2007年10月

2007年10月23日

海上自衛隊の給油活動をめぐる給油量の訂正などに関する防衛省の考え方

防衛省は、22日、海上自衛隊の給油活動をめぐる給料の訂正などに関する防衛省の考え方を与野党に示した。
以下、全文を掲載します。


諸論点に対する防衛省の考え方(19.10.22)


1.情報開示にあたっての前提

 テロ対策特措法に基づく海上自衛隊の補給活動に関連する情報については、国民への説明責任を果たすとの観点から、これまでも補給実績の公表等、情報の開示に努めてきたところ。
 引き続き、海上自衛隊の補給活動に対する国民の理解に資するよう、可能な限りの情報を開示していく方針である。
 他方、以下のような情報の開示については、開示に伴う不利益を考慮する必要があるため、特別な事情がある場合を除き、開示できる内容に限界がある。

(1)部隊運用に支障をきたすおそれがある情報
 詳細な補給ポイント、詳細な艦船の位置や特定の行動の内容

(2)関係国との信頼関係が損なわれるおそれがある情報
 補給回毎の補給先艦船名、他国の艦船の具体的な作戦行動、寄港地

(3)個人に関する情報等
 個人名、契約相手先

2.給油量取り違え事案について

(1)給油の実施 
 平成15年2月25日、海自補給艦「ときわ」は米補給艦「ペコス」に対し、3,000キロリットル(約80万ガロン)の給油を行った。
 また、同日、「ときわ」は米駆逐艦「ポール・ハミルトン」に対し、812キロリットル(約20万ガロン)の給油を行った。給油の事実は、「ときわ」の航泊日誌にも記載されている(別添1)。

(2)給油の報告
 インド洋方面派遣部隊・派遣海上支援部隊(以下、「派遣部隊」という。)指揮官は、毎日、海上幕僚長等宛に、部隊の日々の行動を電報にて報告しており、平成15年2月25日の行動の報告は、平成15年2月26日、海上幕僚監部防衛部運用課など関係各課が受領した(別添2:電報)。
 また、平成15年2月26日、派遣部隊から、海上幕僚長等宛に、上記給油に関わる受領証の写しが添付された「提供実施(報告)」(電子メール)も送信されており、これを海上幕僚監部装備部需品課等が受領した(別添3:電子メール)。

(3)海上幕僚監部における対応
平成15年2月26日頃、海上幕僚監部防衛部運用課では、担当者が、派遣部隊からの報告にある給油量を、パソコンソフトを用いて作成された給油量の集計表に転記したが、その際、「ペコス」と「ポール・ハミルトン」への給油量を取り違えて入力した(別添4:集計表)。

(4)キティホークへの間接給油問題の指摘
 平成15年5月6日、「イラクの自由作戦」(OIF:Operation Iraqi Freedom)に従事した「キティホーク」空母戦闘群マシュー・G・モフィット司令官が、記者に対し「我々は海上自衛隊から米軍の補給艦を経由して間接的に計約80万ガロンの燃料補給を受けた。日本政府の協力に感謝する。」旨発言したとの報道がなされた。


(5)対外的な説明
こうした状況の中、2.(3)で述べた集計表に基づいて、平成15年5月8日、石川統合幕僚会議議長(当時)が記者会見で、「海上自衛隊から米国の補給艦に約20万ガロンの補給を実施している。」旨述べた。
 その後、平成15年5月9日、海上幕僚監部部内において、海上幕僚監部装備部需品課の担当者からの指摘により、担当課長(防衛部防衛課長)らは、その誤りに気づいたが、燃料担当は他の部局であったと認識していたことやキティホークへの間接給油問題(燃料の転用問題)が沈静化しつつあったことを考慮し、特に上司への報告や内局への報告を行わず、また、訂正の措置もとらなかった。
 一方、内部部局の担当部局(防衛局防衛政策課)においては、担当者が、平成15年5月8日、燃料の転用問題に関する防衛庁としての応答要領を、同日の統合幕僚会議議長の会見内容に沿って作成した。この結果、同年5月9日、福田官房長官(当時)が記者会見で、さらに同年5月15日、石破防衛庁長官(当時)が参議院・外交防衛委員会において、海自補給艦から米補給艦への給油量は「約20万ガロン」である旨説明することとなった。

(6)さらなる対応
このように、担当課長レベルで重大な情報の取り違えに気づいていたにもかかわらず、報告が一切行われなかったことは、文民統制に関わる極めて重大な問題であると考えている。速やかに調査結果を明らかにするとともに、厳正な処分を行い、加えて文民統制の徹底を図るとの観点から、再発防止の徹底を含め、抜本的な措置を講じるべく、本日、大臣を長とする検討のための委員会を立ち上げる。

3.航泊日誌の誤破棄事案について

(1)航泊日誌に関する規定
 海上自衛隊の艦船は、航泊日誌を船内に備えなければならないとされており、航泊日誌の作成責任者は当直士官であり、管理責任者は艦長である。
 航泊日誌は、最後の記載をした日から1年間、艦船内に備え置き、その後3年間、当該艦船の在籍する地方総監部に保存するものとされている(別添5:「航泊日誌に関する達」昭和42年5月30日、海上自衛隊達第30号)。

(2)廃棄した状況
 平成15年7月から同年12月分の「とわだ」の航泊日誌については、艦船に対して毎年実施される検査の期間中の平成19年7月26日、その時点では本来廃棄してはならないにもかかわらず、「とわだ」の航海科員が、管理責任者である艦長の許可を受けずに、過去の航泊日誌とともに誤って裁断機で裁断した。その後、裁断されたものは焼却処分された。

(3)廃棄に関する調査
 なぜこのような事態が生じたかについては、当時の関係者から事情を聴取し、より詳細な調査を行っており、結果を踏まえて厳正に対処するとともに、結果をとりまとめ、速やかに説明する予定である。

(4)文書管理の徹底
 平成19年10月10日付で、防衛省・自衛隊の全組織を対象に、行政文書(行政文書ファイルとして約220万件)の管理状況の調査を開始し、同年10月18日付で行政文書の管理の徹底につき事務次官通達を出した(別添6:依頼文書、別添7:事務次官通達)。
調査の結果が判明次第、さらなる必要な措置をとることとしている。

(5)「とわだ」行動中の必要な情報の復元
 誤って廃棄された航泊日誌のうち、平成15年7月から同年11月までの間は、護衛艦「はるな」及び護衛艦「あさぎり」が、「とわだ」に随伴する艦船としてインド洋に派遣されていたため、「はるな」及び「あさぎり」の航泊日誌等をもとに、「とわだ」の行動等の必要な情報は復元することが可能であり、作業を実施中のところ、今週前半にこれを終えるべく、現在全力を挙げているところである。
 
4.海自の航泊日誌の開示について

(1)基本方針
 海上自衛隊の艦船の航泊日誌には、艦船の行動、天候等の種々のデータが含まれているが、‘団蠅旅堝阿箚倭イ両楮戮憤銘屐↓艦船の具体的な針路、E直士官等の個人名、ち蠎蟾颪箸隆愀犬燃示できないもの(艦名等)を除き、すべて開示する方針である。

(2)「ときわ」の航泊日誌の優先的な開示
 民主党から特に強く要望されている平成14年11月から平成15年5月の「ときわ」の航泊日誌(約800頁)については、開示のための作業を優先的に実施した結果、現時点で開示可能な状況にあり、速やかに提出したい。


小沢論文と社共の対応は?

 小沢代表が、『世界』に発表したISAF参加に言及した論文に対して、野党の社民・共産はどう考えるのだろうか?
 自衛隊の海外でも活動、とくに武力行使が伴うものには反対という明確な立場を取っている。
 これにつて、政治評論家の俵孝太郎氏が以下のように述べている。
参考に掲載します。


日刊ゲンダイ 10月17日付   俵孝太郎の辻斬り説法


「ISAF参加」の小沢論文を社共はどう読む


 政権をとったらアフガニスタンのISAF・国際治安支援部隊に参加する、結果的に武力を行使することになっても違憲ではない、という小沢一郎・民主党代表の論文は、反米・国連原理主義に立つ「普通の国」論者の面目躍如だ。

 自民党幹事長だった湾岸戦争当時、アメリカから求められるままに130億ドル、超円高の時代でも1兆3000億円の戦費を拠出したのに、一滴の血も汗も流さなかったためか、戦後クウェート政府がニューヨーク・タイムズに出した各国の支援に対する感謝広告にジャパンのジの字もなかったのが、彼の深いトラウマになっているのだろう。

 アメリカの言いなりに油を提供するのはダメ、国連決議に沿って陸上自衛隊を海外派兵して相手の攻撃に武力反撃するのはOK、というのはまことに単純明快だ。

 異議があるヤツは党を出ていけ、というのも彼らしい。党議決定したわけではない個人的見解だが、そこは独裁者だ。きっと一等地の豪華マンション・コレクションで使いきれないカネを党にふんだんに出して、オーナーシップを確立しているのだろう。

 論文の発表舞台がサヨクの愛読誌「世界」なのも素晴らしい。「文芸春秋」ではパンチに欠けるし「諸君」「正論」でもつまらない。口をあんぐり開けて「世界」を読む志位や福島 のツラが目に浮かぶ。

 いまごろ違憲だ、反対だといっても、参院の首班指名決選投票で共産・社民が小沢を日本の首相にふさわしい人物として支持した事実は消えない。共産党は、次期総選挙で小沢・民主党支援を前提に小選挙区からの一部撤退を決めた責任も含めて、志位を除名すべきだ。福島も最低限、党首を即刻辞任すべきだ。


shige_tamura at 10:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!小沢一郎 

2007年10月22日

米国補給艦ペコスへの約80万トンの行方は

 平成15年(2003年)2月25日、海自補給艦「ときわ」は米補給艦「ペコス」に対し、3,000キロリットル(約80万ガロン)の給油を行った。
 これが、空母キティホークに給油され、それがイラク戦争に使われたのではないかという問題がある。当初、防衛省は約20万ガロンといっていたが、それは誤りで約80万ガロンであった。

 キティホークは、ペコスから約80万ガロンでなくて、実際には、67万5000ガロンの燃料補給を受けた。
 
 補給艦ペコスがキティホークに給油した67万5000ガロンが直ちに使用されたと仮定すると、ペコスから燃料の供給を受けた後のキティホークの活動を分析する必要がある。運航速度も含めた、キティホークの活動に基づいて考えると、3日以内にこの67万5000ガロンの燃料をすべて消費したと考えられる。

 2月25日から28日の3日間に、キティホークはOEFを支援するための任務を行った。

 イラク戦争は、3月20日に行われた。したがって、補給艦ペコスがキティホークに給油した67万5000ガロンは、イラク戦争には関係ない。


 
これについて、「米国国防総省報道発表」が米国大使館ホームページに掲載されている。以下がホームページの全文です。


2003年2月25日の日本による米国補給艦ペコスへの給油について

(2007年10月10日、ワシントンD.C.)

 「不朽の自由作戦(OEF)」における日本の海上自衛隊の給油活動にかかわる特定の事例が、懸念を引き起こしている。
 2003年2月25日、海上自衛隊から燃料補給を受けた米国補給艦ペコスが、空母キティホークおよび巡洋艦カウペンスに給油した。この事例は、日本が給油した特定の燃料がどのように使われているかを追跡することが、いかに複雑なものであるかを示している。しかし、そのような追跡に集中して取り組んだ結果、こうした懸念が根拠のないものであることを改めて確認した。

 2003年2月25日、海上自衛隊補給艦「ときわ」は、約80万ガロンの燃料を米国補給艦ペコスに給油した。ペコスは、約756万ガロンの最大燃料積載量を持つ海上輸送司令部の補給艦である。「ときわ」からペコスに補給された燃料は、ペコスの最大燃料積載量のおよそ10%に相当する。

 ペコスはその後、多くの艦船に給油したが、最初に給油したのは空母キティホークであった。400万ガロンの燃料積載量を持つキティホークは、ペコスから67万5000ガロンの燃料補給を受けた。
 ペコスからキティホークに補給された燃料すべてが当初「ときわ」から給油されたものであったとし、キティホークの最大燃料積載量の半分を航空燃料用と想定する場合、「ときわ」から供給された燃料は、キティホークの最大燃料積載量の40%弱を占めることになる。

 補給艦ペコスがキティホークに給油した67万5000ガロンが直ちに使用されたと仮定すると、ペコスから燃料の供給を受けた後のキティホークの活動を分析する必要がある。運航速度も含めた、キティホークの活動に基づいて考えると、3日以内にこの67万5000ガロンの燃料をすべて消費したと考えられる。

 2月25日から28日の3日間に、キティホークはOEFを支援する以下の任務を行った。海面捜索監視統制(SSSC)、対水上戦闘航空偵察、海上阻止行動(MIO)の哨戒、戦闘空中哨戒、捜索および航空救難、指揮統制、空中給油、電子戦の訓練および即応、暗視装置能力、精密照準爆撃訓練、模擬近接航空支援、精密航法計器能力、艦載機着艦能力、前方航空管制、ならびに航空機防御。

 2月28日の夜、キティホークは「南方監視作戦」を支援するため北アラビア湾に到着した。

 2003年2月25日、補給艦ペコスは、キティホークに給油後、14万9000ガロンの燃料を、OEFを支援する任務を遂行するカウペンスに給油した。この14万9000ガロンの燃料はすべて、OEFの目的で消費したと考えられる。

 簡潔に言えば、空母キティーホークはOEFを支援するために、少なくとも67万5000ガロンの燃料を消費した。


2007年10月19日

橋本龍太郎先生を偲び橋本岳君を励ます会に参加して

橋本 龍太郎橋本夫人











 昨日は、「橋本龍太郎先生を偲び橋本岳君を励ます会」に参加して、久しぶりに橋本夫人にもご挨拶しました。
 僕と橋本龍太郎氏は、自民党が野党の時に、政調会長の下で僕が会長室長を11ヶ月務めた関係です。
 当時は、自民党が野党で、橋本龍太郎氏を「何とかPRする」ことを必至で考えて行動していました。
 そのために、『ビジョン・オブ・ジャパン』といった本もプロデュースし、一気に10万部売れました。それだけ、橋龍人気はすごかったわけです。
 総裁選では、小泉純一郎氏を破って総裁になったのでした。

 その頃のことをしんみりと思い出しました。


2007年10月18日

小沢一郎氏の「10億円不動産」「25億円現金」「政治資金で購入のマンション」問題

毎日文春












 今朝発売の「週刊文春」、「アエラ」、毎日新聞の一面(10月9日)などで、小沢一郎氏の「10億円不動産」「25億円現金」「政治資金で購入のマンション」といったことが、大きな問題になってきている。
 かつての政治家は、政界に乗り出して私財を失い井戸と塀しか残らない「井戸塀政治家」といわれていた。
 それが、「10億円不動産」「25億円現金」ということだと、何のために政治をしているのか?
 ということである。
 小泉純一郎首相が国民から支持されたのは、お金に清潔だったからで、お金を増やすことに熱心でなかったからである。

 今、問われるのは、国家が莫大な借金をし、国民に金持ちと貧乏の格差が広がっているのが問題であり、この状況を大金持ちの小沢代表や鳩山幹事長には、口先ではうまいことを言っても、本当に庶民のことは分からないと思う。

 だからこそ、マスコミは、今、小沢氏の「政治とお金の関係」、
具体的には、「10億円不動産」と「25億円現金」の問題を取り上げるのでしょう。

 詳しくは、週刊誌をお読み下さい。

shige_tamura at 15:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!小沢一郎 

「テロ特措法」(内外出版)の本を買うには

テロ本テロ特措法」(防衛知識普及会編、内外出版)の本を買いたいとの人がいました。
 さっき、参議院の五車堂書店に行ったら、本が平積みで並んでいました。
 なお、増刷されました。

新テロ特措法案が閣議決定

 新テロ特措法案が昨日(10月17日)閣議決定された。
この法案の名前は「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案」である。

以下、法案の概要を説明する。


 いわゆる九・一一テロによってもたらされている脅威がいまだ除去されていない現状において、国際社会は、国連安保理決議第千三百六十八号等を受けて、「テロとの闘い」を継続している。

 我が国がこれまでに、テロ対策特措法に基づきインド洋において実施してきた補給等の活動は、先般、採択された安保理決議第千七百七十六号においても、その貢献に対する評価が表明された。
 我が国としては、国際社会から高い評価を受けている補給支援活動を継続することにより、国際社会の責任ある一員として、「テロとの闘い」に、引き続き、積極的かつ主体的に寄与し、我が国を含む国際社会の平和と安全の確保に貢献する必要がある。

 本法律案は、現行テロ対策特措法に基づき行っている協力支援活動のうち、いわゆる海上阻止活動に参加している各国の艦船に対する補給活動に限定するもの。
 
 また、自衛隊の部隊等の活動についての規定をより詳細に規定することにより、テロ対策特措法に基づき国会承認を受けた内容についても、その法文において規定している。
 
 本法案の有効期限については、我が国として、「テロとの闘い」に、引き続き寄与する姿勢を示すべきである一方、活動の継続の必要性について、より幅広い国民の理解と支持を得るためには、一年後に改めて継続の可否につき国会できめ細かく判断を頂くことが適当と考えられるため、一年間とした。


2007年10月17日

ASAHI NEWSTAR「ニュースの深層」に生出演しました

朝日テレビ昨晩、ASAHI NEWSTAR(朝日ニューススター)の「ニュースの深層」に生出演しました。
 テーマは、「シリーズ・テロ特措法」というものでした。
 生出演は、「朝まで生テレビ」以来、2度目です。

 番組は、約1時間、『官邸崩壊』の著者で有名な上杉隆氏の司会、サブキャスターは重信メイさんで、ゲストは僕1人でした。

 僕が出演したキッカケは、上杉隆氏からの以来でした。
 僕の『テロ特措法』の本が出るとのことで、彼は「それなら、僕のテレビに出てくれませんか?本の宣伝にもなりますから」とのことで、「OK」しました。

 当日は、約束通り、『テロ特措法』の本を紹介していただきました。

 生番組は、2回目でしたから、わりと落ち着いてできました。
 どんな状況だったかは、後でビデオでよく見て反省したいと思います。

 それから、僕の名前は重信です。サブキャスターは重信メイさんでした。
そこで僕から「同じ名前ですね、ところで、あの有名の重信房子さん(日本赤軍の最高指導者)との関係はあるのですか?」と聞いたら、「私は、娘です」と答えてくれました。「ちょっと、ビックリしました」

 写真は、番組が終わって僕がタクシーで帰るときに、わざわざ上杉隆氏と重信メイさんがビルの外まで出て見送りしてくれたシーンです。
 そこで、僕は、「ブログに載せるので一枚」といって撮った写真です。そのために、バックが暗かったのでした。

 上杉隆氏は、売れっ子でありながら、とても礼儀正しい青年で、重信メイさんは、写真よりも、もっともっと美人でした。
 

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