2007年06月

2007年06月29日

宮澤喜一元首相 死去

 昨日、フジテレビの「めざましテレビ」から僕に「宮澤喜一元首相の死去に関してインタビューをさせて欲しい、ついては9時からスタジオか自宅で」との話があったが、その時間には、宴会の後でお酒が入っているからとのことで断り、別の人物を紹介しておきました。

 宮澤喜一元首相との思い出の一つは、小沢調査会の提言を小沢一郎氏と国会内の当時の宮澤首相に説明にいった時には、「偉大な総理」という感じがしました。

 もう一つは、自民党の新憲法草案を作る時のことです。
僕は事務局の立場で、起草委員会全般と「天皇に関する小委員会」と「安全保障及び非常事態に関する小委員会」を担当しました。
 憲法改正の焦点である九条問題は、僕の得意分野。
 しかし問題は「天皇に関する小委員会」だった。

 委員長は宮沢喜一元首相、代理は橋本龍太郎元首相、それに舛添氏がサポートした。したがって、この三人が中心で、僕が事務方を務めました。

 「天皇に関する小委員会」の会議が行われるたびに、資料をまとめて、委員長の宮沢喜一元首相の事務所にファックスで送るのだが、しばらくすると、宮沢氏から直接、電話がかかってくる。

 「田村さんですか?」
 「はいはい、田村です」
 「この要綱の論点を整理されたのは田村さんですね。ところで、この部分の記述なのですが、これはどう解釈したらいいのでしょう?」

 突っ込まれるたびに、四苦八苦しながら「もう一度、検討してお答えします」と返答。
その都度、冷や汗をかいた。
 そして平成17年4月4日、各小委員会から要綱が出された。


 最後に宮澤喜一元首相のご冥福を心からお祈り申し上げます。


韓国と日本の儒教文化の相違点(その2)

高さん第二八回日本論語研究会
日時 二〇〇七年六月九日(土)一六時三〇分〜一七時一〇分
場所 慶應義塾大学大学院校舎一階三一一号室
講師 高永(コリア国際研究所首席研究員)
演題 「韓国と日本の儒教文化の相違点」



(二)現代韓国における儒教


 現代韓国の儒教はどうなっているのか。
 一九四五年、韓国が日本から独立して以後、一九四六年に全国儒道会が結成されて、同時に成均館大学校という大学ができて、ここを中心に儒教教育を実施しております。
 
 日本の儒教は生活習慣として日本式に変化して定着していると思います。
 日本では「儒学は定着したものの、儒教は定着しなかった」という見方があります。
 でも日本の一般家庭には仏壇というものがありまして、それは儒教と仏教が両立したシンボル的なものであると考えます。これが私の見方です。

 先祖を供養するための仏壇と位牌を祀る思想は儒教から来たものです。もともとこれは仏教とは無縁です。日本は儒仏の境が判然としなくなるくらい儒教は日本風に変化して定着していると思っています。
 
 韓国の儒教は、『儒教原理主義』というか、まるでイスラム原理主義みたいになっていると言われました。
 でも外来の宗教、思想も入っていまして、韓国には全国的には至るところに十字架があります。全国的にキリスト教が広がっています。熱心に教会に通ったりしていますね。
 韓国にとって儒教は宗教と言うよりは生活習慣あるいは生活文化として定着したと言えます。
 因みに、儒教習慣は世代差があります。四〇歳代以下の世代と四〇歳代以上の世代は全然違う。四〇歳代以上世代は、確かに儒教原理主義というか、儒教思想を強く持っています。ですが、四〇歳代以下の世代は、生活習慣において儒教の名残があるものの、欧米式に変わりつつある、その過渡期にあると思います。

 ただ若い世代であっても地下鉄やバスでは、お年寄りに必ず席を譲ります。若者が席を譲らないと周りの人から注意を受けるんです。

 あるいは年上の人とお酒を飲む時は、自分のコップを隠しながら飲む。
 これは完全に生活習慣として根付いた例ですね。

 タバコも先輩の前では吸わない。若い女性たちも飲み屋とか街角でタバコを吸う人はいません。ここが日本と違いますね。

 まぁ時代が時代ですから、テレビの討論会でも、今までの儒教原理主義を貫くか、あるいは欧米式に変えるかを巡って、激しく議論をします。


2007年06月28日

韓国と日本の儒教文化の相違点(その1)

講談社高さん











『北朝鮮特殊部隊白頭山(ペクトサン)3号作戦』(講談社)の著者、高永(コウ・ヨンチョル)氏(コリア国際研究所首席研究員)が、日本論語研究会で「韓国と日本の儒教文化の相違点」について講演を行いました。

講演の終わりには、『北朝鮮特殊部隊白頭山(ペクトサン)3号作戦』の本の内容についても話されました。

今日から、その時の議事録を掲載します。

第二八回日本論語研究会
日時 二〇〇七年六月九日(土)一六時三〇分〜一七時一〇分
場所 慶應義塾大学大学院校舎一階三一一号室
講師 高永(コリア国際研究所首席研究員)
演題 「韓国と日本の儒教文化の相違点」


はじめに

 はじめまして。ただいま田村(重信)先生からご紹介頂きました高永戮任后F本論語研究会に参加するのは二回目でして、今回、お話しすることができ大変嬉しく思います。
 
 論語は私の専門分野ではありませんが、生活習慣として韓国と日本の儒教文化の違いとは何かということについてお話します。


(一)韓国における儒教の歴史

 今日はレジュメを用意しました。
 今、韓国においてどの程度、儒教が浸透しているのか。生活習慣、あるいは文化としてどれだけ定着しているのか。
 
 韓国に初めて儒教が伝わったのはBC三世紀頃、朝鮮半島に中国から儒教が伝来されました。
 あと三国時代、つまり高句麗と東側の新羅、西側の百済です。この三国時代に儒教が紹介されました。
 新羅は一番、中国から離れております。だから最も遅く儒教が伝わったという記録があります。
 三国時代が終わり、高句麗、新羅、百済は統一され、高麗時代に入ります。日本はちょうど鎌倉時代です。
 
 この頃、儒教、そして論語の文化が完全に広まって、人材登用、今で言えば司法試験とか公務員試験の時の試験内容に儒教に関する科目が使われたそうです。
 そして朝鮮時代。日本の江戸時代ですが、この頃、韓国は儒教の全盛期を迎えます。政治、経済、社会、文化といった各方面において、儒教の影響が及ばないところがないほどになりました。

 一九世紀になりますと、日本も韓国もそうですが、ヨーロッパのように国の体制の変革を巡って大変な議論が出てきました。
 
 その時、儒教の学者、つまり儒学者たちは、「日本、韓国、中国は儒教の国だから、アジアの伝統文化を守るためには、ヨーロッパのような生活スタイルを入れてはいけない」と激しく反発しました。

 いわゆる鎖国主義の手先になって、儒教が国家発展の障害になっていたという時代でした。


2007年06月27日

「日本人と編⊃声」(その7・おわり)

坂
第二七回日本論語研究会
日時 平成十九年五月一二日(土)一六時三〇分〜一八時
場所 慶應義塾大学第一校舎一階一〇二教室

講師 坂明夫(編⊃声卩宜・遊就館部長)
演題 「日本人と編⊃声」



(六)A級戦犯合祀の根拠

 いわゆるA級戦犯合祀の根拠についてお話致します。
 まず、なぜA級戦犯の方々を分祀できないのかと申しますと、これは信仰上あり得ないわけでございます。先ほど申し上げました通り、編⊃声劼楼貂造凌斥佑任靴董∀洪い任いΠ譴弔留蠅砲覆辰討るのです。そこから、ある特定の神霊だけを取り除くというのは信仰上できないのです。

 ちなみに分祀というのは「分霊」のことです。中曽根元首相などが述べているような「分離」するという意味ではないのです。大分の宇佐神宮の神様を東京に分霊して、もう一つの神社をつくることはできます。つまり英霊を分祀するということは、もう一つ編⊃声劼できるということです。
 
 今、編⊃声劼錬禅蘋鑒般簑蠅留加罎砲△蠅泙垢、編⊃声劼箸靴討蓮∧祀は選択肢にございません。
 さて、いわゆるA級戦犯合祀の根拠ですが、先ほど編⊃声劼砲祀りする基準として、戦争で命を落とされた方を合祀すると申しました。サンフランシスコ平和条約第一条には「日本国と連合国との間の戦争状態は、第二三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する」とあります。
 サンフランシスコ平和条約の発効は、昭和二十七年四月二八日です。つまり二七日までは戦争状態にあったということでございます。この間に敵国の戦争裁判によって処刑された方は、戦争中に敵の手によって殺されたに等しいわけで、これは戦場での戦死と同じです。
 国家は戦犯を「法務死亡者」と呼称し、編⊃声劼任「昭和殉難者」と呼んでおります。
 
 A級戦犯合祀の根拠の二つ目ですが、それは国会の決議に基づいていることです。国会の戦犯に対する評価ですが、国会は戦犯というものを国内法上の犯罪人とは見ていないということです。
 昭和二十七年六月九日には「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、昭和二十七年一二月九日には「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」、昭和二十八年八月三日には「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」、昭和三十年七月一九日には「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がございました。
 さらに、戦犯で亡くなられた方を一般戦死者と同等と判断したという証拠として法改正を挙げることができます。昭和二十八年には戦傷病者戦没者遺族等援護法改正がありました。これは、戦犯の遺族は一般戦歿者遺族と同じであり、遺族年金及び弔慰金が支給されるべきというものです。

 右派社会党の堤ツルヨさんが衆議院厚生委員会で「(処刑された方は)早く殺されたがために、国家の補償を留守家族が受けられない。しかもその英霊は編⊃声劼涼罎砲気┐眛れてもらえない。遺族援護法の改正された中に当然戦犯処刑、獄死された方々の遺族が、扱れるのが当然である」とおっしゃいました。つまり堤ツルヨさんは、「戦犯の方も早く合祀しなさい」とおっしゃっているわけです。この姿勢を社会党は、ずっと貫いておれば、立派な政党になっていたと思います・・・(笑)。

 それから恩給法の改正もございました。国内法では禁錮三年以上の刑を受けますと、恩給を受給することができないのですが、戦犯の方が受給できるのはもちろん、改正によって、戦犯に問われて拘禁されておる期間を在職期間に通算、つまり刑務所にいる期間は働いているのと同じであるというものに改正されたわけです。

 そして、こういう国会の決議がなぜ行なわれたのかと申しますと、その背景には国民の幅広い支持があったわけです。国民は戦犯を犯罪人とは見ていないのです。戦犯釈放運動というのがございまして、昭和二十七年六月、日本弁護士連合会が「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出しました。そして戦犯釈放署名が合計四〇〇〇万に達した。
 これは共同通信の小沢武二記者の調査記録に残っております。「戦犯は犯罪人ではない。早く釈放せよ」というものです。昭和二十八年一一月一一日には、旧両国国技館にて「抑留同胞完全救出巣鴨戦犯全面釈放貫徹国民大会」が開催されまして、その台上には三〇〇〇万人の署名書が積み上げられました。こういう国民の支持があったのでございます。

 最後にいわゆるA級戦犯合祀の経過をお話します。A級戦犯に対しては確かに特殊なものがございます。いわゆるB、C級戦犯の方は、厚生省から祭神名票が来ましたら、事務手続きを経て、その翌年か翌々年には合祀されています。
 A級戦犯については、祭神名票が送付されたのは昭和四十一年です。本来ならば、数年後には合祀されるべきなのですが、実際は昭和五十三年に合祀されております。
 すぐに合祀されなかった理由としては、私の推測も含みますが、昭和四十一年の段階では、一般将兵の合祀を優先しようという意識があったことが挙げられます。
 この時点では、一般将兵の未合祀者は大勢存在しておりました。それと、当時は編⊃声匚餡噺郢問題がございまして、反対派と議論になることを極力避けようとしたことが挙げられると思います。
 そして昭和五十三年七月に松平新宮司が就任し、新宮司として筑波宮司時代に決定していた合祀を実行したのだと思います。
 
 いずれにしても以前からA級戦犯の方々については特別な見方があったことは事実ですが、基本的には、やはりA級戦犯の方々も編⊃声劼帽艫すべきであるという思いが広く国民の中にあったと言ってよいのではないでしょうか。


おわりに

 まだまだお話したいことはたくさんございますが、お時間ですのでこの辺で終わりたいと思います。
 甚だ雑駁なお話で恐縮ですが、私どもは今後も編⊃声劼里△襪ままの姿、事実をお伝えする努力を致す所存でございます。
 本日は、ご清聴誠に有難うございました。


2007年06月26日

 「日本人と編⊃声」(その6)

坂

第二七回日本論語研究会
日時 平成十九年五月一二日(土)一六時三〇分〜一八時
場所 慶應義塾大学第一校舎一階一〇二教室
講師 坂明夫(編⊃声卩宜・遊就館部長)
演題  「日本人と編⊃声」


(五)今も生き続ける編△凌

 英霊のお心、肉親に対する切なる思いをお持ちになりながらも、祖国のために尊い生命を捧げられた英霊のお心。愛する祖国、愛する故郷、愛する家族、悠久の大義、正義のために生きる、そして死ぬお心。こういったものが今なくなっているのではないかということをよく耳に致します。

 しかしながら私は折に触れ、編△凌粥英霊の心は今も生きていると感ずることがございます。平成十三年に新大久保駅で日本人男性と韓国留学生の男性が、ホームから転落した男性を助けようとして、結局、三人とも亡くなられた事件がありました。 本年も、ときわ台駅で自殺しようとしていた女性を決死の覚悟で救出しようとした宮本(邦彦)警部、当時、巡査部長でございますが、宮本巡査部長は身を挺して助けようとして、命を絶たれました。
 宮本巡査部長が入院された際、たくさんの方々がお見舞をされましたし、メディアも彼の行動を尊しとして報道しました。新大久保駅での二人の青年、宮本巡査部長の心は、即ち英霊の心です。こういう英霊のお心を美しいとする日本人の心が残っていることを感ずるのです。

 ついでに申しますと、編⊃声劼論鐐茲納分の身を捧げたことを讃えるが故に、「戦争を賛美している」と誤解されることがあります。新大久保駅の事故にしても、ときわ台駅の事故にしても、そのような事故を賛美しているのではなく、救済者の行為、お心を讃えているのです。
 それと同じように編⊃声劼蓮∪鐐茲婆燭鯤げられた方々の行為、お心を讃えているわけでして、戦争を賛美しているのではございません。その辺を理解して頂きたいと思います。


小沢代表の不思議な不動産取得方法

民主党小沢一郎代表の不動産取得について各方面から疑問の声があがっています。
今回は、「夕刊フジ」(6月22日付)

須田慎一郎 金融コンフィデンシャルから

小沢代表の不思議な不動産取得方法

を掲載します。


 「民主党の小沢代表は、自らの資金管理団体が所有する不動産の扱いについて、『法律が駄目というなら処分する−』と言っているが、果たしてそれだけで済む問題なのか。

 その不動産取得の経緯を丹念に追っていくと、極めて不可解な点が多い。それこそ、『ナントカ還元水』どころの話ではない疑惑がそこには浮かび上がってくるといっていいだろう」
 かねてから筆者が懇意にしている、政治資金問題に精通する中央省庁幹部がこう指摘する。

12物件で計10億円

 去る12日、民主党の小沢一郎代表は金沢市内で記者会見し、政治資金規正法改正案が成立した場合、自身の資金管理団体が所有する不動産−トータル12物件、総額約10億1900万円−を処分する意向を表明した。

 小沢氏の資金管理団体、「陸山会」が、初めて不動産を取得したのは94年5月のことだ。
 そして、小沢氏が「陸山会」の代表に就任するのが、その年の11月24日のこと。
 つまり「陸山会」が所有する12物件のうち、前述の1物件を除いた11物件については、小沢氏が資金管理団体の代表に就任した以降に取得されたものなのだ。
 しかも不可解なことに、94年5月に陸山会が所有していたはずの物件は、小沢氏が資金管理団体の代表に就任したまさに翌日、“所有権移転”という形をとって、陸山会が所有する格好がとられていたのである。
 おそらくこれだけの説明では理解できないだろう。

 もう少し細かく説明していくことにする。
 そもそも陸山会が初めて所有した不動産(元赤坂のマンション、約1億5000万円)は、さかのぼること94年5月に陸山会の前代表を務めていた佐藤哲夫氏が取得したものだ。
 佐藤氏が取得した日時と、陸山会がこの物件を取得した日時は全くの同一(同年5月18日)であることから、この時点では実質的に「佐藤氏=陸山会」ということになる。そして、その年の11月25日−つまり小沢氏が陸山会の代表に就任した翌日−この物件は、“委任の終了”という形をとって小沢氏個人に所有権が移動しているのだ。

 「つまり、佐藤氏は小沢氏の“代理人”という立場だったのでしょう。そして、この“委任の終了”という形をとっての所有権移転は、税務上、相当なメリットがある。この一連の経緯に、税務のプロが絡んでいることは間違いない」(国税関係者)

 しかも陸山会は、小沢氏が同会の代表に就任した後、わずか2カ月の間に、名義変更ならびに購入という形で約4億6000万円を次々と取得していったのである。
 いずれにしても、小沢氏が代表を務める陸山会の不動産取得の経緯は非常に不可解と言わざるを得ない。
 引き続き、この問題については追及していきたい。


shige_tamura at 08:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!小沢一郎 

2007年06月25日

歴史に学ぶ恕の政治

「歴史に学ぶ恕の政治」というのを見つけました。

恕(じょ)とは、論語で最も重視する事柄です。

恕とは、思いやりという意味で、論語では「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」ということです。

 仏教では、慈悲。
 キリスト教では、自分がして欲しいとこを人にしてあげなさいということで、これは「愛」です。


以下、「歴史に学ぶ恕の政治」について掲載します。


童門冬二氏が講演 日本夢づくり道場


 衆・参の当選1回議員を対象とした「日本夢づくり道場」が19日開催され、作家の恕(じょ)とは氏がをテーマに講演した。

 童門氏は“恕”とは「相手の立場で考えること」だと説明し、江戸時代に徳川吉宗が行った政治を紹介。元禄の好景気で「自分さえよければいい」という風潮が広がっていると感じた吉宗が、財政再建だけでなく心の再建を目指して享保の改革を行ったと説明した。
 
 そのなかで童門氏は、吉宗が各自治会から資金を募り互助の精神で医療施設の運営を行ったことや、目安箱を設置して庶民の声に耳を傾けたことなど改革の成果を評価した。
 
 また、童門氏は現代社会について「IQ(知能指数)や偏差値による教育が行き過ぎると、自分さえよければいいという風潮になる」と述べ、相手の意見に耳を傾けることや、思いやりの精神を持つことの重要性を訴えた。



shige_tamura at 12:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!自由民主党 

『選挙の裏側ってこんなに面白いんだ!スペシャル』(三浦博史・前田和夫、ビジネス社)

選挙本これから参議院選挙。
選挙関係者に読んでもらいたくない本が出版された。

それが『選挙の裏側ってこんなに面白いんだ!スペシャル』(三浦博史・前田和夫、ビジネス社)だ。

これには、選挙の極意ともいうべきものが「さらり」と平易に書かれているからだ。
だから、これを読めば選挙に大いに役立つというもの。

とくに、僕の友人の三浦氏は、日本一の選挙参謀(軍師)ともいうべき人物で、「ここまで書いていいの?」というものまであって、選挙関係者の「必見の書」となっている。

僕も仕事柄、参議院全国区や地方区の選挙参謀などもやった。
NHKアナウンサーの宮田輝氏の2回目の選挙参謀を30才代の若き時代にやったことを思い出す。100万票を目標にして、なんとか当選しなければと思ってやった結果が、180万票を越えた。このことを今でも鮮明に覚えている。
そして、どうして、180万票獲得できたか。
それには、それなりの作戦があったからだ。

選挙は、現代の民主主義制度下の戦争だと思う。

だから、選挙にはいろいろなことがある。選挙は短期決戦。

そこには、凝縮した人間の姿が露骨に現れる。
選挙ドラマは、その人間の真の姿がかもし出される。



shige_tamura at 10:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!本の紹介 
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