではあまりにも恵まれた生活が送れるために、われわれ現代人は<次にくるもの>を何にしてよいか決めかねるような状態におちいっているのである。

 われわれは物に恵まれすぎて、未来を失なってしまったのである。
 何もかもが手に入ると、食べ飽きた時のように、もう何もいらない、何もしたくない、という気持ちになってしまう。あまり多くの仕事があると何から手をつけてよいのかわからない。

 本も情報も、多すぎると、かえってよくない。現代日本人はこういう意味で、ある限界―喜こびとか幸せの限界―を超えていろんなものを与えられすぎているのである。
 
 第三は、ある特権をすべての人に拡大してしまうことは、すべての人からそれをとりあげてしまうのと同じだということである。
 誰もがレジャーを求めてよいということから、みんなが、いつも、同じように、同じ時に、あそぼうとすると、先にふれたように、レジャー産業にサービスしてくれる人がいなくなって、誰もあそべなくなるということである。
 正月と盆にはみんなが郷里へ帰るということが今以上に徹底するなら、いまに新幹線も東北本線もとまることになるかもしれない。
 少なくとも、新年や年末に、そば屋や寿し屋では、出前はもちろん、注文さえ引き受けてくれなくなるであろう。現に正月の三ヵ日は、すでにどの店も休んでいる。
 これからは週休二日制が徹底してくると、こういう状態が、土曜日にも日曜日にも起きるかもしれないということなのである。
 みんなが奥様になり、旦那になる。みんなが先生になり批評家になる。誰もが楽をし、誰もが口先で相手を使おうとする。そうなると、誰もが不自由になる。これからはますますそうなってゆくことであろう。
 休日に働いてくれる人がいないと、誰も遊べなくなる。さしあたって、その犠牲者が、いまの日本では、家庭の主婦であり、レジャー産業や食料品店、デパートの従業員なのである。

 そういう意味では、われわれはいつも、誰かが、他人のために働くということ、かつて私が言った<趣味の奉仕>ということを、もう少し考えなおしてもよいのではないだろうか。
 休日の男は日曜大工と言わず、日曜主婦になってもよい。
 休暇をもてあましている人は、一日か半日、どこかで奉仕活動をしてもよいのである。週末になると、どこへ出かけようか、どこで遊ぼうか、ということだけをノルマのように考える必要は毛頭ない。

 私は、日本の新聞や雑誌が、そのうちに、週末といわず週日の間も、趣味の奉仕をどこが必要としているかを、レジャー欄のよこにでも紹介してくれるのを待っている。(いわゆる大新聞は、老人ホーム用のおむつが足りなくて困っているという記事は出しても、さてじっさいに材料についても、サイズについても、したて方についてもどうしたらよいかを書いていない。これでは奉仕しようと思う人がいても、じっさいの役にたたないではないか。)われわれは買えない会員券には見向きもしなければよいのである。
 この自分に何ができるかということを、われわれはもっと考え直して生きてよいのである。
 
 最後に、あと二つだけつけ加えておきたい。

 ひとつは、マスコミなどが現代人気質というふうにわれわれに説明する生き方を、型にはめこんで、自分をそのなかに押し込めようとしないでもよいということである。
 最近ではこういう傾向の人がふえている、といくらかオーバーに述べられているのを見ると、いてもたってもいられないかのように自分をそのなかにあてはめてしまう人がいる。
 これは主体的な人間のすることではない。
 われわれはそういう鋳型人間にはなりたくないものである。
 OLもサラリーマンも、主婦も老人も、親も子も、もっと個性をもって自由に、のびのびと自己流の生き方をしてゆきたいものである。

 もうひとつは、マスコミの書きたてる架空の生き方こそが現代的なんだというふうに、まに受けてしまって、自分がそうでないから、オクレているのではないかなどと心配しないということである。
 新聞や雑誌に書きたてられ、CMにあおられて、ナウじゃない、と言われるのを恐れるというのは、間の抜けた話である。
 そんなことを言うこと自体が、シラケルことかもしれない。
 しかし、やはりそうは言っても、追いたてられるようにして、また取り残されそうになって、結局は大勢に流されてしまうということがある。だからわれわれは忙しいのである。
 <状況倫理>に従って生きてさえいれば、不安もさびしさも問題も解消されるのだなどということはない。

 しかし、<状況倫理>によって、不安にも、さびしさにも、あるふくらみをもたせることはできる。
 状況をよく見究めて、錯覚は錯覚として是正してゆきながら、そのなかで、新しい可能性をうまく引き出してゆくことはできる。
 この可能性を信じている人は、どんな状況にあっても何でもできるのである。


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麻生太郎幹事長インタビュー

麻生景気対策で国民不安解消
福田総理と連携し閉塞感打破

 今回の党役員人事で、党運営の要である幹事長に麻生太郎衆院議員が就任した。「わが党や日本を取り巻く環境は厳しい」と述べる麻生幹事長。景気の落ち込みや、衆・参「ねじれ」状態における国会運営など、社会を覆う閉塞感打破への決意を強調する。福田康夫総理(総裁)と二人三脚で国民不安の解消に取り組む麻生幹事長に党運営方針を聞いた。

――厳しい状況のなか、幹事長に就任した心境は。

 麻生太郎幹事長 この十カ月間、地方を中心に全国各地を回り、わが党を取り巻く環境や、日本が置かれている状況は十カ月前に比べるとはるかに厳しいものになっていることを肌で感じました。特に地方の景気は急激に冷え込んでいます。景気対策をやらなければならないと強く思っていました。
 そうしたなか、福田総理から「頼む」と言われ、仮に割が合わないことであっても、それから逃げ出すのは、党員として、また政治家として、私の哲学・美学に反する。そういう思いでした。
 マスコミなどで言われているような「政権禅譲説」などはあるはずもありません。そんなことをしたら、明日の自民党はありません。わが党は開かれた国民政党であり、党員参加の総裁選で堂々と意見を戦わせた上で総裁を選ぶことを続けていかなければなりません。

――福田総理との役割分担をどのように考えていますか。

 麻生 自由民主党総裁である福田総理をしっかり補佐していくことが幹事長である私の仕事です。党と内閣の連携を密にし、国民の不安解消をしていかなければなりません。そのために、政府の立場では、なかなか言いにくいこともありますので、そうした部分は党として積極的に発言しなければならない。福田総理と頻繁に会って、よく話をしながらやりたいと思っています。

――民主党が協議に後ろ向きなかで衆・参「ねじれ」状態の国会をどう打開していきますか。

 麻生 はじめから政党間協議に応じないというのは、国民に選ばれた政党としてあり得ないことです。国益に資するよう議論するのが国会議員であるはずです。協議をしないのは、議会制民主主義の根本を否定するようなものです。
 わが党は今後も野党と対話を続けていく努力をしないといけません。そして、丁寧に国民に説明し続ける努力が必要です。ここは忍耐です。私は、忍耐力はある方です。徹底的にやります。

――景気対策を主張されていますが、財政再建の兼ね合いは。

 麻生 平成二十三年度までにプライマリーバランスの黒字化を目指すことは閣議で決まっていることです。財政再建するのは間違いないことです。 
 しかし、あらゆる行政のムダなどを削って縮小均衡してバランスをとるというが、縮小均衡で財政再建をしてきた国はない。経済のパイを大きくして、財政を建て直してきたのがどの国の歴史を見ても明らかです。ムダを削ることは絶対やらないといけない。
 経済として気を付けないといけないのは景気対策をやって財政再建が結果として遅れることはあり得ます。いつ財政再建するかをよくよく考えないと、焦って財政再建をして、プライマリーバランスの黒字化目標が後にずれ込むことだってあるのです。財政再建はしないといけない。その手法は考えないといけないということです。

――幹事長から党員・党友へのメッセージは。

 麻生 まずは元気を出さないといけません。皆で「駄目だ。駄目だ」と言っては何も進みません。民主党のように、不必要に不安を煽り、年金記録問題では解決不能かのような話をして、ましてや、それを政局の材料にしようとするのは国民の代表としていかがなものかと思います。
 「不安」は「不満」と違って活力につながりません。
 私は自由民主党の幹事長として、閉塞感を打破し、国民が希望を持てるよう全力を尽くします。党員党友の皆さんのご協力を切に希望します。

(以上、「自由民主」より)

shige_tamura at 09:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!麻生太郎 

2008年08月19日

中国人の激しさ 棄権の英雄・劉翔に容赦なし

 中国の英雄・劉翔が男子110メートル障害1次予選で右アキレス腱を痛めて棄権した。
 それに対するネット上の批判が激しい。
 その件については、NHKニュースなどでも報道していた。

 劉翔の棄権について、今朝の読売新聞の報道が興味深かったので、以下掲載します。
 
 
棄権の英雄・劉翔に容赦なし、ネット上には「この脱走兵め」
 (読売新聞、8月19日)

 【北京=杉山祐之】中国のインターネットは18日、北京五輪陸上百十メートル障害で棄権した劉翔選手を罵倒 ( ばとう ) する声であふれかえった。

 国民の期待を一身に集めた英雄が、転落した瞬間、無数の“つぶて”を浴びた。

 「この脱走兵め」「意気地なし」「13億人を傷つけた。新記録だ」……。大手サイト掲示板に殺到する万単位の書き込み。多くが怒っている。ライバルの強さを知る中国国民はもともと金メダルは難しいと見ていたが、こんな形での敗北は想定外だった。「逃げ劉」−−四川大地震で生徒を放って校舎から逃げた教師と同じ呼び方がすぐに広がった。

 「がっぽりもうけて最後はこれか」というカネ絡みの批判も非常に多い。超格差社会の特徴だ。中国誌によると、CMで引っ張りだこの劉翔選手は昨年、推定6000万〜7000万元(約9億6000万〜11億2000万円)の収入があった。

 怒りの渦に、「何千元も出して決勝チケットを買ったのに」という庶民の恨み節が交じる。
 「お前はもう終わりだ」との容赦ない宣告も続く。「中国がんばれ!」が鳴り響く北京五輪のシンボルだった劉翔選手はもういない。もちろん、偉大な成績を残してきた劉翔選手をかばう人も多いが、すぐに英雄たたきが出てくる。

 沸騰する掲示板にこんな書き込みがあった。「異常な社会だ。非常に多くの中国人が、責任と義務を他人に押しつけようとし、その人が成功すれば天まで持ち上げる。そのかわり、失敗すれば地獄に落とす」

shige_tamura at 12:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!ニュース 

2008年08月18日

日本の人的国際貢献の遅れ

 通常国会が六月二十日に閉会した。
 同日、自民党と公明党は、与党政策責任者会議で、与党・国際平和協力の一般法に関するプロジェクトチーム(座長・山崎拓衆議院議員)から「中間報告」があった。

 報告の内容は、「五月二三日に第1回会合を開催し、四項目の論点について九回に亘り議論を行った。今後、引き続き協議する」となった。
 論点の第一は、国連決議のある場合・ない場合で、PKO活動などで国連決議のある国際平和協力活動とない場合についての参加をどうするか。
 第二は、活動内容で、停戦監視任務、後方支援任務の実施。人道復興支援任務の内容の拡充、新たに警護任務を付与するか否かについては、武器使用権限との関係も併せて検討。文民の任務を拡充など。
 第三は、憲法第9条との関係では、従来の憲法解釈を前提に、PKO参加5原則を維持。
PKO以外の活動は、いわゆる「非戦闘地域」に限定など。
 第四は、国会の関与で、自衛隊の部隊の派遣については、原則として個別案件ごとに国会の事前承認を要する。
 といった内容で、与党は国際平和協力の一般法に関する法制の要綱をまとめることができなかった。

 これは、昨年の参議院選挙の結果、民主党が参議院で多数となり、いわゆる「ねじれ国会」となったことが大きく影響している。インド洋での海上自衛隊の補給活動について民主党が反対し、テロ特措法の期限切れとなって、海上自衛隊の活動は一時中断され、その後、補給支援特措法の成立で活動が再開された。

 自民党は、国際的なテロリズムの防止・根絶に貢献しているインド洋での海上自衛隊の補給支援活動と航空自衛隊のイラクでの輸送業務等の活動根拠となっている法律の期限がそれぞれ来年1月と7月に来るために、これらへの対応策の一環として、国際平和協力に関する一般法を策定する必要があると考えていた。

 公明党は、何が何でも一般法というのではなく、PKO法の改正や特措法での対応でも良いのではないか、という考え方でもあった。

 さらに、一般法はメニュー法のために、具体的な自衛隊派遣の場合には国会の事前承認を伴うこととなる。そのため、法律を無理に成立させても、国会承認の際に民主党から反対されると自衛隊派遣は不可能となり、一般法の成立には民主党の合意が必要となる。

 ところが、通常国会の終盤に民主党が参議院で首相問責決議案を提出したことで、与野党の対決姿勢が激化した。民主党は、一刻も早い解散総選挙を望み、日本の政治は政策から政局重視の状況となった。

 政府は、アフガニスタンに調査団を送り、陸上での輸送などの協力支援活動が可能か否かを調査してきた。民主党は、昨年十二月にアフガニスタン復興支援等に関する特措法を参議院に提出した。今後、政府がアフガニスタン復興支援を考えて民主党と協調ができるのか、あるいは補給支援特措法の単純延長となるかは、政局との関係で流動的である。

 いずれにしても、現在の日本の政治は、政局に重点が移り、極めて内向きの状態にある。
 政治によって、日本の人的国際貢献は大幅に遅れを取っている。
 現在、国連PKO等への派遣は、日本が二つのミッション・五一名派遣で第八三位、中国は、一二ミッション・一九八一名派遣で第一二位、同じ敗戦国のドイツも八ミッション・六二二名派遣で第二九位という状況にある。

 「世界の中の日本」として、日本は人的な国際貢献を積極的に推進する必要があり、そのための各政党間の協調が望まれる。

2008年08月15日

小宮 隆太郎氏の「経済教室」

獅子写真は、スイス・ルツェンのライオン記念碑(フランス革命で戦死したスイス人傭兵を悼む記念碑)
 これは1792年8月10日、フランス革命の折、ルイ16世を守るため、チュイルリー宮で全滅したスイス人傭兵786人を悼んで天然の砂岩に刻まれた記念碑。(写真を拡大してみてください)


 日本経済新聞の「経済教室」60周年企画の「近未来を探る」は大いに勉強になった。その中で、8月14日の「経済教室」 小宮 隆太郎 日本学士院会員
―人口減・政府債務歯止めを―

から、これはという部分を紹介する。
 

 世界で起きる「悪いこと」は、たいていサッチャー元英首相、レーガン元米大統領と、その亜流の小泉純一郎元首相の「新自由主義」のせいだという。その片棒を近代経済学者が担いでいるといったたぐいの記述も見かける。
 
 私が調べた限り、「新自由主義」という言葉は、その本国であるはずの英国ではほとんど使われていない。ブレア前首相は、サッチャー改革をほとんどそっくり継承し、自らは「センターの左」の社会民主主義者だといって、優れた政策を様々に行った。その結果英国病から完全に脱却し経済は繁栄し、その所得水準は日独仏伊を追い越した。
(中略)
 サッチャーとブレアの下で英国経済がなぜ繁栄したのか、という三つの質問を呈したい。
(中略)
 国際機関が悪者なら、なぜ途上国の加入が増え、脱退は皆無なのか。


 昨今、独占資本を悪者にすることはやらない。そこで「新自由主義」や「市場原理主義」という新しい悪者の「わら人形」が仕立てあげられたのではないか。


 私は(中略)ただし多くの「小さな政府」論者と違い、社会保障に関する政府の役割は増大せざるを得ないと考えた。過大なのは、公共投資や「官産複合体」と私が名付けた第三セクター、天下りなどに象徴される、政府周辺の「金食い虫」「税食い虫」であった。
(中略)日本の現状には「亡国の兆し」が表れ始めたと思うようになりつつある。

 まず10年間に、日本の出生率は一段と下がったが、人口減少への危機意識は広がっていない。人口減少自体はそれほど深刻なことではないが、その速度があまり速いと、年金制度が破綻するだけでなく、財政一般、ことに「社会的基礎資本」の維持が困難になる。最近、過疎地で「限界集落」と呼ばれる現象がみられるが、これが中小都市を含む全国に広がるであろう。
 
 政府債務の面では状況は悪化し、官産複合体のスリム化はほとんど進んでいない。
 日本国債の格付けが下がってその金利上昇し、日本企業の借入金利も上がれば、日本の一流企業は欧米所在の子会社を本社にして、日本の本社のほうはその子会社になり、米ドルやユーロが主な取引通貨になるかもしれない。日本のトップクラスの学者や若者が外国に脱出し、日本の大学や研究所は「もぬけの殻」になる可能性がある。

 ところが、日本の政治家や政党は、政権(首相の座)に就くことだけに力を注ぎ、中長期的視野で日本の根本問題に取り組んでいるようには見えない。英国でサッチャー、メージャー、ブレアの三人が首相を務めた二十八年間に、日本の首相は実に十五人を数えた。サッチャーやブレアのような名宰相が日本にも現れて、日本の経済社会を蘇生させてくれないだろうか。


ーーということで、大いに参考になった。詳細は、新聞をお読みください。

「日本の政治家や政党は、政権(首相の座)に就くことだけに力を注ぎ、中長期的視野で日本の根本問題に取り組んでいるようには見えない。」が問題であり、政権交代をして何をするかが明確でないのが問題である。

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