2018年08月10日

竹下派の佐藤正久外務副大臣、安倍総裁支持へ

産経新聞に、「竹下派の佐藤正久外務副大臣、首相支持へ 同派参院は石破氏支持、別行動」
との記事が載っていた。
 以下が内容だ。

 自民党竹下派(平成研究会)に所属する佐藤正久外務副大臣は9日、9月の党総裁選で安倍晋三首相(党総裁)を支持する考えを明らかにした。産経新聞の取材に「自衛隊の存在を明記する首相の憲法改正案に一貫して賛成してきた。外務副大臣として安倍外交を支える立場でもある」と述べた。

 竹下派の参院は総裁選で石破茂元幹事長を推す方針だが、各議員の個別事情による投票も認めている。
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 今回の自民党総裁選挙、石破氏支持を竹下派の参議院議員が一本化となったが、それに佐藤副大臣は反旗を翻した格好だ。

 それは、記事にもあるが、佐藤副大臣は、自民党の憲法改正論議で、「今まで一度も憲法改正したことがない状況で、かつての自民党改正案は理想だが、一刻も早く憲法に自衛隊を明記することの方が大事で、その方が、国民の理解も得られる。」と発言してきた関係で、今回、自説を曲げるわけにはいかないとの信念からの決断だ。

 佐藤副大臣は、自衛官から国会議員となり、現在は、防衛政策に加え、外交も分かる政治家として大成している。

 最近、勉強会で佐藤副大臣の講演を聴いたが、大いに参考になった。
 立派な政治家になった。
 いま最も、信頼できる政治家だ。
 


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shige_tamura at 08:54|PermalinkComments(0)clip!自由民主党 

2018年08月09日

翁長沖縄県知事の死去と僕

 翁長沖縄県知事の死去した。

 僕と翁長氏とは、1998年(平成10)2月に行われた名護市長選挙を一緒に戦った同志だった。

 当時、普天間基地移設で、名護市が基地を受け入れるか否かで市民投票が行われ、比嘉鉄也名護市長が、総理官邸の橋本龍太郎総理に面会し、「海上ヘリポートの受け入れ及び市長辞任の意向」を伝え、名護市長選挙が行われることとなった。
 そのときに、当時の野中幹事長代理に「田村君、名護市長選挙のために沖縄に行ってください。今回は、先の市民投票の失敗を踏まえ、中央からの国会議員と沖縄県でも選挙区以外の国会議員にも入ってもらわないから、よろしく頼む。」と言われて、名護市長選挙を戦った。
 その時の自民党沖縄県連の幹事長が翁長氏だった。
 名護市長選挙は、全国注目となり、開票結果は、岸本氏が当選した。
 これは、新聞一面トップ、テレビもトップニュースで伝えた。

 大苦戦だった選挙が勝利となり、僕と翁長氏は抱き合って喜んだ。

 その後、沖縄県では、大田知事で、自民党は野党だったために、僕が定期的に沖縄自民党に足を運び、中央情勢を伝え、飛行機運賃や高速道路運賃の低減など、沖縄県連と一緒になって、具体的な政策を実現していった。

 その後、翁長氏が那覇市長に出馬表明し、そのときに、自民党沖縄県連の嘉数会長も出馬に意欲を見せていた。二人出たら共倒れになる。
 そこで、その調整を、故・末次一郎氏に託されて、僕が現地で調整し、それが、翁長氏一本化に役立った。

 翁長氏は、見事、那覇市長に当選した。
 翁長那覇市長とは、東京の自衛隊のイベントで、よくお会いしていた。

 それがあるとき、翁長氏が、沖縄県知事に「辺野古反対、共産党支持」で、出馬するとなった。
 そこで、僕は翁長氏側近に尋ねると、「田村さん、大丈夫。知事になったら現実志向に政策転換するから」と言うのだ。
 僕は、「共産党から応援してもらって、政策転換なんかできないよ。」と言った。

 結果は、僕の言う通りとなった。

 翁長氏は、なんとしても知事になりたかった。
 そのためには、どんな手段もいとわないと、なってしまった。

 翁長氏は、知事としての立場と本心の違いのなかで葛藤していたんだろう、と僕は思う。


 翁長さん、ゆっくりお休みください。
 お疲れ様。
 心からご冥福をお祈り申し上げます。


*詳しくは、僕の『平和安全法制の真実』(内外出版)の沖縄の部分をお読みください。  

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2018年08月08日

自民党総裁選挙の仕組みについて

 日本の内閣総理大臣(首相)は、最大与党から選ばれる。
 議員内閣制のため。
 自由民主党は、1955年結党以来、常に与党第一党で、自民党の総裁(党首)が内閣総理大臣となった。
 総裁が首相を兼務し、党務は幹事長が主に担当する。
 自民党が野党だったため、総裁で総理になれなかったのは、河野洋平と谷垣禎一の両氏だけ。

 今回の自民党総裁選は、9月7日告示〜20日投票の予定。

 総裁任期の在り方について(期数制限の見直し)、2017年10月に見直され、
「現行の連続2期(6年)までという期数制限を連続3期(9年)までに改正する」となった。
 その結果、安倍総裁(2012年9月26日〜)は、3期・9年可能となった。

 総裁の任期と再選規定は、
1955年 - 1972年 2年 制限なし
1972年 - 1974年 3年 制限なし
1974年 - 1978年 3年 連続2期まで(再々任を認めない)
1978年 - 2003年 2年 連続2期まで(再々任を認めない)
2003年 - 2017年 3年 連続2期まで(再々任を認めない)
2017年 ------------ 3年  連続3期まで


 自民党の議員票と党員票
(1)総裁選挙は議員投票と党員投票によって行わる
●総裁選挙の投票には、党所属の国会議員による投票(議員投票)と、全国の自民党員などによる投票(党員 投票)。
●議員投票は、国会議員1人に1票が割り当てられる。(平成27年9月1日現在)
 衆議院議員 289名   参議院議員 113名   計402名
●党員投票は都道府県ごとに開票し、党本部において各候補者の得票数を合算。
 その得票数をもとに、国会議員票と同票(今回は402票)の票をドント方式で各候補者に配分。
●議員投票で得た票と党員算定票を集計したものが、各候補者の最終的な得票数となる。
●議員投票の有効票数と党員算定票を合計した数の過半数を獲得した候補者が当選者。
 過半数にならない時は、上位2名で決選投票。

 2012年9月26日
石破茂199   安倍晋三141  石原伸晃96  町村信孝34 林芳正27
(決)  安倍晋三108 石破茂98

 2015年9月8日 安倍晋三 候補者1人(安倍総裁の任期満了による総裁選で無投票再選)

(2)立候補には国会議員20名の推薦が必要
●総裁選挙に立候補できるのは、自民党所属の国会議員。
●立候補には、党所属の国会議員20名の推薦が必要。
●3期連続して総裁を務めた者は、それに引き続く総裁選挙に立候補することはできない。

(3)投票権があるのは、国会議員と党員・党友
●議員投票は、党所属の国会議員が、投票日に党本部に設ける投票所で行う。
●党員投票を行えるのは、日本国籍を持ち、20歳以上で、以下のいずれかの条件を満たす人。(前回•平成25年および平成26年の2年間の党費・会費を納めた自民党員、自由国民会議会員、国民政治協会会員。(以下、「党員等」という)
 ※20歳以上には、選挙が行われる年の末日までに20歳になる人を含む。(※なお、前回は、特例として、平成26年に新たに党費・会費を納入した党員等にも選挙人資格が付与された。)
 こうした点が、選挙管理委員会で、8月21日に詳細が決定する予定。


選挙運動はお金をかけず、公平に行う
●党本部総裁選挙管理委員会は告示後、すみやかに各候補者の所見を党機関紙に掲載するほか、演説会の開催など、党運営による選挙運動を実施。
●総裁選挙における選挙運動はお金をかけず、公正、公平に行う。


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shige_tamura at 12:20|PermalinkComments(0)clip!自由民主党 

2018年08月06日

自民党本部に再雇用

 大変ご無沙汰です。
 今年1月に自民党本部を退職し、今回8月1日から嘱託(政務調査会担当)となりました。
 すでに、数日間、自民党本部で働いていますが、いいですね。
 今、定年後とか、いろいろ言われてますが、働くことが良いです。

 これからも本を出したり、ユーチューブに新しく歌のコーナーを作ったり、楽しくやっていきます。
 以下、お聞きください。


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2018年01月12日

自民の安保政策支えた田村重信氏が退職(産経新聞)

2018.1.11 20:39更新

自民の安保政策支えた田村重信氏が退職


 自民党の安全保障政策を理論面で支えてきた同党政務調査会の田村重信審議役が、65歳の誕生日を迎える17日付で定年退職する。田村氏は、平成19年の防衛庁の省昇格や、27年に成立した集団的自衛権の限定的な行使を容認した安全保障関連法などに関わってきた。

 田村氏は11日、首相官邸で安倍晋三首相(党総裁)と面会し、退職することを報告、首相は「またよろしく頼む」とねぎらった。

 田村氏は昭和28年、当時の新潟県栃尾市(現長岡市)に生まれ、拓殖大卒業後、「大平派」と呼ばれていた宏池会の事務局で勤務した後、党職員になった。

 湾岸戦争直後の平成3年から党政調の安全保障を担当した。自衛隊の米軍に対する後方支援を定めた11年の周辺事態法、13年の米中枢同時テロを受けたテロ対策特別措置法の立案にも携わった。

 憲法改正についても積極的に提言し、憲法や安保問題を中心にした著書は共著を含め約50冊に上る。自民党は、憲法改正が今後の大きなテーマになることもあり、田村氏を今年8月に再雇用する。
         (1月12日、産経新聞より)


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